倶楽部メモ(410) 平成20年 3月18日〜 3月24日
投稿者
|
VIVIO T-TOP
|
投稿日
|
2008年 3月23日(日)22時33分8秒
|
タイトル
|
質問です。
|
|
初めての投稿で質問を失礼します。
先日、北関東をドライブ中にこの客車を見つけたのですが、
詳細をお分かりの方はいらっしゃるでしょうか?
特徴は、1.ダブルルーフ、2.20m級客車、3.三軸ボギー、
4.銘板によれば昭和5年川崎車両製、昭和33年長野工場更新修繕、
とあります。車番等はありません。
三軸ボギーということでこの車両の出自がとても気になります。
ご存知の方がいらっしゃったらよろしくお願いします。
|
倶楽部メモ(411) 平成20年 3月24日〜 3月25日
投稿者
|
クモイ103
|
投稿日
|
2008年 3月24日(月)20時01分11秒
|
タイトル
|
Re:質問です(三軸ボギーの保存客車)
|
|
VIVIO
T-TOP様、はじめまして。
ご投稿の写真、アンチクライマーがついて、いかにも初期鋼製車のたたずまいですね。
昭和5年製とのことなので、きっとカニ39550(→カニ37→カニ29 10番台)
だろうと見当をつけ、車両史編さん会刊「オハ31形の一族」(下巻)を繰ると、
同型式の大半はのちにスエ38になっている様です。
そこでリンク先の「国鉄事業用車博物館」を見てびっくり。
同サイトに掲載されているスエ38 3の写真の逆アングルではないですか?
「オハ31形の一族」によると、昭和5年7月30日に落成し東鉄に配属されたカニ39551は、
昭和16年の称号改正でカニ37 7、昭和28年の称号改正でカニ29 12となり、
昭和29年大宮、昭和33年6月長野工場でそれぞれ更新修繕を受けています。
その後昭和37年9月25日に大宮工場でスエ38 3に改造され、
昭和43年10月31日に廃車されていますので、
これで間違いないでしょう。
「国鉄事業用車博物館」では写真の撮影場所が書いてありませんが、北関東なのですか。
こんな大モノが今も姿を留めているというのは、奇跡のように思います…
(管理者注:一部投稿者様により訂正済みです。)
|
投稿者
|
マロネロ38
|
投稿日
|
2008年 3月24日(月)20時40分53秒
|
タイトル
|
カニ37?(-38)
|
|
VIVIO
T―TOP様
若しかしたらカニ39550=カニ37(-38)ではありませんか?
窓配置がよく解りませんがアンテイクライマーや貫通扉形状から、
それに窓がd+1+2+D--で推察ですが?
台車は3軸でTR71(イクオライザー付き)でしたか?
それなればカニ37(-38)でしょう
昭和5年川崎車両で6両建造ですが――――積載荷重14トン
製造時の窓配置はd+1+2+D+2+2+D+2+2+d(車掌室サイドからみて)
今のところこのぐらいしか解りませんが、横面の写真は撮影不可能でしたか?
|
投稿者
|
懐古知新
|
投稿日
|
2008年 3月24日(月)20時43分56秒
|
タイトル
|
Re:質問です(三軸ボギーの保存客車)
|
|
VIVIO
T-TOP様
初めまして、懐古知新と申します。
同じく、画像をみてびっくりしました。ぜひ現物を見てみたいものです。
|
投稿者
|
VIVIO T-TOP
|
投稿日
|
2008年 3月24日(月)22時25分56秒
|
タイトル
|
三軸ボギー車
|
|
クモイ103様、 マロンネロ38様、 懐古知新様、
早速アドバイス等いただき感謝いたします。
リンク先の国鉄事業用車博物館にあるスエ38 3というのがまさに、という感じです。
私が見たのはリンク先の写真とは反対側と思われます。
どうも個人のお宅にあるように見受けられましたので
あまり突っ込んで写真は取れませんでしたが、もう一枚添付します。
それにしても三軸ボギー+ダブルルーフなど、鉄博の展望車ぐらいしか知らないので
