またまた、御邪魔致します。「ED76109」でございます。
雑魚様
>(鉄道が)無ければ無いで、そういうものかと思う昨今です。
当地も、道東や道北で鉄道がなくなった町村の多さが著しいですね。
名寄本線が廃止された当時、
オホーツク沿岸の「紋別市」は人口の落ち込みに加えて、
「廃止された駅跡の整備問題」と「人口減による周辺地域衰退」の話が、
大きな話題となりました。
しかし、現在の北海道は鉄道があってもなくても、
道央以外の人口減は歯止めが効かない状況です・・・。
さて気分を変えて、今日は「汽車旅の小ネタ(!?)」について
「戯言」をお話しします。
いつものとおり先達の皆様方の話題にしていただければ幸甚の限りです。
1 鈍行紀行の風景の中で、よく目にしていた線路沿いの民家の壁の「広告」。
「金鳥の蚊取り線香」、「菅公の学生服」
そして「ナショナルの電灯」等のホーロー製看板です。
海岸沿いや峠越え、田園地帯でも線路に面した側の壁に貼られていた
独特のデザインが小生の記憶に残っています。
特に、「トカホセの川崎〜品川」の金属の架線柱に取り付けられていた
「ノザキのコンビーフ」の看板は、いつも目に飛び込んで強い印象がありました。
2 連絡ケーブル等が発達した現在では、無用となった「ハエ叩き」。
いわゆる「電信柱」です。
北海道では、意外とまだ現存している区間が多く、
ちょっとしたレトロ風景の汽車旅が味わえます。
特に、「日高本線」の「静内〜浦河」は、
碍子の付いた「ハエ叩き」が今でも使用されているが如く健在です。
キハ40の車窓からは、あたかも「昭和30年代」のローカル線を
彷彿とさせる風景が広がっています。
(以前、雑魚様からの書き込みのあった
「旧池北線の置戸〜小利別付近」と双璧でしょうか。)
3 夜行列車が、名もない小駅を通過する際に目に飛び込んできた「駅名灯」。
「東北」や「九州内」でよく目にした記憶があります。
夜中に目が覚めた折、
「十和田や八甲田のハザ」の窓から「流れる駅名」を時刻表で括り、
「ああ、○○の辺りだなぁ。」と確かめて眠れぬ夜を慰めたものです。
小生、学生時代に3回ほど渡道しましたが、
どういうわけか「小牛田」あたりで必ず目が覚めてしまい、
妙な因縁があるのか「ありかべ(有壁)」の「駅名灯」を3回とも眺めました。
長々と失礼しました。また、投稿致します。
「マイナーな小ネタ」にこだわった「中年客車鉄ちゃん」でした。
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