倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
「富士」「はやぶさ」の画像(3)


倶楽部メモ(445) 平成20年 8月 6日〜 8月 8日


投稿者

理左衛門(バロン)

投稿日

2008年 8月 6日(水)20時29分24秒

タイトル

はやぶさ

7月18日の「はやぶさ」牽引機です


投稿者

理左衛門(バロン)

投稿日

2008年 8月 6日(水)20時30分55秒

タイトル

富士

7月17〜18日に乗車した「富士」です。
おそらくもう二度と乗れないでしょう・・・。


投稿者

理左衛門(バロン)

投稿日

2008年 8月 6日(水)20時32分13秒

タイトル

富士

この日、スハネフは3両が14で、15型は1両だけでした


投稿者

赤まんと

投稿日

2008年 8月 6日(水)20時58分40秒

タイトル

7/25東京発を押さえていました。

みなさまこんばんは。赤まんとです。
みなさまの投稿を拝見しておりますと、私もデジカメなど買って、
少しは色気のある投稿を、なんて思ってしまいます...。
すでに来年3月廃止が決定したも同然の九州ブルトレ。
機会を作るのが難しくはなりましたが、
なんとか編成記録を多く手元に残そうと踏ん張っております。
理左衛門(バロン)様乗車編成を7/25に東京駅で押さえていました。
日数から見て、何両か差し替えられているでしょうが、
スハネフ14が3両、スハネフ15が1両はかわっていません。
7/25当日は最終下り「なは/あかつき」を引いたEF66 47が先頭でした。
1号車から順に
スハネフ15 20・オロネ15 3005・オハネ15 2005・オハネ15 1246・
オハネ15 1201・スハネフ14 5・スハネフ14 12・
オロネ15 3002・オハネ15 2004・オハネ15 1・
オハネ15 1122・スハネフ14 3という編成でした。
オリジナルを保つのはスハネフ14 5・スハネフ14 12・
オハネ15 1・スハネフ14 3のわずか4両!
しんがりスハネフ14 3は1971年登場の先行試作車であることがポイントです。
また。オハネ15 1246・オハネ15 1201は元オハネ25 246と201で、
246はオハネ25のラストナンバーで向日町配置。
201は「瀬戸」「あさかぜ」「安芸」を20系から置き換えるため下関に配置。
わずか1年で向日町に転じ、国鉄末期には246とともに
「なは」に使われた可能性が極めて高い車両です。
さらに、3月改正で運用から外れた尾久の「北斗星」用オハネ、オハネフと共に
関西ブルトレに使われた経歴を持ちます。
脱国鉄ルックをお嘆きの方も多くいらっしゃるでしょうが、
歴史を辿ると相当に興味深いものです。


投稿者

「ED76109」

投稿日

2008年 8月 7日(木)00時35分51秒

タイトル

撮って残そう!! B.T

 「ED76109」です。
 管理人様の御提言の「はやぶさ・富士」写真館に感動しています。
 そして、何とか「お別れ乗車」ができないかなぁと思案するばかりです。
 小生、写真のセンスはからっきしですので、みなさんの写真を眺めながら、
自分にできる「何か」を考えたいものです・・・。
 今日は、「はやぶさ」に関する「戯言」を記します。
 先達の皆様方やサイトを御覧になった方が、
一人でも多くB.Tの旅に出て頂ければ、幸甚の限りであります。

1 昭和46年の夏、以前に述べましたが、14時間遅れの「はやぶさ」に
 「ヒルネ(アサネ?)」乗車。
 山陽本線の「尾道・糸崎」間の土砂崩れが原因だったのですが、
 多客期は運休させない「昭和の国鉄魂」で「熊本」に午前2時ごろ到着。
 「鉄」親父と出水までお世話になりました。
 しかし、「はやぶさ」は運休させられないとのことで出水に到着後、
 すぐに「熊本」まで回送するため、「ED76」の機回しなど、
 全ての乗務員と出水駅の職員が総出で作業していた姿は今でも忘れられません。
 後日、出水駅の助役であった叔父は、
 「『はやぶさ』は絶対に止められん列車ばい。」
 と「鉄」親父に話していたことが強く記憶に残っています。

