倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
臨時みずほ・14系寝台の蒸気暖房配管
臨時みずほは実在したか?・旧型客車と混結運用した14系・鹿児島の24系の運用


倶楽部メモ(452) 平成20年 9月 6日〜 9月11日


投稿者

Uzu

投稿日

2008年 9月 7日(日)23時54分7秒

タイトル

臨時みずほ

寝台特急みずほの件で質問です。
みずほは94年12月改正で臨時格下げになったという記事を発見しました。
この臨時みずほはどのような編成で運用されたのでしょうか?


投稿者

赤まんと

投稿日

2008年 9月 8日(月)19時06分44秒

タイトル

臨時「みずほ」に覚えはありませんが・・・

Uzu様初めまして。
ブルトレ編成記録をライフワークにしている、赤まんとです。
たしかに「みずほ」は94年12月改正で臨時格下げ、となりましたが、
記憶の限りでは、一度も臨時運転されることはなかったはずです。
「あさかぜ81、82号」はしぶとく2000年まで設定がありましたが・・・。
博多「あさかぜ」廃止後、初回の「あさかぜ81,82号」は、
まさにその「みずほ」からあぶれた、JR東日本の14系9連で運転されました。
貴重なこの94年12月末の記録をとったのですが、
6月に尾久から埼玉に引っ越した際、
仕舞った場所がわからなくなっており、
編成記録を載せられないのがつらいところです。
たしか5号車にスハネフが、しかも下り方向を向いて組み込まれていて、
いかにも予備車かき集め然とした内容でした。
EF66牽引です。
その後は熊本で当時予備扱いになっていた15形に、
長崎の14形を1両借り入れ組み込みの7両で運転され、
ときに宮原の「だいせん」「ちくま」用15形のこともあり、
たいそう驚かされたことがあります。
「みずほ」廃止で浮いた東日本の14系は、96年夏に全て廃車されました。
予備車の運用両数から考えても、
残念ながらハナから臨時「みずほ」設定は半ば無理があったと思っています。
純日本の、美しい名の列車だけに、
車両がボロボロにくたびれ果てる前に廃止になったことは、
ある意味救いだったなあと、さいきん感じます。
「みずほ」にも使われた今の「はやぶさ」「富士」の車両は、
無残にボロボロなものが見受けられますので。


投稿者

Uzu

投稿日

2008年 9月 9日(火)00時20分45秒

タイトル

臨時みずほの件

赤まんと様、大変丁寧なご教示ありがとうございます。

やはり、臨時みずほは事実上無かったんですね。
しかし、臨時あさかぜ運用に宮原車や熊本車が使用されていたとは驚きですね。
前々から、熊本の臨時用15形はあまり活躍の場が無さそうだなと思ってたんですが、
このような運用に就いていたんですね。


投稿者

赤まんと

投稿日

2008年 9月 9日(火)22時59分30秒

タイトル

巡り巡って、酷使されております。

Uzuさまご指摘のように、熊本にいた15形は、
国鉄最後のダイヤ改正で転属したもので、半ば予備的な存在でした。
「みずほ」「さくら」に数両混じったり、
集約臨時列車に駆り出されたりしていました。
転機は97年11月改正で、
オハネ15 4を皮切りに大掛かりなリフレッシュが行われてから。
このとき九州からはオハネ14が全車引退し、
「さくら」は14系と15形の混結となりました。
残念ながらリフレッシュは全車に及ばず、
オハネ15 5とオハネ15 7が廃車されたりしています。
現在「富士」「はやぶさ」に運用されている15形0番台がまさに、
かつて「あさかぜ81,82号」に使われていた車両です。
余談ですが、91年秋、私が高校2年の九州修学旅行に乗った「さくら」は
オハネ15 5に当たりました。
廃車になってしまったのは残念です。
車歴も辿っていくと結構、面白いものです。


