倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
”かいもん”のスハフの向き
昭和50年代の「かいもん」のスハフ12の連結方向・運用について


倶楽部メモ(439) 平成20年 7月17日〜 7月19日


投稿者

みずきばる

投稿日

2008年 7月19日(土)09時52分18秒

タイトル

”かいもん”のスハフの向き

こんにちは。みずきばる、と申します。
さて、S50年代の”かいもん”のスハフ12の連結方向についてお聞かせください。
当時の編成表を見つけたのですが、
ナハネ20のとなりに12系の緩急車が2両続くのです。
”さんべ”の場合は車掌室が無い側が、20系と連結されていたと聞いています。
”かいもん(日南)”の場合、12系〜20系間の連結向はいかがでしたでしょうか?

給電の関係で何らかの決まりがあったのではとも想像しますが、
”ちくま”と”さんべ”では違ったようですし、
列車ごとに個性的であったのかとも思います。
よろしくお願い申します。

オユ14+マニ50+スハフ12+オハ12+オハ12+オハフ13+スハフ12
+ナハネ20+ナハネフ22(s55)


倶楽部メモ(440) 平成20年 7月19日〜 7月22日


投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2008年 7月19日(土)11時32分18秒

タイトル

Re:”かいもん”のスハフの向き

みずきばる様
客車列車の編成記録はそこそこ存在するのですが、
各客車の向きとなると記録がほとんど無いのが現状ですよね。
特に「かいもん」等の12系と20系の併結列車の場合の緩急車の連結向きは
模型化などの際に重要な項目ですが、
専門誌を見ても残念ながらほとんど掲載されておりません。
そこでお勧めなのが、当サイトのリンク集にも掲載させていただいている
「70年代後半の客車編成」というサイトで、各列車の編成はもちろん、
各客車の番号や車体色までも記録されていて、とても参考になるサイトです。
このサイトの編成記録の中の「20系急行」に
「12系併結」というページがありまして、
「かいもん」「ちくま」等の編成記録が掲載されていまして、
12系緩急車の向きも矢印にて記載されています。
それによりますと「ちくま」は車掌室側が20系との連結側だったようですが、
九州の「かいもん」「日南」は「さんべ」と同様にトイレ側(非車掌室側)が
20系側であったようです。
もちろん車両番号等も記載されていますので、ぜひ訪れてみてください。

投稿者のホームページ


投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2008年 7月19日(土)13時08分27秒

タイトル

Re:「かいもん」のスハフの向き

みずきばる様
スハフ12の向きは仙コリ@管理人様の書込みにある通りですね。
車掌室側からも電源の供給が出来るので
向きについては物理的な制約はなかったはずです。

しかし、「かいもん」「日南」とも鹿児島運転所持ちですが、
門司で同じ向きになるのが不思議です。
かいもん→日南→日南→かいもんのような循環運用だったのでしょうね。

昭和53年3月27日 門司 102レ「かいもん4号」 スハフ12 50

投稿者のホームページ


投稿者

クモイ103

投稿日

2008年 7月19日(土)22時33分33秒

タイトル

Re3:”かいもん”のスハフの向き

横レス失礼しますm(_ _)m。

>竹中@ノーブルジョーカー様
> かいもん→日南→日南→かいもんのような循環運用だったのでしょうね。

12+20系になってからの情報を持っていませんが、
少なくとも旧客時代にはお説の通りの循環運用だったようです。
さらに昭和50年3月改正前は「桜島」(←「霧島」)も絡んでいました。

【昭和47年3月改正 門鉄局客車運用表より】
運用番号:鹿1
行路:西鹿児島(1102)東京(回1102)品川(回1101)東京(1101)西鹿児島
       (102)門司港(501)宮崎(1521)西鹿児島
       (1522)宮崎(502)門司港(101)西鹿児島
編成:7ナハフ+6ナハ+5ナハ+4ナハ(現車4)
組数:7

列番1101・1102は「桜島」、101・102は「かいもん」、501・502は「日南」です。
これに「桜島」ではナハ+オロ+ナハフが、
また「かいもん」「日南」では
ハネ車とオロの付属編成に郵便荷物車がつくのですが、
基本編成の4両はなんと7組という壮大な運用だったのですね。


投稿者

EF6113

投稿日

2008年 7月21日(月)15時28分47秒

タイトル

桜島、かいもん

>クモイ103さま

いつも、しっかり1次資料に基づいた情報ありがとうございます。

501レは「日南」ではなく、「みやざき」ですよね。
(アラ探しのようで申し訳ありません。どうか気分を悪くされないで下さい)

桜島がかいもん、みやざきと共通運用だったとは知りませんでした。

高千穂と共通だったのかなあ、と漠然と思っておりましたので。

47年〜50年の高千穂の運用はどうだったのでしょうか。
お分かりなるようなら御教授下さい。


投稿者

クモイ103

投稿日

2008年 7月21日(月)22時22分5秒

タイトル

Re: 桜島、かいもん

 EF6113様、501レの件、ご指摘ありがとうございます。
昭和50年3月改正以前は仰る通り「みやざき」でしたね。
アラ探しだなんてとんでもありません。
私の誤りが放置されるのを防いで下さったことに感謝しますm(_ _)m。

