倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
看板旅情
鉄道沿線の広告・看板・ハエタタキ(電信柱)について


倶楽部メモ(451) 平成20年 9月 1日〜 9月 6日


投稿者

ED76109

投稿日

2008年 9月 6日(土)13時06分54秒

タイトル

小ネタで失礼します

 またまた、御邪魔致します。「ED76109」でございます。
 雑魚様
 >(鉄道が)無ければ無いで、そういうものかと思う昨今です。
  当地も、道東や道北で鉄道がなくなった町村の多さが著しいですね。
名寄本線が廃止された当時、
オホーツク沿岸の「紋別市」は人口の落ち込みに加えて、
「廃止された駅跡の整備問題」と「人口減による周辺地域衰退」の話が、
大きな話題となりました。
しかし、現在の北海道は鉄道があってもなくても、
道央以外の人口減は歯止めが効かない状況です・・・。
 さて気分を変えて、今日は「汽車旅の小ネタ(!?)」について
「戯言」をお話しします。
いつものとおり先達の皆様方の話題にしていただければ幸甚の限りです。

 1 鈍行紀行の風景の中で、よく目にしていた線路沿いの民家の壁の「広告」。
「金鳥の蚊取り線香」、「菅公の学生服」
そして「ナショナルの電灯」等のホーロー製看板です。
海岸沿いや峠越え、田園地帯でも線路に面した側の壁に貼られていた
独特のデザインが小生の記憶に残っています。
特に、「トカホセの川崎〜品川」の金属の架線柱に取り付けられていた
「ノザキのコンビーフ」の看板は、いつも目に飛び込んで強い印象がありました。

 2 連絡ケーブル等が発達した現在では、無用となった「ハエ叩き」。
いわゆる「電信柱」です。
北海道では、意外とまだ現存している区間が多く、
ちょっとしたレトロ風景の汽車旅が味わえます。
特に、「日高本線」の「静内〜浦河」は、
碍子の付いた「ハエ叩き」が今でも使用されているが如く健在です。
キハ40の車窓からは、あたかも「昭和30年代」のローカル線を
彷彿とさせる風景が広がっています。
(以前、雑魚様からの書き込みのあった
「旧池北線の置戸〜小利別付近」と双璧でしょうか。)

  3 夜行列車が、名もない小駅を通過する際に目に飛び込んできた「駅名灯」。
「東北」や「九州内」でよく目にした記憶があります。
夜中に目が覚めた折、
「十和田や八甲田のハザ」の窓から「流れる駅名」を時刻表で括り、
「ああ、○○の辺りだなぁ。」と確かめて眠れぬ夜を慰めたものです。
小生、学生時代に3回ほど渡道しましたが、
どういうわけか「小牛田」あたりで必ず目が覚めてしまい、
妙な因縁があるのか「ありかべ(有壁)」の「駅名灯」を3回とも眺めました。

 長々と失礼しました。また、投稿致します。
「マイナーな小ネタ」にこだわった「中年客車鉄ちゃん」でした。


投稿者

ものずきヲヤヂ

投稿日

2008年 9月 6日(土)14時52分39秒

タイトル

「オハ」ようございます

最近、書店のテツ本コーナーでは‘モハようございます’なる本が売られていますね。
内容を見ると必ずしも電車のことのみを取り上げた本ではなさそうです。
それなら「わざわざ‘モハ’とせず‘オハ’のままでいいやろ!?」と
ツッコミを入れたくなるのは私だけではないでしょう(笑)。
鉄道のこと全てを電車と呼ぶ人が大多数な時代、
たかが本の題名とは言え客車衰退のひとつの事例と言えなくも無く
なんとなく寂しいかぎりです。

>ED76109さま
それにしてもホーロー看板と旧客の組み合わせってすんごく似合いますよね。
広告といえば田園の中に燦然とそそり立っていたタテ型‘ナショナル’の白い広告塔も
懐かしく思い出されます。
‘ノザキ’は初めて上京したとき(1980年夏)にはこれでもかこれでもか連発で
車窓に現れるのを見て「ノ・ノザキってなんじゃあ〜?」と
ずいぶんと圧倒された思い出があります。
私は九州ですが、当時(たぶん今でも)当地ではノザキのコンビーフは
ほとんど売られておらず見たことも無いブランドでしたので。
(九州でコンビーフといえば雪印)


倶楽部メモ(452) 平成20年 9月 6日〜 9月11日


投稿者

雑魚

投稿日

2008年 9月 6日(土)18時17分32秒

タイトル

看板旅情

▼ED76 109様:
>「金鳥の蚊取り線香」(中略)「ナショナルの電灯」等のホーロー製看板です。

水原弘の「ハイアース」は地元でも割と散見されます。数年前、撮影で赴いた水郡線
沿線域では「ウメ星デンカ」を描いた「小学館の雑誌」や「ハヤシもあるでよ〜」で
一世を風靡した「オリエンタル・カレー」も一瞥しました(^^)

車窓から見た看板として特に印象深いのは、福島・宮城県域の丘陵斜面に設けられた
型抜き文字による「酒は大七」で、あの看板を見ると、今でも旅情が高まる思いです。

>「日高本線」の「静内〜浦河」は、碍子の付いた「ハエ叩き」が(中略)健在です。

初めて渡道した四半世紀前、確かに当該区間で「健在」だった印象があります。当時、
月形・浦臼町域の札沼線でも見かけた記憶がありますが、こちらは、どうなのやら?