2 平成6年の夏、九州の「乗り鉄」の帰路、
 西鹿児島から東京まで「はやぶさ」に乗車。
 車内改札の博多車掌区のカレチさんが、小生の切符を見て
 「札幌までですか。・・ありがとうございます。」と一言。
 カレチさんは「博多」で交代されたのですが、忙しい合間を見つけて
 「博多車掌区手作り」の「はやぶさ号案内」を手渡してくれました。
 「『はやぶさ』は私たちの誇りですよ。」とのカレチさんの言葉に、
 小生、胸がつまる思いでした・・。

3 平成9年の11月、福岡での研究会後に
 「西鹿児島発」の「はやぶさ」にお別れ乗車しました。
 「はやぶさ」入線前から、「西鹿児島」のホームは
 廃止を惜しむ黒山の人だかり・・・。
 翌日、東京到着後、博多から乗車した修学旅行の女子高校生たちが
 「はやぶさ」をバックに記念撮影をしていたので、
 身分を告げてグループ写真を何枚か撮ってあげました。
 彼女らは「夜行列車に初めて乗ったけど、楽しかったよね。」
 と口々に話し、旅の余韻を楽しんでいる様子。
 小生の「今度はボーイフレンドと乗ると良いですよ。」の一言に、
 高校生一同「そうしたいです。」と
 照れながら微笑んでいた姿が、今でも忘れられません・・・。

 今度は「富士」の想い出を投稿します。
 以上、ぜひJRにも「マイレージ」の制度があれば・・
 と考える「中年客車鉄ちゃん」でした。


投稿者

雑魚

投稿日

2008年 8月 7日(木)17時58分25秒

タイトル

足場探し

▼管理人様:
> 根府川駅ホームからの撮影は可能だと思いますが、

そうなると、金と時間を費やしてまで赴くべき構図では、なくなりそうですね。むしろ
構内から小田原方を見た構図の方が、後追いになりますが、相模湾を絡めて、好ましく
感じられます。

> 防風柵が設置されていますので、俯瞰での撮影はほぼ不可能

一連の防風柵強化傾向の発端となった「みやび」強風転落事故が発生して餘部橋梁では、
それでも「出雲」廃止直前には、かなり賑わった様ですね。ここは柵越しでもそこそこ
絵になったのでしょうか。

> 国道1号線バイパスの脇を行かなければならない為、それ以上進むのは断念。

車両本位の方には物足りないでしょうけど、風景本位の私としては、後追いで良いので、
東名高速の「薩た(仮名部分の変換不可)隧道」上から駿河湾越しに富士山方向を望む、
風景写真好きには御馴染みの構図を試して見たいものです。しかし、タクシーでないと、
現地到達は、かなり困難と見受けられます。

> 静岡県内や根府川近辺では撮影ポイントが多数存在するようなので、

車窓風景の記憶や道路地図情報からあれこれ考えると、新幹線と在来線が同一レベルで
静岡鉄道を潜る辺りの陸橋でも、面白い構図が撮れるかな、などと感じます。

御教示、有難うございました。


投稿者

雑魚

投稿日

2008年 8月 7日(木)18時17分39秒

タイトル

個室寝台の妙味

▼青列車様:
> 月に1度程度 往路は 1(41)レを利用しています。

小倉〜博多では 新幹線や「ソ二ック」更に快速を利用できる点を考えると「はやぶさ」
昼寝客は、山陽線、とりわけ新幹線が直接網羅しない防府・宇部・下関から福岡以遠を
志向する需要が主流と見受けられます。一方、福岡〜小倉・下関・山口・徳山・光など、
並行する高速バスは、博多駅から離れた福岡最大の繁華街・天神に直行する利点もあり、
件の「昼寝開放」は飽く迄「オマケ措置」という印象ですが、実際の乗車率や如何に?

