倶楽部メモSP 「ブルートレイン」50周年 20系客車写真募集(3)
倶楽部メモ(463) 平成20年10月14日〜10月17日
投稿者
きむたお
投稿日
2008年10月14日(火)21時57分53秒
タイトル
20系宮原車晩年の内装
走行写真ばかりでしたので、内装写真も貼っていきます。 写真は、平成6年5月4日、鹿児島本線を走る9201列車「霧島」の ナハネフ23 4の寝台片付け後の状態です。 宮原車は晩年はアコモ改良が施工され、モケットの張替え、床敷物の張替え、 カーテンの取替えがなされていました。 (昭和63年の夏に乗車した「日本海82号」の内装はオリジナルの内装でした)
2008年10月14日(火)22時10分34秒
ナハネ20宮原車談話室
アコモ改良を受けた宮原車は冬季の「シュプール号」のために、 後位側1区画に談話室が備えられました。 実際には後位側1区画目の談話室に続き、2区画目をスキー置き場として、 いずれの区画も常時寝台をセットせずに運用されていました。 (したがって、ナハネ20の寝台数は42になっていたことになります。) 写真では、向かって右側の背もたれと座面のスペーサーを起こして、 「正しい」昼の状態にして撮影しました。 (当時の運用時には中段寝台の折りたたみ、ハシゴの撤去、 寝具を上段へ片付ける程度しか作業されていませんでした) こちらは、平成6年5月4日、鹿児島本線を走行中の9201列車「霧島」の ナハネ20 233です。
2008年10月14日(火)22時17分19秒
20系B寝台 寝台灯
こちらは寝台車には欠かせない設備である寝台灯です。 20系は14系や24系と異なり、灯具部分にモケットを貼り付けたカバーが ついています。 このあたり、20系客車設計陣の細かい配慮を感じ取ることができました。 平成6年5月4日、9201列車「霧島」のナハネフ23 4にて。
2008年10月14日(火)22時23分2秒
ナハネフ22展望室
引き続き、20系ならではの丸妻部の内装です。 写真は平成6年5月4日、長崎にて発車待ちの9202列車「雲仙」の ナハネフ22 25です。(窓越しに見えるのはED76 86です) 窓の下にある折りたたみテーブルですが、 これはナハネフ22全車には付いていなかったようです。 (例えば、宮原の17号車には無かったと記憶します) かと云って、後から取り付けたデザインでもないので、 44年度車にだけ付いているのかな、と考察します。
2008年10月14日(火)22時26分40秒
20系・小ネタ1
写真はナハネフ23 4のデッキ付近の愛称幕裏側です。 まだ列車名が4つしか書いてなく、「20系若かりし頃」が思い浮かびます。 (平成6年5月4日、9201列車「霧島」にて)
2008年10月14日(火)22時29分52秒
20系・小ネタ2
こちらは最終増備のナハネフ22 25の愛称幕裏側です。 ずらりと並んだ列車名が「20系最盛期」を思わせます。 (平成6年5月4日、9202列車「雲仙」にて) *屋根がナハネフ23 4のような穴あきボードでなく、 普通の板になっているのが分かります。
キハウニ
2008年10月16日(木)00時40分41秒
20系
こんにちは。20系ということで手元にある写真です。 おが、竿灯なども撮りました。 25系や14系に比べ”でかい”存在感がありましたね。
2008年10月16日(木)20時51分5秒
20系中寝台撤収作業1
▼ キハウニ様 「玄海」なつかしいですね。平成2年と云うことは まだ「ホリデーパル」が塗装変更を受ける前ですから、 写真はナハネフ22 22か701のいずれかということになりますね。 当方も「玄海」を見たくて、深夜の米原駅、 夕暮れの品川駅に出かけたのを思い出しました。 さて、写真は20系臨時急行では最後の愛称になった「桜島」に乗車した際、 撮影した寝台解体作業です。 平成7年8月14日、鹿児島本線を走行中の9201列車、急行「桜島」、 ナハネ20 306の車内です。 写真は作業の第一ステップとなるハシゴの片付けです。 確か、熊本を出た後、寝台の解体作業が始まったと記憶します。 また、左端に冷房の吸気口が見えますが、この車体中央付近にあたると、 意外に空調の音が大きかったのですが、 それも今となっては思い出ですね・・・。
2008年10月16日(木)20時54分30秒
20系寝台撤収作業2
続いて、同じボックスの中段寝台を折りたたんだところです。
2008年10月16日(木)20時56分52秒
20系寝台撤収作業3
こちらは、先のボックスの反対側で、ちょうど中段寝台を持ち上げるところです。 52cm幅の小さい寝台とはいえ、ナハネ1両でも18箇所、 かなり腰に来る重労働と思います。
2008年10月16日(木)21時06分21秒
おまけ:晩年の20系車内に残された形見
本題とはちょっとずれますが、20系にまつわる話題ですので・・・。 写真は平成6年5月4日、9201列車、 「霧島」のナハネ20 233車内にあった踏み台 (荷棚に物を上げるときに使うアレです)の裏側です。 撮影当時にしても、とっくの昔に姿を消したはずの 昭和33年製のナハネ20 6の形見が車内に残されていました。 ナハネ20 233とナハネ20 6は品川で同じ時を過ごしたようですが、 その時に紛れ込んだのでしょうか?