昨日写真を撮ったときに興奮してしまいました。
ちなみに撮影場所は水戸線の沿線です。
|
投稿者
|
VIVIO T-TOP
|
投稿日
|
2008年 3月24日(月)22時35分37秒
|
タイトル
|
三軸ボギー台車
|
|
くどいかもしれませんが、台車アップの写真もあげさせていただきます。
旧型客車といえばせいぜいスハ32以降くらいしかわからない私にとっては
皆様の知識は脱帽モノです。
|
投稿者
|
仙コリ(管理人)
|
投稿日
|
2008年 3月24日(月)23時16分24秒
|
タイトル
|
Re:質問です(三軸ボギーの保存客車)
|
|
話題になっております三軸ボギーの保存客車についてですが、
クモイ103様の書き込みにあるとおりスエ38 3で間違いないと思います。
VIVIO T-TOP様も書き込んでおられるとおり、
この車両は個人の所有物であり一般開放しているわけではないので、
あえて「保存客車リスト」には掲載していませんでした。
実は所有者の方が友人の知り合い(親戚?)で、昔(もう25年ほど前ですが)
訪問させていただいたことがあり、客車はもちろん、撮影された蒸気機関車の
写真などを拝見させていただいたことがあります。
かなり以前のことなのでおぼろげにしか記憶は無いのですが、
あの貴重な車両が今でもこのように元気でいる事、本当に嬉しい限りです。
車歴等は皆様のお書きになっているとおりで、本当に貴重な3軸ボギー車の
生き残りなのですが、あくまでも個人所有の車両ですので、
ここをご覧いただいている皆様には、節度ある対応をお願いしたいと思います。
|
投稿者のホームページ
|
投稿者
|
マロネロ38
|
投稿日
|
2008年 3月25日(火)10時22分43秒
|
タイトル
|
カニ39550―スエ383
|
|
矢張りそうでしたか。
個人様の所有物とは驚きました、押しかけたりしない様に注意しなければなりませんね。
それにしてもTR71つきがまだ残っているのは旧客ファンには嬉しい事です。
揺れが激しい台車でしたが----
|
投稿者
|
ホエ7030
|
投稿日
|
2008年 3月25日(火)11時36分53秒
|
タイトル
|
スエ383は想い出のカニ29
|
|
貴重な保存車スエ383の話題、懐かしく拝見しました。
スエ383は、私もS61年2月に、ご家族の方の了解を得て見せていただきました。
当時は、記号番号、所属(東ツソ)、全検などの標記類は残っていましたが、
雨樋の一部の欠落や塗装の劣化などが見られ、先行きが気になっていましたが、
現在は立派な上屋が設置されているようで、
所有者の熱意、ご努力に敬意を表したいと思います。
このスエ383の前身であるカニ2912は、
私が客車に興味を持ち始めた頃に時々見かけた想い出に残る客車です。
朝の登校時に上ってくる「十和田」の上野方2両目に
軍用荷物車(ユニ扱い)が連結されていたのですが、
その「米専51?」の運用に就いていて、
「カニ MB−3201」という珍しい記号番号とともに、
侵入防止のために全窓の外側に取り付けられた縦棒や、
全てのドアの窓が塞がれていたことなどが印象に残っています。
なお、台車については、TR71によく似ていますが、
形式図その他の資料によりますと、
カニ2911〜16(旧39550形)のために各所が強化されたTR75のようです。
(291〜3はTR72。2921〜23は元マロネ37の軍用
マハネ29の改造なのでTR71かと思われます。)
|
投稿者
|
マロネロ38
|
投稿日
|
2008年 3月25日(火)14時00分31秒
|
タイトル
|
TR75
|
|
増結投稿すみません。
国鉄臨時設計事務所の「客車形式図」の参考資料にでていますね。
(TR72の枕バネとブレーキてこ比変更:昭和5年度荷物車)
カニだったので幹線専用だったらしいですが、常磐線で見られたのは
機関車牽引定数が大きかったからでしょうか?
