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                またまた、失礼致します。「ED76109」でごさいます。 
               小生にしてみると、大淀川沿いや「トカホセ」の函南付近の 
              「20系富士」の姿は懐かしさで一杯です。 
              16時30分発の「さくら」、16時45分発の「はやぶさ」、 
              ・・・そして19時発の「あさかぜ3号」。 
              東京駅の「12・13番線」には夢と浪漫がありました。 
               今回は、「急行列車」の「戯言」を記してみます。 
              いつものように、先達の皆様方の話題にしていただければ眼福の限りであります。 
               
              1 昭和49年の黄金週間、父方の叔母の入院見舞いに「鉄」親父と「小諸」へ。 
              「上野」から「長野行」旧客に「小諸」まで乗車。 
              帰路は「小海線」を経て「小淵沢」へ向かい、 
              「甲府」から「身延線」の「165系富士川」に「乗り鉄」。 
              しかし、当時の「身延線」はタブレットと腕木式信号機が活躍していたローカル線。 
              富士山を半周して「甲府・静岡」を結んでいた都市間急行は、 
              まさしく富士の麓をぬうが如く、 
              隘路を窮屈そうに走っていた記憶が残ります。 
               
              2 昭和49年の晩秋、通学していた小学校の「移動教室」が 
              「中軽井沢」で実施されました。 
              その移動の際に、乗車したのは「横軽越え169系仕立ての信州」。 
              幸運にも最後尾に乗車でき、「横川」では峠のシェルパ「EF63」の連結シーンを 
              友人6人と担任の先生方で一緒に「鑑賞」。 
              当時、担任だった先生は「こりゃ、おもしろいなあ。」と窓を全開にして、 
              峠越えの風景と1000分の66の急勾配を、 
              仕事そっちのけで堪能していましたね。 
               
              3 当地北海道を、快走する「スーパーカムイ」や「すずらん」のEC特急。 
              この元祖は、昭和46年7月登場した「711系さちかぜ」。 
              札幌・旭川間を、評定速度85.5qのノンストップで結び、 
              「北海」や「おおぞら」などの従来DC特急の度肝を抜きました。 
              昭和48年の春休み、「122レ」の待避待ちで、 
              粉雪を巻き上げる「さちかぜ」を「江別」で見ました。 
              当時は「快速電車か?」程度の認識しか無かったのですが、 
              「122レ」のカレチさんに「道内で一番速い電車ですよ。」 
              と説明を聞いた記憶があります。 
              小生にとって、できれば一度乗りたかった列車のうちの一つです。 
               
               長々と失礼しました。また、投稿致します。 
              以上、古い記憶に浸っている「中年客車鉄ちゃん」でした。 
              
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