▼ED76 109様:
> 全ての乗務員と出水駅の職員が総出で作業していた姿は今でも忘れられません。

臨時に機回しを行った事例というと、1990年に水郡線で運転された、D51牽引「コニカ
奥久慈」を思い出します。D51の車両限界の関係から、正規の駅員配置が無い下小川で
折返した為、関連部署から支援要員多数が詰め掛け、三脚組や地元住民が多数見守る中、
文字通り「寄って集って」機回しを行っていました。

>「今度はボーイフレンドと乗ると良いですよ。」

残念ながら当該列車に「二人用個室」はありませんけどね(^^)新婚当時の九州旅行で、
在阪の元仕事仲間と一杯飲みたい、というだけの理由で「なは」でしたか、個室寝台を
利用した事があります。ただし、車室設定の都合上、一人用×二室で、一部屋ずれれば、
仕切り扉を開放して 変則「二人用個室」に出来たものをと、臍を噛んだのでした(^^)

ちなみに先日利用した「北斗星」は二人用個室でしたが、今回も女房とは別々の部屋で、
子供一人ずつ 面倒を見る格好でした。結婚して十年も経てば「今更」ですけどね(^^)
画像は、乗車直前に南千歳駅で撮影した「北斗星」です。


投稿者

青列車

投稿日

2008年 8月 7日(木)23時31分56秒

タイトル

【1レ】乗車率(体感値ですが)

>>雑魚様

>>実際の乗車率や如何に?

あくまで乗車時の体感値ですが…
尚いずれも乗車駅は山陽本線徳山、下車駅は2月13日のみ鹿児島本線博多、
それ以外は鹿児島本線小倉です。
2008/02/13 乗車率は50%以下。空席目立ち労せず着席。
2008/03/21 乗車時はほぼ100%で着席不可。新山口でやっと着席可。
2008/05/20 乗車時は50%強。それでも空席はあり徳山発車時に着席可。
2008/06/24 乗車率は5月と同等程度。徳山発車時点で着席可。
2008/07/26 乗車率は完全100%。下車駅まで着席不可。デッキにて過ごす。

ヒルネ券故に利用できるのは「はやぶさ」では5・6号車、
「富士」では11・12号車のみです。
私の場合は「はやぶさ」利用なので5号車利用です
(6号車はスハネフなので騒音対策もあって避けます)(^^);

添付画像は2008(平成20)年07月26日、徳山駅到着の1レです。
これから乗車するところです。

追記
18年苦楽を共にしたMF銀塩カメラ(キヤノンT-90)に致命的な故障が発生し、
カメラ店を通じて修理依頼を出しましたが、本日見積もりの返答があり、
「交換部品がもうないので修理不能
(キヤノンサービスステーションの回答である由)」とのことでした。
添付画像はそのカメラ(故障前)で撮影したものです。

当座の間に合わせのつもりで購入したデジタルAF一眼レフカメラを
今後「本務機」として「運用」せざるを得なくなりましたが、
もう中年から初老に差し掛かり頭の固くなった銀塩派には
何から何まで戸惑う事ばかりです(^^);

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投稿者

雑魚

投稿日

2008年 8月 8日(金)17時10分46秒

タイトル

昼寝区間の謎

▼青列車様:
> あくまで乗車時の体感値ですが…

御教示、有難うございます。押し並べて、平日は余裕があり、学校の長期休暇期間に
相当する週末は混雑していると見受けられ、行楽需要が少なくない傾向が窺えますね。

それにしても「昼寝」開放区間が下松から先というのは、些か解せません。新幹線が
網羅しない街への救済措置という意味合いがあるなら、少なくとも、柳井が含まれて
然るべきですし、拡大解釈するなら、新幹線とは駅が比較的離れている岩国にしても、
某かの必然性を感じます。

昼寝客が利用できるのは、一列車で二両のみとの事ですが、当該車両の寝台利用客は、
たとえ目的地が九州であっても、下松までに身支度を整える必要があるのでしょうか。
今後「惜別記念需要」が増えると、その辺りの調整が、課題になるかも知れませんね。

> 18年苦楽を共にしたMF銀塩カメラ(キャノンT-90)に致命的な故障が発生し、

一眼レフを使い始めたのが、デジタル普及後という新参者にとって、銀塩ユーザーは
本格派という印象を受けます。そもそも、ファミリーカメラのフィルム交換において、
何本ものフィルム(含撮影済)を台無しにした程に不器用かつ、ネガやプリント等の
整理が億劫なグウタラにとって、デジカメは大いなる福音なのです(^^)

………問題は、昨今の大容量メディアの普及に伴い、一回の撮影でCD一枚相当分を
あっさり消費する為、記憶媒体の確保に難儀気味という点でしょうか(^^)


倶楽部メモ(446) 平成20年 8月 8日〜 8月10日


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青列車

投稿日

2008年 8月 8日(金)17時50分46秒

タイトル

【ヒルネ】午前6時の壁?