仙コリ(管理人)
2008年10月16日(木)21時40分34秒
20系客車画像御礼
皆様、多数の20系客車の写真を投稿いただき本当にありがとうございます。 おかげさまで写真館もどんどん充実させることが出来ています。 今後もより写真館を充実させたいと考えていますので「20系客車の写真」と共に 寝台特急「富士・はやぶさ」の写真も募集中ですので、よろしくお願いします。 以下まとめレスで失礼いたします。 晩年(JR化後)の臨時急行やシュプール号としての活躍場面は、あまり表舞台に 出た事がないと思われ、皆様からこれだけの写真を投稿していただき、あらためて ほんの十年ほど前まで20系客車は活躍していたんだなと感じることが出来ました。 きむたお様、車内の写真ありがとうございます。 夜行列車ゆえに特に客車車内の写真は撮影されている方が少ないと思われますので 貴重な写真本当にありがとうございます。 小ネタの愛称幕裏側の写真ですが、何度か話には聞いていたのですが、半円状の 列車名が書かれたシール?は初めて拝見しました。 後年も張り替えられることはなく製造当初のままだったようですね。 ナハネフ23 4の写真の下側にある何かがはがれた痕のようなものが、後年の追加分が 書かれた紙だったのでしょうか? と、この文章を作っているところで寝台解体作業の写真ありがとございます。 これこそ今となってはお目にかかれない貴重な写真ですね。 文章だけでは私には理解不能だった583系電車ほどの複雑さではないですが、梯子の 収納場所は初めて知りました。(私が乗車した列車は終始寝台状態だったので…) ほかの皆様の画像も、本当に貴重な写真ばかりで本当にありがとうございます。 特に私的にはEF65P+20系の「富士」の写真がとてもかっこ良く、私が「富士」に 実際に乗車した際はすでにEF65PF+24系25形で、当時はEF66に牽かせればもっと かっこいいのにとか思っていたのですが、やはりEF65P+20系という組み合わせが 最もかっこよく、ブルートレインの象徴であると感じました。 (これに関しては、皆様さまざまな好みがあるとは思いますが…)
ED76109
2008年10月17日(金)22時58分19秒
懐かしいなぁ・・・
またまた、失礼致します。「ED76109」でごさいます。 小生にしてみると、大淀川沿いや「トカホセ」の函南付近の「20系富士」 の姿は懐かしさで一杯です。 16時30分発の「さくら」、16時45分発の「はやぶさ」、 ・・・そして19時発の「あさかぜ3号」。 東京駅の「12・13番線」には夢と浪漫がありました。 今回は、「急行列車」の「戯言」を記してみます。 いつものように、先達の皆様方の話題にしていただければ眼福の限りであります。 1 昭和49年の黄金週間、父方の叔母の入院見舞いに「鉄」親父と「小諸」へ。 「上野」から「長野行」旧客に「小諸」まで乗車。 帰路は「小海線」を経て「小淵沢」へ向かい、 「甲府」から「身延線」の「165系富士川」に「乗り鉄」。 しかし、当時の「身延線」はタブレットと腕木式信号機が活躍していたローカル線。 富士山を半周して「甲府・静岡」を結んでいた都市間急行は、 まさしく富士の麓をぬうが如く、 隘路を窮屈そうに走っていた記憶が残ります。 2 昭和49年の晩秋、通学していた小学校の「移動教室」が 「中軽井沢」で実施されました。 その移動の際に、乗車したのは「横軽越え169系仕立ての信州」。 幸運にも最後尾に乗車でき、「横川」では峠のシェルパ「EF63」の連結シーンを 友人6人と担任の先生方で一緒に「鑑賞」。 当時、担任だった先生は「こりゃ、おもしろいなあ。」と窓を全開にして、 峠越えの風景と1000分の66の急勾配を、仕事そっちのけで堪能していましたね。 3 当地北海道を、快走する「スーパーカムイ」や「すずらん」のEC特急。 