常磐線はC61か後にC62(軽)だったですから----
|
倶楽部メモ(412) 平成20年 3月26日〜 3月28日
投稿者
|
スイロフ
|
投稿日
|
2008年 3月26日(水)00時42分46秒
|
タイトル
|
Re:スエ38
3
|
|
久しぶりに書き込みいたします。
私も写真を見てびっくりしました。保存されている方に心から
敬意を表したいと思います。
元車のカニ39550といえば、特急「富士」に連結されていたのが
有名?でしょうか。
話は脱線しますが、スエ38というと、総武本線佐倉駅外れの留置線に
いたのを見たことがあるスエ38
8(元カニ38)が思い出されます(^^;;)。
|
投稿者
|
くらやみのまろ
|
投稿日
|
2008年 3月26日(水)01時42分9秒
|
タイトル
|
「十和田」のカニMB-3201
|
|
皆様はじめまして。
こちらのサイトと掲示板は、数年前より拝見しておりました。
今までも何度か書き込みしたいと思いましたが、
今回、個人的に非常に思い入れの深い事に関する話題が出ていまして、
ついに我慢できなくなりましたので(笑)、書き込みさせていただきます。
>VIVIO
T-TOP様
スエ38
3の写真を拝見して、感激してしまいました。
クモイ103様も触れられている「国鉄事業用車博物館」に
1999年5月撮影の写真が掲載されていますので、
以前から「まだ現存しているかも?」と思っていたのですが、
おかげさまで現存が確認できて大変うれしく思います。
ちなみに、写真を拝見してすぐに「カニMB-3201だ!」と確信していました(笑)
>ホエ7030様
当方は1950〜1960年代の常磐線の列車に強い思い入れがありますので、
以前よりホエ7030様の書き込みと写真は、
非常に興味深く拝見させていただいております。
…しかしまさか、「十和田」(当方の最も好きな列車です)のカニMB-3201を
ご覧になっているとは驚きです。
この車両の形式図からも、『全窓の外側に取り付けられた縦棒や、
全てのドアの窓が塞がれていた』ことが伺えはしたのですが、
実車をご覧になった方の証言に接することができるとは思いませんでした。
ところで、差し支えなければ、カニMB-3201の連結された「十和田」を
ご覧になった時期をお教えいただけないでしょうか?
当方は1970年代後半生まれでしたので、「十和田」という名前の列車すら
見ることは叶わなかったのですが、
最寄の路線が常磐線だった関係もあり、昔の常磐線への興味が強くなり、
十数年前に資料を探しているうちに、下記の編成記録を発見することができました。
(『鉄道ジャーナル別冊23 JR急行・快速列車』より引用)
1954.10.24 急行「十和田」 1201列車 東京→青森
EF56
9 浜
ホシ3307
マロネフ38 2 仙台行
スハフ42 259
スハフ42 125
スハ43
251
スロハ32 2
マシ29 2
スロ60 29
マロネ29 25
マロネ29 31
マイネ38
5
カニMB-3201
マニ31
28
(客車の配置区は全て東シナ)
地元の常磐線に、かつて、これほどの豪華列車が運転されていたことに驚くとともに、
これを見たことで、この頃の常磐線の客車列車への傾倒が
ますます激しくなってしまいました(笑)
そのようなわけで、この編成は当方にとって一種のバイブルとも言えるのですが、
それに連結されていたカニMB-3201(スエ38 3)が現存していることは、
本当に嬉しく思いますし、
筋違いかもしれませんが、所有者の方には感謝申し上げたく思います。
長々と駄文を連ねてしまい、失礼いたしました。
それでは皆様、今後もよろしくお願いいたします。
http://blog.goo.ne.jp/kurayaminomaro/
(←この書き込みとは全く傾向が異なるブログですが…(汗))
|
投稿者
|
Yokoyama
|
投稿日
|
2008年 3月26日(水)09時55分15秒
|
タイトル
|
カニMB-3201
|
|
皆さま、こんにちは。
管理人さま、たいへんご無沙汰しております。「国鉄事業用車博物館」のYokoyamaです。
VIVIO
T-TOPさんの画像を見て私もたいへん懐かしく思いました。
弊サイトに展示してある画像はもう今から9年前に許可を頂いて撮影したものです。
個人の所有物ですので、あえて撮影場所は記述していませんでした。
今も変わらない姿で保管されている様子を拝見しうれしく思いました。
くらやみのまろさん、はじめまして。
スエ38 3の前身であるカニMB-3201にたいへん思い入れがあるご様子ですね。
何かの参考になるかと思いその画像をご紹介しようと思います。
本来であればこちらの掲示板に投稿したいのですが、使用上の制約があり
弊掲示板にてご覧下さい。管理人さま、リンクご容赦下さい。
|
投稿者のホームページ
|
投稿者
|
クモイ103
|
投稿日
|
2008年 3月26日(水)19時51分58秒
|
タイトル
|
スエ・カニMB
|
|
スエ38 3が個人所有とは、私も驚きました。
大切に管理されている様子で、所有者の方に敬意を表したいと思います。
くらやみのまろ様、貴ブログはしばらく前から拝見しております
(琴電の関係で、まろねふ様にお引き合わせしたら面白いかな?と勝手に…)。
当サイトとは一見縁が無さそうに見えて、実はディープな客車ファンの片鱗を
感じさせるお話しがありましたが、やはりお詳しいのですね(笑)。
Yokoyama様、江本氏によるカニMBの写真、拝見しました。
向かって左から2番目のベンチレーター脇にあるものは、
軍用改造で設けられたトイレの臭気抜きでしょうか?
