| 
                先達の皆様、おはようございます。「ED76109」です。 
               先日、小生の拙娘(大学生)が所用で友人達と「スーパーおおぞら」で釧路へ行った折、 
              「自宅に時刻表がある家は「鉄」な家か。」という議論(?)になり、 
              「親父の実家に行くときは『北斗星』の個室しか乗ったことがない。」の娘の一言で、 
              小生は拙娘らから「筋金入りの鉄」という「称号」を頂くハメとなりました。 
              娘の話では、「東京に行くのに『飛行機』使わない人がいるわけないしょ。 
              おとうさん、はんかくさい。(北海道弁で「馬鹿じゃない」の意)」 
              との友人の一言が決定的だったとか・・・。 
              しかし、娘は「狩勝峠」の雄大な風景と「スーパーおおぞら」が気に入ったとのことで、 
              「血は水よりも濃し」かなと思っています・・。 
              少々前置きが長くなりましたが、 
              今回は「富士」に関わる「戯言」を述べさせていただきます。 
              いつものように、先達の皆様方の話題にしていただければ幸甚の限りです。 
               
              1 昭和53年の夏、以前にも述べましたが、西鹿児島から門司港まで 
               日豊本線を直通していた旧客鈍行にお世話になったのは、 
              「富士」の寝台券が取れなかったことが全てでした。 
               当時、窓口があまり混雑しない「大崎」を狙ってほぼ徹夜で並んだのですが・・。 
               今にして思えば、長距離鈍行に乗れたことで「よし」と考えていますが、 
               当時「大分」で追い抜かれた「富士」の姿が、今でも脳裏に眩しく輝いています。 
               
              2 平成8年の夏、「南宮崎」から「東京」まで「富士」に初乗り。 
               「日向灘」の美しさが今でも心に残っています。 
               また、この旅では同じコンパートに乗り合わせた「鉄」親子と仲良くなって、 
               「鉄談義」にも興じました。 
               特に門司と下関での機関車交換の「儀式見学」では、 
               お父さんの方が子どもさんそっちのけでホームを「疾走」。 
               汗まみれになってカメラを握りしめていましたねぇ。 
               
              3 平成18年の晩秋、以前にも述べましたが、 
               所用で「小倉」から「東京」まで「富士」に乗車。 
               夜中にふと目覚めると、なぜか「塚本」の内側線ホームに停車していました。 
               「事故か?」と心配していると、3分程度で動き出し程なく「淀川鉄橋」を通過。 
               すると、何気なく眺めていた「梅田のビル街」の灯が意外と美しく、 
               思わず見入ってしまいました。 
               何か「やしきたかじん」さんの「バラード」をイメージさせるような 
               そんな風景でした。 
               
               また、投稿致します。以上「中年客車鉄ちゃん」でした。 
              
               |