この元祖は、昭和46年7月登場した「711系さちかぜ」。 札幌・旭川間を、評定速度85.5qのノンストップで結び、 「北海」や「おおぞら」などの従来DC特急の度肝を抜きました。 昭和48年の春休み、「122レ」の待避待ちで、 粉雪を巻き上げる「さちかぜ」を「江別」で見ました。 当時は「快速電車か?」程度の認識しか無かったのですが、 「122レ」のカレチさんに「道内で一番速い電車ですよ。」 と説明を聞いた記憶があります。 小生にとって、できれば一度乗りたかった列車のうちの一つです。 長々と失礼しました。また、投稿致します。 以上、古い記憶に浸っている「中年客車鉄ちゃん」でした。
倶楽部メモ(464) 平成20年10月18日〜10月22日
マロネロ38
2008年10月18日(土)13時35分58秒
20系とモハ711系
ED76109様 20系はTR55の乗り心地が良かったですね。ナハフ21(さくら=下関‐長崎)、寝台で は「銀河」(大阪‐東京)、「日本海」大阪‐秋田往復、「あけぼの」(上野‐秋田 2回)ぐらいの乗車経験しかありませんが14系に比べたら、段違いに静かで乗り心地 が良かったです。「さくら」では朝、昼2回食堂車で済ませました。 711系は札幌で昭和63年に撮影して居ますがもうクハの真中にドアーがぶち抜かれて いて(クハ711-106)チグハグな感じでした。
倶楽部メモ(465) 平成20年10月22日〜10月25日
クモイ103
2008年10月23日(木)20時11分21秒
トワイライトな20系
ちょっと書き込みがお留守になってしまいました。 仙コリ(管理人)様、遅まきながら、 20系写真館のトップに拙作を採用して頂き光栄です。 さて、古い写真を漁っていたら出てきました。 平成元(1989)年8月6日、京都駅で撮影した臨時特急「日本海82号」です。 今では何てことのないトワイライト色EF81ですが、 この時点では「トワイライトエクスプレス」自体が登場したてのニュースター。 私はまだ実見したことがなかったと思います。 当然専用塗色機も初遭遇と思われ、それが20系客車の先頭に立つ姿だったとは、 ちょっと自慢できるかも?(笑)。 その頃はまだ片面1線だけだった奈良線ホームから。
2008年10月23日(木)20時15分44秒
トワイライトな20系-2
前写真を撮った後、跨線橋をダッシュして東海道下りホームへ。 「日本海82号」は終着大阪へ向け、長旅の最終行程に踏み出します。
2008年10月23日(木)20時20分57秒
トワイライトな20系-3
絵入りのバックサインが入るなんて、 かつて「日本海」に定期運用されていた頃には夢想だにしませんでしたね。
倶楽部メモ(466) 平成20年10月25日〜10月30日
秋田のHO
2008年10月27日(月)21時34分24秒
御教示御願い致しますです。
こちらへは久しぶりに失礼させていただきます。 きむたお 様撮影の、モケットがえんじ色の [20系客車]宮原車談話室区画ですが、 ここの区画にだけ装備されておりました「ガラス戸」部分の写真を 御持ちの方はいらっしゃいますでしょうか?。 改めまして見て確認しようと思いましたら、 恥ずかしながら、記録しておきましたものを紛失してしまいましたようで、 「トワイライトエクスプレス」の「Bコンパートメント」のような感じであった と思うのですが、 私の記憶だけではどう致しましてもいまいちでして、 すみませんが、宜しく御願い致します。
2008年10月28日(火)21時25分49秒
ナハネ20談話室仕切り