|
投稿者
|
Yokoyama
|
投稿日
|
2008年 3月27日(木)08時17分24秒
|
タイトル
|
Re:スエ・カニMB
|
|
皆さま、こんにちは。
>クモイ103さま
トイレの臭気抜きで間違えないと思います。
この車両は「連合軍用客車改造形式図」にVC03265として室内図が残されており、
この場所には種車にはなかった便所が設置されています。
モデラーの方は要チェックのポイントですね。
車掌室の座席も2等用に変更されるなど、外観同様に室内も特異な雰囲気を感じます。
|
投稿者のホームページ
|
投稿者
|
きむたお
|
投稿日
|
2008年 3月27日(木)11時27分11秒
|
タイトル
|
北陸線夜行編成など
|
|
こんにちは。美しいスエ38の発見、すごいことですね!
私は3軸の客車といえば宮原のマイテ49 2、高崎のスエ78 15しか見たことがなく、
この端正なサイドビューと重厚な台車の取り合わせに感動が収まりません。
70年前の客車をこれだけの状態で維持しているオーナーの方に敬意を表しますm(__)m
▼
雑魚様・赤まんと様
すばらしいお言葉ありがとうございます。m(__)m
じつはここでシュプール白馬栂池の回送編成の20系も撮っているのですが、
車番を控えていないのであります・・・。
せめて、最後部だけでも車番が分からないとその写真の価値は
限りなく「0」に近いと私は思っております。
編成の記録は客車のほかに気動車でもいろいろ取っておりますが、
運転台の向きや更新・未更新などまだまだ楽しいです。
▼
壁線様
おたずねの件につきまして、古いメモをあさってみました。
恥ずかしながらメモを取り始めたのが1992年頃からであり、
かろうじて20系臨時列車に間に合ったという感じです。
というわけで、トワイライト色のEF81と20系の組み合わせの記録が1件ありました。
このほかにも同色の機関車と20系の組み合わせは見ておりますが、
残念ながら写真を撮っただけ(懺悔)とか、団臨運用のみであります。
'92/12/26、9503レ、「急行あおもり」、大阪にて。
EF81
103
ナハネフ22 25
ナハネ20 219
ナハネ20 227
ナハネ20 233
ナハネ20 102
ナハネ20
229
カヤ21
15
*EF81はトワイライト色。
なお、「つるぎ」は最寄の富山が通過(一時期運転停車していたこともあったようですが、
私が記録を撮り始めたころにはすでに本当に通過でした)だったために
記録が皆無に近いです。
また、トワイライト色の電源車の入ったメモはありませんでしたm(__)m
↓は「つるぎ」の運転が終わった翌日、返却回送を金沢に出向いて記録したものです。
宮原のスター「カニ24
11様」が組み込まれているのが感慨深いです。
'94/12/4、回8006レ、金沢(2:55)にて。
EF81 45
カニ24
11
オハネフ25 22
オハネ25 83
オハネ25 82
オハネフ25 20
オハネフ25 31
オハネ25
88
オハネフ25
32
・すべて24系25形の基本番台で揃った美しい編成でした。
ハネフがやたらとたくさん入っているのは模型屋さん泣かせであります(^^;;;
添付写真は本題とは直接関係ありませんが、
トワイライト色のEF81が牽引する20系の団臨です。
'95/1/14、9515レ、富山にて。
EF81
104
ナハネフ22 26
ナハネ20 306
ナハネ20 360
ナハネ20 338
カヤ21 16
|
投稿者
|
くらやみのまろ
|
投稿日
|
2008年 3月27日(木)19時04分54秒
|
タイトル
|
Re:カニMB-3201
|
|
>Yokoyama様
はじめまして。
Yokoyama様のHPは以前より拝見しておりまして、
膨大な数の貴重な写真は、多いに参考にさせていただいております。
カニMB-3201の画像掲載、ありがとうございます。
Yokoyama様のHPと、VIVIO T-TOP様の写真で、
スエ38 3としての姿が見れただけで十分嬉しかったのですが、
貸渡客車当時の写真を拝めるとは夢にも思わず、ますます感激してしまいました。