投稿者

Uzu

投稿日

2008年 9月10日(水)00時40分23秒

タイトル

そうですね

赤まんと様、
私も現在「はやぶさ・富士」の車両を見ると、
彼らの歴史を辿ったりしてしまうものです。
最古参のスハネフ14 3は昭和46年に14系試作車として登場し、
翌47年まで急行「瀬戸」に連結され試験されてましたよね。
この車両は10系客車と手を繋いだこともあるのかと思うと
何とも言えぬ感慨に耽ってしまいます。


投稿者

マロネロ38

投稿日

2008年 9月10日(水)13時37分4秒

タイトル

オハネ14-15系

私は「嫌い」でしたね。「日本海」が14系になって食堂車が無くなり、
秋田出張に「パンとジュース」や弁当とお茶を買って乗り込んだり
「時代に逆行」と、スハネフに当たって喧しいのに閉口、
オハネでも20系の如く床下機器が少なく走行音が響くのと、
重心が高くてフラフラ揺れるのが嫌いでした。
(スハネフは停車中にエンジン音が煩くて)
寝台幅が狭くても乗り心地は20系が最高でしたね。
TR55の乗り心地の良さが忘れられません。
「銀河」が20系の時代は良かったですね東京出張はいつも「銀河」でした。


投稿者

赤まんと

投稿日

2008年 9月10日(水)18時55分51秒

タイトル

20系は乗ることなく終わってしまい・・・

マロネロ38さま。
20系の乗り心地が、ニューブルトレと呼ばれた
14系以降の車両よりも上手だったというのは、
特集記事や列車追跡でよく指摘されていますよね。
残念なことに、私はついぞ20系に乗る機会を得ぬままになってしまいました。
惜しいことです。
1月に「あかつき」のお名残乗車をした際、スハネフ15 7に当たりました。
たしかに振動と唸りは感じられましたが、もともとエンジン音が好きなこともあり、
大して気にならないどころか、音を楽しんでいるところもあり、
「結構静かじゃん」なんて思っていました。
15形ほど防音強化されていない14形は、よりうるさいのか、
一度乗ってみたいものです。
時間さえ許せば寝台列車に乗ることができるようになって、10年そこそこの私には、
実際に乗った体験談というものが大変刺激的です。
Uzuさまご指摘のスハネフ14 3はよくぞここまで生き残ったもので、
1週間後には車齢37年を数えるこの車両も、いよいよ最後の誕生日のようです・・・。


投稿者

らん丸

投稿日

2008年 9月10日(水)20時41分3秒

タイトル

旧型客車と混結運用した14系

14系のプロトタイプ(46年製グループ)は、
最初から蒸気暖房の引き通しが付いていたと聞いたことがありますが、
どうでしょうか?

定期列車で14系+旧型客車の混結編成は「瀬戸」「利尻」「大雪」「まりも」
(瀬戸は14系寝台車+旧型客車の座席車・食堂車。
利尻・大雪・まりもは14系座席車+10系寝台車)ですが、
「まりも」に関して色々な話がありますが、
57.11〜58.6(14系化完了時)まで
10系寝台車はハネだけでなくオロネ10が組み込まれ、
スロ54もあったという話を聞いたことがありますが、実際はどうなのでしょうか
(あくまでも10系寝台車は暫定使用なのでオロネは無く、
座席車も14系だけでスロは無かったという話もある)?


投稿者

ED76109

投稿日

2008年 9月10日(水)22時58分12秒

タイトル

記憶だけの話ですが・・・

「ED76109」でございます。
 らん丸様
>スロ54もあったという話を聞いたことがありますが
 小生の記憶でしかないのですが、
確か昭和57年の11月に「ハザ」が14系に変更された際に、
「スロ54」のグリーン車が外されたのではなかったと思われます。
なお、らん丸様御指摘のとおり、「オロネ10」は、
昭和58年6月に「まりも」が「ハザ・ハネ」ともに14系で統一された際に
運用が停止されたはずです。
(昭和59年夏の段階では、「ロネ」はもう連結されておりませんでした。)

 以上、「戯言」情報の「中年客車鉄ちゃん」でした。


投稿者

Uzu

投稿日

2008年 9月11日(木)12時58分43秒

タイトル

鹿児島の24系

14系寝台の蒸気暖房配管は後に撤去されていますよね。

ところで重ねての質問で恐縮ですが、
97年頃の「はやぶさ」「富士」運転区間短縮直前の鹿児島所属オハネ25は29両
(オハネ25-125の履歴が不鮮明なので28両かもしれません)となっています。
しかし、「はやぶさ」「富士」基本編成にオハネ25は
4両×6編成=24両
加えて「なは」基本編成には
3両×2編成=6両
の計30両が必要となり不足が生じる筈なのですが、
熊本からの借り入れ車両でもあったのでしょうか?