▼ 秋田のHO様 標記の件ですが、これですね。 そういえば、寝台部分の写真だけで肝心のこの簡易仕切りの写真を添付しておらず 失礼いたしましたm(__;)m 当時はまだ超広角レンズを持っておらず、 おまけにガラスへの映り込みで苦しい写真であること、ご容赦ください。 おっしゃる通り、トワイライトや、向日町の15形か何かに 一部設けられていたガラス張りの仕切りに準じるものですが、 それらの目的は「通路の足音が寝台に届かないように」と思いますが、 こちらの目的は「ボックスの話し声が他の区画に漏れないように」 と多少異なるようです・・・。 また、ここで重要なのは、肘掛部分に内蔵された 折り返して使用するテーブルがあっさりと省略されず、 引き上げて起こすタイプに改造されていることでしょう。 写真は平成6年5月4日の9201列車、「霧島」のナハネ20 233です。
2008年10月28日(火)21時37分40秒
ナハネ20デッキ扉室内側
ついでに数コマスキャンしたので紹介します。 写真は先と同列車内で撮影のナハネ20 233デッキ扉内側です。 残念ながら私は初期の内側が塗装されたタイプの扉を持った車両を 見る機会はありませんでした。 妻板の内側にあるリブがナハネ10などの妻板にあるリブを連想し、 感動したのを覚えています。
2008年10月28日(火)21時46分14秒
ナハネ20談話室補足
同じフィルムにもう1コマ、談話室の写真がありました。 こちらも同列車のナハネ20 233です。 今、写真を見て改めて思い出した(というより気付いたに近い)のですが、 中段、上段は他の区画と同じく青色のモケットのようです。 また、先日紹介しました枕部分の照明の蓋ですが、 この写真ではそれを開くためのツマミが見えます。 こちらはビニール製のテープのようなものでした。
2008年10月28日(火)21時55分3秒
ナハネフ23便所使用知らせ灯
20系客車の便所使用知らせ灯は、ただの丸ランプに 「便所使用知らせ灯」の表示板が付いたほかの客車 (私の知る12系、14系、24系、50系との比較)とは異なり、 通常は乳白色の無地の板があり、 ハネの場合、2ヶ所ある便所が両方とも施錠されたときに 裏から「便所使用中」の文字が浮かび上がるものでした。 この小さな表示にもこだわりを感じました(^^) *仕切り扉の窓に映るなつかしい冷水機(断面が扇形のアレです)にもご注目です。 写真は平成6年5月4日、9201列車「霧島」のナハネフ23 4です。
2008年10月28日(火)21時59分45秒
おまけ・20系客車の車内にて
本日も連投失礼しましたm(__)m 写真は同じくナハネ20 233の室内(しかも件の談話室)の踏み台です。 先日はナハネ20 6の形見が残されているのをご紹介しましたが、 こちらはスハネ16 2209の形見です!
2008年10月30日(木)18時21分29秒
[20系客車]宮原車談話室区画
きむたお 様、写真を見せていただきまして、大変ありがとうございますです。 肘掛部分内蔵テーブル改造に関しましては、 今日までまったく気が付きませんでした。 たしか、「ガラス戸」のガラスは透明ガラスではなく、 少しスモークがかったような感じであったように思います。 秋田では、この車輌は「臨時寝台急行あおもり」として運用されておりまして、 当時中学生だった私は、1輌に1区画だけ設置された 個室のような区画の状態と実状 (当時は「部屋売り」なのか?、「ばら売り」なのか?、 真剣に考えておりました)が知りたく思いましたが、 一人で大阪までの乗車が許されるわけもなく、 青森までの末端区間約二時間を寝台券を購入して乗車致しました。 乗車時はかなり車内が空いておりまして、思う存分車内を見れました上に、 もう時効だと思いますが、、、 嘆願しましてデッキ扉が開放された状態での走行も見せてもらいました。 その後、[DD51]牽引の北上線経由「臨時寝台急行おが」にも 乗車する事が出来ましたが、 優雅な外見と、見晴らしの素晴らしい「半室展望」の[ナハネフ22] に乗車したのはこの時が最初で最後となりました。