>>雑魚様
ご指摘のヒルネ区間ですが、愚考しますに
岩国の場合>午前5時57分着、同58分発。ギリギリ午前6時前です。
万が一の列車遅延時も、翌朝6時まで身代を利用できた場合は
寝台券の払い戻しは無いとのことですから、
午前6時以前にはヒルネ乗車を認めていないのではないでしょうか?
奥羽本線の「あけぼの」もヒルネ区間は午前6時を過ぎた羽後本荘からです。

さて、「あけぼの」が6時07分に発車する羽後本荘ではヒルネ乗車が出来るのに、
「はやぶさ・富士」が6時23分に発車する柳井では何故ヒルネが出来ないのか?
確かに不思議ですが…

これも奥羽本線の羽後本荘では実質「あけぼの」が1番列車になるのですが
山陽本線柳井では1レ「はやぶさ・富士」に先行する普通列車525Mがあり、
これを利用すれば下松・徳山・防府・新山口
いずれも1レに先行して到着できますので、
この列車から乗り換えることで利用が可能ですので、
6時30分前の柳井で寝台客を起こすのを避けたものと思われます。

ヒルネ客が利用できる車輛であっても、どうやら寝台客が優先のようで、
ヒルネ区間に跨って乗る客の区画は特に寝台の片付けなどはされていません。
基本的にはヒルネ区間に入る前に降りる客を
ヒルネ指定号車に割り当ててあるとは思いますが、
然程定員が多いわけでもないので原則どおりとも行かないのでしょう。

今月下旬の通院予定日はさて…どうしたものやら?(^^);
夏休み期間中とあっては平日と雖も油断は出来ません。
いっそのこと全行程を18キップにしましょうか?

添付画像は7月26日乗車時に撮影したカットです。

投稿者のホームページ


投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2008年 8月 8日(金)22時49分27秒

タイトル

富士・はやぶさ

>すでに来年3月廃止が決定したも同然の九州ブルトレ

私が聞いた話では、今年3月での廃止だったものを、
静岡県に配慮して静岡空港が開港するまで1年延命したというのです。
公表前から来年3月の廃止が既成事実のように扱われるのは、
このうわさ話が真実の可能性が高いようですね。

平成18年1月24日 根府川-早川(トンネル外からの撮影です)

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投稿者

きむたお

投稿日

2008年 8月 9日(土)08時19分23秒

タイトル

「富士」

ご無沙汰しております。

私も参加させてくださいm(__)m
北陸在住の私にとって、「はやぶさ」「富士」と云えば、
金曜日に退勤後、最終のサンダーバードに乗って、
京都で乗り継ぐ九州への貴重で楽しい移動手段でありました。
よって、駅撮りや車内の様子などの記録がほとんどなのですが、
併結運転が始まるとうわさが流れ始めた頃、
「ぜひ、昔の図鑑などで見たようなアングルで撮りたい!」と思い、
自動車を走らせ、かの三島−函南へ出かけました。
その時のフィルムから紹介させていただきます。

'99/10/30(8:25)、2レ、EF66 46牽引、「富士」


投稿者

きむたお

投稿日

2008年 8月 9日(土)08時24分39秒

タイトル

「はやぶさ」

引き続き、三島−函南における「はやぶさ」です。

機関車次位にオハネフ25の基本番台が見えるのが印象的です(^^)