投稿者

マロネロ38

投稿日

2008年 9月11日(木)16時57分21秒

タイトル

蒸気暖房引き通し管

12系には遅くまでついていましたね。「きたぐに」が583系になり新潟打ち切りまで
の青森行PC時代、スロ62が連結されていましたので必要だったのでしょう。12
系のオハになってから寝台車は大阪‐新潟回転になっていましたから。オロネ10
、スハネ16、スハネ30等々


倶楽部メモ(453) 平成20年 9月11日〜 9月16日


投稿者

雑魚

投稿日

2008年 9月11日(木)17時21分2秒

タイトル

幻の20系乗車

▼赤まんと様:
> 残念なことに、私はついぞ20系に乗る機会を得ぬままになってしまいました。

私の場合、1986年春に急行「だいせん 5号」で、普通車自由席扱いの「ナハフ21」を
利用したのが唯一の経験です。同年夏、九州旅行で利用した「かいもん」「日南」も、
20系寝台車を連結していましたが、我々「万年金欠・周遊券族」は、12系自由席車と
相場が決まっており、迂闊に寝台車を利用しようものなら「人民の敵」の烙印の下に、
仲間から自己批判を迫られかねない雰囲気がありました(^^)

私自身、初めて寝台車を利用したのがその頃ですから、考えてみれば、20系どころか、
三段式寝台に遭遇する事それ自体、割と珍しくなりつつあった時期の様にも思います。

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ED76 109様との遣り取りにおいて話題に挙がった「ハエタタキ」ですが、全国でも
ここだけではないか、と思われた「水郡線型」を、記憶を頼りに「エクセル」作図で
復元して見ました(^^)先述の東海道線の例と比べると、横軸の段数など、明らかに
規模の違いがあり、ある意味で「路線の格」を体現した印象です。この型は、横軸が
一本少ないバージョンを含め、上菅谷〜西金で展開していたと記憶します。


投稿者

赤まんと

投稿日

2008年 9月11日(木)21時40分42秒

タイトル

鹿児島の24系

明日の休日をイイコトに、冷酒4合をあおって回る、
飲んだくれ赤まんとでございます。
Uzu様ご指摘の鹿児島のオハネ25ですが、
フルで使用されることは少なかったため、回せていたように記憶します。
多客期であっても、どちらか1列車を減車させて間に合わせていたのか、
熊本から借りていたか、でしょう。
現に、多客期であっても、例えば「富士」はフルで上ってきても、
「はやぶさ」は5号車欠のことはしょっちゅうでした。
品川滞泊時に列車名が入れ替わるのは、改めて書くまでもないのですが、
当日下りの需要に影響がないのか、疑問に感じたものです。
また、付属編成7号車が、オハネフではなくオハネだったり、
突発的な不具合からか、オハ24が欠けた編成を見たこともあります。
当時の私の記録には、熊本からの借り入れはありませんが、
検査等の都合で、貸し借りはあったはずです。
カニ24の貸し借りは2005年の記録にも残っていますが・・・。
オハネ25 125は97年当時鹿児島所属です。
余談ですが、「あかつき」は多客期14両フル、
通常は3両減車が2000年3月までの編成でしたが、
じつは3両増結は存在しなかったのです。
2両までが限度で、3両フル増結はせず
と明記された資料を見せてもらったことがあり、驚かされました。
話がそれました。
オマケに、
97年8月に、大学の友人と九州旅行をした折に押さえた編成記録を添えておきます。
これはさすがにあまり知られていないはずです!

