みなさまこんばんは。赤まんとです。
みなさまの投稿を拝見しておりますと、私もデジカメなど買って、
少しは色気のある投稿を、なんて思ってしまいます...。
すでに来年3月廃止が決定したも同然の九州ブルトレ。
機会を作るのが難しくはなりましたが、
なんとか編成記録を多く手元に残そうと踏ん張っております。
理左衛門(バロン)様乗車編成を7/25に東京駅で押さえていました。
日数から見て、何両か差し替えられているでしょうが、
スハネフ14が3両、スハネフ15が1両はかわっていません。
7/25当日は最終下り「なは/あかつき」を引いたEF66 47が先頭でした。
1号車から順に
スハネフ15 20・オロネ15 3005・オハネ15 2005・オハネ15 1246・
オハネ15 1201・スハネフ14 5・スハネフ14 12・
オロネ15 3002・オハネ15 2004・オハネ15 1・
オハネ15 1122・スハネフ14 3という編成でした。
オリジナルを保つのはスハネフ14 5・スハネフ14 12・
オハネ15 1・スハネフ14 3のわずか4両!
しんがりスハネフ14 3は1971年登場の先行試作車であることがポイントです。
また。オハネ15 1246・オハネ15 1201は元オハネ25 246と201で、
246はオハネ25のラストナンバーで向日町配置。
201は「瀬戸」「あさかぜ」「安芸」を20系から置き換えるため下関に配置。
わずか1年で向日町に転じ、国鉄末期には246とともに
「なは」に使われた可能性が極めて高い車両です。
さらに、3月改正で運用から外れた尾久の「北斗星」用オハネ、オハネフと共に
関西ブルトレに使われた経歴を持ちます。
脱国鉄ルックをお嘆きの方も多くいらっしゃるでしょうが、
歴史を辿ると相当に興味深いものです。
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