'99/10/30(8:34)、6レ、EF66 49牽引、「はやぶさ」


投稿者

きむたお

投稿日

2008年 8月 9日(土)08時26分46秒

タイトル

おまけで「さくら」

連投失礼します。
同日に撮影した「さくら」もありますので投稿させていただきますm(__)m

'99/10/30(9:58)、4レ、EF66 43牽引、「さくら」


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「ED76109」

投稿日

2008年 8月 9日(土)08時34分10秒

タイトル

「はんかくさい」親父です。

 先達の皆様、おはようございます。「ED76109」です。
 先日、小生の拙娘(大学生)が所用で友人達と「スーパーおおぞら」で釧路へ行った折、
「自宅に時刻表がある家は「鉄」な家か。」という議論(?)になり、
「親父の実家に行くときは『北斗星』の個室しか乗ったことがない。」の娘の一言で、
小生は拙娘らから「筋金入りの鉄」という「称号」を頂くハメとなりました。
娘の話では、「東京に行くのに『飛行機』使わない人がいるわけないしょ。
おとうさん、はんかくさい。(北海道弁で「馬鹿じゃない」の意)」との
友人の一言が決定的だったとか・・・。
しかし、娘は「狩勝峠」の雄大な風景と
「スーパーおおぞら」が気に入ったとのことで、
「血は水よりも濃し」かなと思っています・・。
少々前置きが長くなりましたが、
今回は「富士」に関わる「戯言」を述べさせていただきます。
いつものように、先達の皆様方の話題にしていただければ幸甚の限りです。

1 昭和53年の夏、以前にも述べましたが、西鹿児島から門司港まで
 日豊本線を直通していた旧客鈍行にお世話になったのは、
 「富士」の寝台券が取れなかったことが全てでした。
 当時、窓口があまり混雑しない「大崎」を狙ってほぼ徹夜で並んだのですが・・。
 今にして思えば、長距離鈍行に乗れたことで「よし」と考えていますが、
 当時「大分」で追い抜かれた「富士」の姿が、今でも脳裏に眩しく輝いています。

2 平成8年の夏、「南宮崎」から「東京」まで「富士」に初乗り。
 「日向灘」の美しさが今でも心に残っています。
 また、この旅では同じコンパートに乗り合わせた「鉄」親子と仲良くなって、
 「鉄談義」にも興じました。
 特に門司と下関での機関車交換の「儀式見学」では、
 お父さんの方が子どもさんそっちのけでホームを「疾走」。
 汗まみれになってカメラを握りしめていましたねぇ。

3 平成18年の晩秋、以前にも述べましたが、
 所用で「小倉」から「東京」まで「富士」に乗車。
 夜中にふと目覚めると、なぜか「塚本」の内側線ホームに停車していました。
 「事故か?」と心配していると、3分程度で動き出し程なく「淀川鉄橋」を通過。
 すると、何気なく眺めていた「梅田のビル街」の灯が意外と美しく
 、思わず見入ってしまいました。
 何か「やしきたかじん」さんの「バラード」をイメージさせるような
 そんな風景でした。

 また、投稿致します。以上「中年客車鉄ちゃん」でした。


投稿者

理左衛門(バロン)

投稿日

2008年 8月 9日(土)09時35分18秒

タイトル

スハネフ151

記録が正しければ、スハネフ15-1でした。富士は14の2と8.
北斗星も含め、意外と古いものが生き残っている感があります


投稿者

雑魚

投稿日

2008年 8月 9日(土)18時47分1秒

タイトル

ゆぅトピア・ライナー

▼青列車様:
> 午前6時以前には ヒルネ乗車を認めていないのではないでしょうか?

なるほど、寝台券の払戻し規定に関する「午前六時の線引き」を失念しておりました。
一方、指定席扱いで昼寝を認める「日本海」「あけぼの」各上り便を見ると、明確な
時刻上の線引きらしきは窺えませんね。寝台客優先の列車であっても、指定券の発売
開始時期は、一箇月前になるのでしょうか。

> 1レ「はやぶさ・富士」に先行する普通列車 525Mがあり、

一方「日本海」「あけぼの」各下り便を「昼寝」起点駅基準に見ると、始発便ですね。
その様に考えると、確かに、柳井を「昼寝禁止」とする措置には、必然性を感じます。

▼竹中@ノーブルジョーカー様:
> 静岡県に配慮して静岡空港が開港するまで1年延命したというのです。

静岡や浜松では当該列車への確たる乗降需要が存在するのでしょうか。私も学生時代、
上り「富士」を静岡で下りた事がありますが、これは列車遅延に伴い、出席点を伴う
午後の講義に間に合う様に、止む無く 新幹線に乗り継いだ事情によるものです(^^)

▼きむたお様:
>「ぜひ、昔の図鑑などで見たようなアングルで撮りたい!」

流石きむたお様。意外に難しいとされる富士山絡みの構図がバッチリ決まっています。

▼ED76 109様:
> 窓口があまり混雑しない「大崎」を狙ってほぼ徹夜で並んだのですが

1978年というと、国分寺にホスト・コンピューターの基地を設けた「マルス 105」が
稼動を開始して数年後の頃ですよね。その時代にあって「徹夜」とは、これ如何に?