97/8/12 9003レ「なは81号」・・・熊本駅にて。

ED76 92〜カニ24 105〜オハネフ25 132〜オハネ25 166
〜オハネフ25 152〜オハネ25 192〜オハネ25 84〜オハネフ25 30
※後方0番台2両は京都車(「彗星」用)、
 ほか下関車(「瀬戸」「あさかぜ」用)

97/8/13 9003レ「なは81号」・・・熊本駅にて

ED76 92〜カニ24 15〜オハネ25 202〜オハネ25 204
〜オハネ25 201〜オハネ25 130〜オハネ25 179〜オハネフ25 109
※熊本、鹿児島車混成。

ほんの10年少々前までは、当時すでに不振だった九州ブルトレにも、
他区予備車寄せ集めの救済便が設定されていたのです!
なんだか、ものすごく遠い昔のような、つい最近のような・・・。


投稿者

急行越前

投稿日

2008年 9月12日(金)00時25分31秒

タイトル

Re:蒸気暖房引き通し管

みなさま、この掲示板で発言させていただくのは
記憶にないほど久しぶりな「急行越前」と申します。
よろしくお願いします。

12/14系の蒸気暖房引き通し管の話がいろいろ出ていますが、
混乱しているようなので僭越ながら整理させていただくしゃしゃり出てきました。

らん丸さまご指摘の14系の量産先行車ですが、
急行「瀬戸」組み込みによる試用のため
蒸気暖房と電気暖房の引き通しが装備されており、
量産化改造の際に撤去したとピクトリアルの791号に記載があります。
そもそも特急用ですから、量産車には最初から装備がなく、
北海道向け改造の際に新設したとのことです。
一方、12系は蒸気暖房引き通し管は装備されていたものの、
実際在来客車との併結で蒸気暖房を使用したのは、
「音戸」と末期の「山陰」だけだったのではないでしょうか。
マロネロ38さまご指摘の「きたぐに」ともうひとつ
「津軽」の在来客車は電気暖房ですね。

以上、大変失礼いたしました。


投稿者

ED76109

投稿日

2008年 9月12日(金)11時06分33秒

タイトル

記憶だけの話ですが 2

御邪魔しております。「ED76109」でございます。
雑魚様
>「水郡線型」を、記憶を頼りに「エクセル」作図で復元して見ました
「お見事!!」(拍手)。懐かしいですねぇ。
昭和40年代前半、親類が在する鹿児島本線「西出水」駅付近に、
このサイズより一回り大きめ(横軸の数がプラス3程度?)
の「ハエ叩き」が立てられていて、
朝早起きして眺めた「C61」牽引の旧客にマッチしていた印象があります。
雑魚様の「鉄道博物館に移設」の御提言に大賛成です。
これは立派な鉄道の「歴史的建造物」ですよ。

赤まんと様及びUzu様
>「はやぶさ」「富士」基本編成
「乗り鉄」専門の「ED76109」でございます。
あまり得意な分野ではないのですが、
記憶していることを述べさせていただきます。
確か当時の「はやぶさ」と「なは」は共通の運用が組まれており、
14時過ぎに「西鹿児島」に到着した「はやぶさの基本編成」が、
そのまま19時過ぎ発の「なはの基本編成」として運用される
(同様に10時半過ぎに到着した「なはの基本編成」が
13時過ぎ発の「はやぶさの基本編成」に運用される)
という話を「博多車掌区」のカレチさんから聞いた記憶があります。
何かのご参考になれば幸いです。(次のとおりだったと記憶していますが・・)

 1日目「はやぶさ」(西鹿児島発)
 2日目「はやぶさ」(東京着)・・「富士」(東京発)
  3日目「富士」(南宮崎着)・・留置(一泊)
 4日目「富士」(南宮崎発)
 5日目「富士」(東京着) ・・「はやぶさ」(東京発)
 6日目「はやぶさ」(西鹿児島着)・・「なは」(西鹿児島発)
 7日目「なは」(新大阪着)・・「なは」(新大阪発)
 8日目「なは」(西鹿児島着)  ※1日目へ
 なお、付属編成は「熊本」及び「大分」回転。