 急行「高千穂」ですが、前出の資料によればこちらは単独の運用でした。
8〜14号車の7両がまとまって「鹿2」運用を組み、
西鹿児島−東京−品川−東京−西鹿児島を4組で回していました。

 「桜島」と「かいもん」の共通運用は、昭和36年10月改正まで遡ります。
それぞれの前身である「霧島」(当時は東京−鹿児島)と
「さつま」(当時は名古屋−鹿児島)が、
基本編成を共通運用として鹿児島側での折り返しの効率化を図ったものでした。

 昭和36年10月改正時の運転時刻は、
 ・「霧島」東京11:00→鹿児島13:33(翌日)、鹿児島15:55→東京18:20(翌日)
 ・「さつま」名古屋8:05→鹿児島5:55、鹿児島23:00→名古屋21:10
 鹿児島での「霧島」の間合いは短すぎて当日折り返しは出来ず、
1日以上の勿体ない滞留となって、4組の編成を要します。
一方「さつま」は3組で楽々回せますが、
これまた鹿児島での間合い時間が過剰です。
これを「霧島」→「さつま」、「さつま」→「霧島」と折り返せば
丁度良い滞留時間となり、編成数も6組となって1組節約できます。
 「高千穂」は、鹿児島側での間合いが「霧島」よりは効率的なため、
運用抱き合わせの対象にならなかったのでしょう。
 ・「高千穂」東京14:35→西鹿児島19:46(翌日)、
       西鹿児島12:00→東京16:50(翌日)

 さて「さつま」はその後昭和40年10月改正で、
名古屋−博多間昼行電車急行「はやとも」と、
門司港−鹿児島間夜行客車急行「はやと」に分離されますが、
「はやと」は引き続き「霧島」と共通運用され、
昭和43年10月改正の愛称名統合で「かいもん3−2号」となります。
 鉄ピク連載記事「国鉄急行列車愛称変遷史」では、
この時「霧島」と運用が分離されたように書かれています。
しかし「全国版 優等列車編成順序表 昭和43年10月国鉄白紙ダイヤ改正」
(2007年1月31日 ネコ・パブリッシング刊)では、
しっかり1・2・5〜7号車が共通運用であることがわかります。
このネコの本の内容は、同改正時の「主要客車列車編成順序表」ほか
国鉄内部の一次資料を丸コピーしたものですから、
“その筋”に興味のある方には必携の書かも?(たいへん高価ですが(^^;)


 余談ですが、急行「みやざき」は、
昭和47年3月改正で普通列車から格上げされたのですね。
ところがその頃辛うじて時刻表を読み始めた小学生だった私は、
迂闊にもその普通列車時代を認識しない(忘れた?)まま、
急行「みやざき」はずっと昔から存在していたように長い間思い込んでいました。
そのため前書き込みも、ついそんな錯覚のままで
「桜島」(←「霧島」)なんて書いてしまいましたが、
「霧島」が「桜島」に改称したのは昭和45年10月改正時ですから、
その頃急行「みやざき」はまだ存在しません。
普通列車時代はたぶん軽量客車ではなく、勿論共通運用ではなかったと思います。


投稿者

みずぎはる

投稿日

2008年 7月22日(火)02時15分12秒

タイトル

かいもんスハフ(感謝)

みずぎはるより、みなさま有難うございました。

>>仙コリ 様
サイトのご紹介ありがとうございます。この矢印は助かります。
12系急行西日本編の”かいもん”には矢印がなく、
こちらには有ることが判りました。
黄緑色の反転はきっと”指定席”ですね。

>>竹中@ノーブルジョーカー 様
お写真をありがとうございます。連結方向を確認できました。

>>クモイ103  様
循環運用のご紹介ありがとうございます。


倶楽部メモ(441) 平成20年 7月22日〜 7月28日


投稿者

EF6113

投稿日

2008年 7月23日(水)15時02分19秒

タイトル

霧島、高千穂、かいもん、さつま

>クモイ103さま

高千穂の運用形態ありがとうございます。
さすがに走行中、対向の同名列車と2回すれ違うだけに4組あったわけですね。

霧島とさつまが共通運用とは思いもよりませんでした。
さつまの運用終了後、オシ17をナロ10とナハの間に挿入して
霧島をしたて上京させていたのですね。

ほんとにいつも感謝です。これからもよろしくお願いします。

>理左衛門(バロン) さま

富士の写真ありがとうございます。

関門トンネル開通により実現した東京ー九州直通列車の歴史も
来年で終わるとうわさされています。
ほんとだとすれば非常に残念でなりません。


「客車倶楽部」へ
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
現在や過去の夜行列車に関する資料を掲載
全盛期の時刻表データ等も掲載しています
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから
 
客車専門サイト「客車列車の旅」