> 何気なく眺めていた「梅田のビル街」の灯が意外と美しく、

淀川橋梁から見る夜景は正に「♪赤い灯、青い灯、道頓堀の〜」の趣ですね。20年前、
能登旅行の帰り、一旦大阪に出て「瀬戸」で帰京した事があり、やはり淀川橋梁では
同様の印象でした。大阪を経由した理由は、当時、北陸線で 485系「雷鳥」の併結が
話題となった週末の気動車特急「ゆぅトピア・和倉」に乗りたくも、団体枠の予約で
指定券確保が叶わず、金曜夜の回送運用を一般開放した「ゆぅトピア・ライナー」に
試乗した為です。

最終「雷鳥」に続行する時間帯で、G車扱いの為、殆ど空気輸送でしたが、それゆえ
先頭展望席を終始独占出来て、夜間ならではの車窓風景を楽しみました。対向列車が
近づく度に、前照灯パターンで車種の違いが推定できた事、そして、ループ区間から
俯瞰した敦賀の夜景や、堅田〜西大津で見えた、琵琶湖に映える大津の灯火が、実に
印象的でした。


投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2008年 8月 9日(土)20時57分4秒

タイトル

24系時代の「富士」

>雑魚様
昔は身延山に向う信者さん達の利用が多かったですね。
最近も、友人が上りを利用したところ下段が満席で驚いたら、
熱海で下車する信者さんが大挙して乗っていたそうです。
それはともかく、静岡空港の件ですが、この手の話は政治的な臭いがします。
実際の利用とは別の次元にあるように思います。

昭和51年2月12日 保土ヶ谷 24系「富士」

投稿者のホームページ


投稿者

赤まんと

投稿日

2008年 8月 9日(土)21時34分6秒

タイトル

静岡空港と九州ブルトレの因縁話

みなさまこんばんは。
やはり「富士」「はやぶさ」の話題で盛り上がっていますね。
題名を敢えて伏せなくとも、皆様ご存知でしょうが、
とある本で私も静岡空港開港まで九州ブルトレ廃止を延期した
ということを知りました。
機関士不足のため、そのあおりを食って「銀河」が廃止されたことも・・・。
近年の利用率低下と、西日本の合理化策を考えれば、
「銀河」廃止は機関士云々が原因ではなくても、
今回のダイヤ改正が廃止のタイミングだったようにも思えます。
残念なことに変わりはないのですが・・・。
24系24形が東京口のブルトレに充当されたのはわずか1年半余りで、
写真も貴重だと常々かんじております。
見るたびに、よく当時撮っていたものだなあと感心させられます。
「富士」「はやぶさ」からオリジナルの14形、15形を見つける機会が多くないのと同様、
「あけぼの」「日本海」からも本来使用されるはずの、
オリジナルの24形を見つける機会が減っています。
いま両列車に使われる貴重なオリジナルルック
(オハネフ24は細かく言えば外付雨樋などでルックスが崩れてはいますが)
の24形が、かつて西鹿児島まで足を踏み入れていたかと思うと、
35年の歴史の重みを感じます。
電源車についても、カニ24 23と25が未だ健在。
23は電源エンジン更新で側面グリルがなくなり、屋根の通気口配置変更。
25は帯処理変更。
両者白帯化など、国鉄ルックからは外れましたが、頑張って働いています。


投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2008年 8月10日(日)12時53分4秒

タイトル

「富士・はやぶさ」写真館に写真追加

皆様、たくさんの「富士」「はやぶさ」の写真を投稿いただきありがとうございます。
とても貴重な写真や美しい写真が多く、感謝申し上げます。
本日、写真館に掲載写真を追加いたしましたので、訪問いただければ幸いです。
尚たくさんの写真を頂きました関係で、
掲載写真は厳選させていただいておりますのでご容赦下さい。
また、今後も特に昔の写真(20系時代やEF65牽引時代)を
中心に募集中ですので、よろしくお願いいたします。

投稿者のホームページ


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