「銀河」の乗り心地は、小生の独断で
「20系」>「10系」>「24系」(全てハネです)と考えております。

長々と失礼しました。また、投稿致します。以上、「中年客車鉄ちゃん」でした。


投稿者

マロネロ38

投稿日

2008年 9月12日(金)15時01分50秒

タイトル

急行越前様

「きたぐに」は電暖でしたねアノ時代‐‐‐失礼しました。
「越前」と言えば大阪‐金沢間のDC急行がありましたねヘッドサインが「梅」?の
紋のデザインで‐‐‐大阪駅で写しています。いつも満員でした。
それと福井電化の時に471系新車で
年末年始に大阪‐福井間の臨時急行が運転されていました。
試運転を米原と田村で写しました。表記は無かったですが----


投稿者

Uzu

投稿日

2008年 9月12日(金)19時14分47秒

タイトル

なは81・82号

赤まんと様、度々貴重な情報をありがとうございます。

増結車両の運用は以外といい加減なものなんですね。
赤まんと様が記録された「なは81・82号」のJR西日本車、
九州車相互運用も興味深いですね。
また、運転日は「なは81号」が新大阪発8/9〜8/13、
「なは82号」が西鹿児島発8/14〜17と、
上り下り別々の時期に運転されていたのも興味深いです。


投稿者

きむたお

投稿日

2008年 9月13日(土)08時42分3秒

タイトル

なは82号編成記録

みなさま、こんにちは。
話題が盛り上がっている臨時なは号ですが、
当方の手許にも編成記録が1件ありましたので、
ここに紹介させていただきます。

1997/5/2熊本〜5/3新大阪乗車
9014レ〜8038レ
ED76 78↓(熊本発時)
EF65 1120↑(新大阪着時)
(6)オハネフ25 109
(5)オハネ25 118
(4)オハネ25 102
(3)オハネ25 106
(2)オハネ25 246(乗)
(1)オハネフ25 107
カニ24 18

今、こうして見ると寝台車がすべて100番台で揃った美しい編成ですね。
なお、機関車の「↑」ですが、ED76はSG排気口のある向き、
EF65は屋上排風口のある向きです。
方向幕、愛称幕ともに「臨時」表示、機関車にもヘッドマークは付きませんでした。
当方、将来の模型化のことを考慮して向きなどはチェックしているのですが、
所属標記をチェックしていないのが痛いところです・・・。
写真は新大阪におけるオハネ25 246(左)とオハネ25 106(右)ですが、
106の妻に熊クマの文字が確認できます。


投稿者

Uzu

投稿日

2008年 9月13日(土)12時02分16秒

タイトル

臨時なは

きむたお様が記録された編成も熊本、鹿児島ごちゃまぜですね。
オハネフ25 107・109、オハネ25 118、カニ24 18は鹿児島車、それ以外は熊本車です。

しかし、愛称幕ぐらいは掲出して欲しいですね。


投稿者

アーノルドカプラー

投稿日

2008年 9月14日(日)20時51分39秒

タイトル

RE : 12系蒸気暖房引き通し管について

 私もかなりお久しぶりのアーノルドカプラーでございます。
よろしくお願い致します。

 マロネロ38様、急行越前様他皆様のお話の12系蒸気暖房引き通し管に関しまして、
急行「きたぐに」は、使用していたようです。
 確かに併結する10系寝台やスロ62は電暖装備車ですが、
東海道本線 米原〜大阪感牽引のEF58に電気暖房は装備されておりません。

 また、こちらの掲示板で紹介されており、
私も図書館で読ませて頂きました坂本衛氏執筆の
「車掌乗務裏手帳」山海堂にて冬場の大阪行き「きたぐに」では、
米原〜大阪感は寝台やグリーン車の暖房が効かなくて
乗客からの苦情が多いという趣旨の記述がございました。

 他にもこの本では20系「だいせん」のナハネフ22や、
急行「銀河」81/82号の常務の話など
今となっては懐かしい列車名が散見できます。

 ちなみに出版社は解散したそうです。
 以上ご参考までに投稿させて頂きました。


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