> 以前、雑魚様からの書き込みのあった「旧池北線の置戸〜小利別付近」と双璧

改めて調べた処「藻岩車掌所」なるサイトの「ふるさと銀河線の話」の項に、最近の
廃線跡レポートがあり、北見都市圏の西富・西訓子府両駅跡の付近では、少なくとも
今年の春には「ハエタタキ」が原型の侭、残っていた事が判ります。

個人的に最も気になるのが、東海道線の真鶴〜湯河原に残る「首都圏最後の一本」で、
これは「ハエタタキ 真鶴」または「ハエタタキ 湯河原」にて画像検索が効きますが、
現在も残っていれば、是非、写真に記録しておきたい逸品ですね。

また、手元の運転室展望DVDを改めますと、89年10月17日収録「あずさ」における
中央線塩崎駅や、00年01月14日収録「えびの」における吉都線小林〜西小林(小林西
高校付近と推定)でも「ハエタタキ」が数本映っており、これまた気になる存在です。

後者では、谷頭駅における「構内のみの電化区間」も映っています。大村線の大村や
川棚でも見た事があるこうした施設は、訓練用と思われますが「トワイライト魂」を
揺さぶる代物ですね(^^)

最近見かけた、もしかすると現役かも知れない「ハエタタキ」です。長野電鉄長野線
須坂〜北須坂にて。


投稿者

「ED76109」

投稿日

2008年 9月 7日(日)17時45分12秒

タイトル

汽車旅の旅情

「ED76109」でございます。
ものずきヲヤヂ様
>車窓に現れるのを見て「ノ・ノザキってなんじゃあ〜?」
 小生、東京を離れて来年で四半世紀になりますので、
古くから設置されている架線柱が少しずつ取り替えられているかも知れませんが、
幼い頃は上り「桜島」や「はやぶさ」等の長距離列車から
「ノザキのコンピーフ」を眺めると、「旅の終焉」を感じたものでした。
また、「肥薩線」の「人吉〜吉松」の「ループ線」に乗りたい衝動に駆られる
今日この頃です。

雑魚様
>月形・浦臼町域の札沼線でも見かけた記憶がありますが
 5年前に「乗り潰した」時は、「健在」であったと記憶しています。
ただ、JR北海道の現状を考えると、
撤去する「予算」が厳しいと考えられることから、
しばらく「健在」だと思われます。
>「ハエタタキ 真鶴」または「ハエタタキ 湯河原」
 まだ、「ある」のですね(!!)。
数年前、乗車した上り「富士」から「健在」であったのでうれしく思いました。
大きな「ハエ叩き」ですよね。
「はと」、「つぱめ」がお世話になっていたと思うと、
何とか残せませんかねぇ・・・。

 また、投稿致します。
大逆転の機会を逸し、「終戦」を迎えた
「道民球団応援団」の「中年客車鉄ちゃん」でした。


投稿者

雑魚

投稿日

2008年 9月 8日(月)15時05分2秒

タイトル

ループ線

▼ED76 109様:
> 当地も、道東や道北で鉄道がなくなった町村の多さが著しいですね。

道内では歌志内・三笠・紋別の三市が該当しますね。もっとも三笠市は峰延駅付近で
函館線を辛うじて「視界射程」に納めている様です。歌志内の人口は既に五千人割れ。
現在は合併の予定も無いそうで「平成の大合併」後の市としては、特異な存在ですね。

> 名寄本線が廃止された当時、オホーツク沿岸の「紋別市」は

廃止後も暫くは、時刻表巻頭地図に「みどりの窓口設置駅」表記が残っていましたね。
鉄道が廃止された後の街にあって、どの程度の需要があったのやら、少々懐疑的です。

> 鉄道があってもなくても、道央以外の人口減は歯止めが効かない状況です

人口動態の大まかな目安として、電化区間沿線とそれ以外に大別される印象でしたが、
結局は「札幌都市圏」の一人勝ち、という事の様ですね。二番手の旭川は不明ですが、
三番手の函館では、札幌に発着する旅客需要の殆どが空路経由となった為、現在では、
中核市指定時の人口要件・30万を割り、新幹線延伸がどの様に資するか注目されます。

>「肥薩線」の「人吉〜吉松」の「ループ線」に乗りたい衝動に駆られる今日この頃

とりあえず添付画像のループ線で御辛抱下さい(^^)ところでこの区間、通過列車の
頻度に鑑みて、JRでは、新清水隧道のみを残しての単線区間化も検討した様ですね。
確かに、然したる不具合は無さそうに思えますが、はてさて………?

> 撤去する「予算」が厳しいと考えられる事から、しばらく「健在」だと思われます。

趣味の観点から歓迎したいのですが、木製柱ゆえの朽廃進行を考えると、安全管理上、
特に宅地が近接する場合は、いつまでも放置しておく訳にも行かないでしょうね。

>「はと」「つぱめ」がお世話になっていたと思うと、何とか残せませんかねぇ…。

いっその事、鉄道博物館に「移設」して欲しいくらいですね。なお、私が子供の頃は、
電化前後の過渡期の名残りとして、前出・長野電鉄の如く「ハエタタキ」を併設した
架線柱が東北線(小山付近)常磐線(土浦付近)日光線(鹿沼付近)で見られました。
非電化線では、一線区当たりの碍子配列パターンのバリエーションが最も豊かなのが、
地元に近い水郡線で、常陸太田支線を含めると、十種類以上ありました。

私鉄では、架線柱と「ハエタタキ」が一体化したものが、東武鉄道や名鉄で度々目に
しましたが、首都圏では、千住大橋〜京成関屋で常磐線を跨ぐ京成本線や、柏付近の
東武野田線が印象的でした。

かかる「ハエタタキ」と客車列車の好ましい組合わせは、片上鉄道で比較的最近まで
御馴染みでしたね。人気の「ブルートレイン」が吉ヶ原折返しという事で、乗り潰し
優先の立場から一般気動車便を選んだ事が、今となっては少し悔やまれます。


倶楽部メモ(453) 平成20年 9月11日〜 9月16日


投稿者

雑魚

投稿日

2008年 9月11日(木)17時21分2秒

タイトル

幻の20系乗車

▼赤まんと様:
> 残念なことに、私はついぞ20系に乗る機会を得ぬままになってしまいました。

私の場合、1986年春に急行「だいせん 5号」で、普通車自由席扱いの「ナハフ21」を
利用したのが唯一の経験です。同年夏、九州旅行で利用した「かいもん」「日南」も、
20系寝台車を連結していましたが、我々「万年金欠・周遊券族」は、12系自由席車と
相場が決まっており、迂闊に寝台車を利用しようものなら「人民の敵」の烙印の下に、
仲間から自己批判を迫られかねない雰囲気がありました(^^)

私自身、初めて寝台車を利用したのがその頃ですから、考えてみれば、20系どころか、
三段式寝台に遭遇する事それ自体、割と珍しくなりつつあった時期の様にも思います。

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ED76 109様との遣り取りにおいて話題に挙がった「ハエタタキ」ですが、全国でも
ここだけではないか、と思われた「水郡線型」を、記憶を頼りに「エクセル」作図で
復元して見ました(^^)先述の東海道線の例と比べると、横軸の段数など、明らかに
規模の違いがあり、ある意味で「路線の格」を体現した印象です。この型は、横軸が
一本少ないバージョンを含め、上菅谷〜西金で展開していたと記憶します。


投稿者

ED76109

投稿日

2008年 9月12日(金)11時06分33秒

タイトル

記憶だけの話ですが 2

御邪魔しております。「ED76109」でございます。
雑魚様
>「水郡線型」を、記憶を頼りに「エクセル」作図で復元して見ました
「お見事!!」(拍手)。懐かしいですねぇ。
昭和40年代前半、親類が在する鹿児島本線「西出水」駅付近に、
このサイズより一回り大きめ(横軸の数がプラス3程度?)の
「ハエ叩き」が立てられていて、
朝早起きして眺めた「C61」牽引の旧客にマッチしていた印象があります。
雑魚様の「鉄道博物館に移設」の御提言に大賛成です。
これは立派な鉄道の「歴史的建造物」ですよ。

赤まんと様及びUzu様
>「はやぶさ」「富士」基本編成
「乗り鉄」専門の「ED76109」でございます。
あまり得意な分野ではないのですが、記憶していることを述べさせていただきます。
確か当時の「はやぶさ」と「なは」は共通の運用が組まれており、
14時過ぎに「西鹿児島」に到着した「はやぶさの基本編成」が、
そのまま19時過ぎ発の「なはの基本編成」として運用される
(同様に10時半過ぎに到着した「なはの基本編成」が
13時過ぎ発の「はやぶさの基本編成」に運用される)
という話を「博多車掌区」のカレチさんから聞いた記憶があります。
何かのご参考になれば幸いです。(次のとおりだったと記憶していますが・・)

 1日目「はやぶさ」(西鹿児島発)
 2日目「はやぶさ」(東京着)・・「富士」(東京発)
 3日目「富士」(南宮崎着)・・留置(一泊)
 4日目「富士」(南宮崎発)
 5日目「富士」(東京着) ・・「はやぶさ」(東京発)
 6日目「はやぶさ」(西鹿児島着)・・「なは」(西鹿児島発)
 7日目「なは」(新大阪着)・・「なは」(新大阪発)
 8日目「なは」(西鹿児島着)
  ※1日目へ  なお、付属編成は「熊本」及び「大分」回転。

「銀河」の乗り心地は、小生の独断で
「20系」>「10系」>「24系」(全てハネです)と考えております。

長々と失礼しました。また、投稿致します。以上、「中年客車鉄ちゃん」でした。


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