前出のスエ38 3の画像では、窓が数箇所埋められ、
車掌室側の妻面にはHゴム支持の後方監視窓が設けられていますが、
貸渡客車当時からそうであったのかという点がわかりませんでした。
しかし、今回掲載していただいた画像を拝見しますと、各扉窓の閉塞、
側窓外側の保護棒以外は原形に近い形態だったようで、
おかげさまで、貸渡客車当時における形態上の不明点の大部分が解消されました。
また、クモイ103様も指摘されている臭気抜きは、
室内図通りにトイレが設置されていたことを伺わせ、
模型を作るとしたら再現したい特徴です。
ただ、臭気抜きはあるのに、流し管が見当たらないのが気になります…
(台車の内側に設けられているのでしょうか?)。
>クモイ103様
当方の拙いブログをご覧いただいているようで、ありがとうございます。
こちらのHPと、当方のブログの内容はあまり関係がないので
リンクを貼るかどうかは少し迷ったのですが、
少しは客車ネタも掲載するようになったので(近年の寝台車ネタですが)、
貼らせていただきました。
元々当方は、在来形客車に最も興味がありましたので、
ブログでもそういったネタを扱いたい気もしますが、
それの実車は保存車くらいしか接する機会が得られず、
写真も保存車を撮ったものしかありませんので、
結局、最近の客車ネタの端々に、昔の客車の話が混ざる形になってしまっています(笑)
|
投稿者
|
VIVIO T-TOP
|
投稿日
|
2008年 3月27日(木)21時04分27秒
|
タイトル
|
スエ38 3
|
|
しばらくアクセスしていない間にずいぶんと話題が広がっていたようで驚きました。
それぞれの方が思い入れを持っているようで興味深く掲示板を読ませていただきました。
私自身、最初このハコに出会ったときには
まさか戦前の欧亜連絡特急「富士」の荷物車などと考えもしませんでした。
次回見てみるときには少し違う気分で見ることができそうです。
もちろん所有者の方の邪魔にならないようにですが。
|
倶楽部メモ(413) 平成20年 3月28日〜 3月30日
投稿者
|
ホエ7030
|
投稿日
|
2008年 3月30日(日)18時01分41秒
|
タイトル
|
十和田の米軍MB車
|
|
>くらやみのまろ 様
はじめまして。
大変遅くなりましたが、私が「十和田」を頻繁に見るようになったのは、
昭和31年の4月に汽車通学を始めたときからで、
私が利用していた普通列車の少し前に上りの「十和田」が通りました。
それまで見たことも無いマロネ49、マロネ29、マロネフ49などが
組み込まれている非常に重厚感のある列車で、
前から2両目に駐留軍貸渡し客車であるマニMB
またはカニMBー3201が連結されていたわけですが、
私にとって「カニ」は珍しかったので、メモが残っているのだと思います。
たまにはマハネ29も連結されていたりして、
私のメモには292,299,2910,2931を見た記録がありますが、
当時の私は、MB車やマハネ29が駐留軍貸渡し客車であることなど全く知らず、
「戦後初の3等寝台車ナハネ10形誕生」の報道を見て、
「マハネ29があるのに戦後初というのはおかしい」と思ったものでした。
もちろん「MB」の意味を知ったのもずっと後になってからです。
私は、MB車やマロネ49が入っていた当時の「十和田」の編成を
模型(1/80)で再現しようとして、
相当前にキットを確保しているのですが、未だに実現していません。
現在取組み中の戦災復旧荷物車群の次には着手したいと思っています。
|
倶楽部メモ(414) 平成20年 3月30日〜 4月12日
投稿者
|
くらやみのまろ
|
投稿日
|
2008年 4月 2日(水)01時23分52秒
|
タイトル
|
昭和31年11月改正前の「十和田」
|
|
>ホエ7030様
質問にお答えいただき、ありがとうございます。
「十和田」をご覧になられたのは、昭和31年4月からでしたか。
カニMB-3201の連結された編成記録は、先日の書き込みで転載した
昭和29年10月のものしか知りませんでしたで、
31年4月以降にもカニMB-3201が連結されていたというのは、大変貴重な情報です。
当時の常磐線における、急行列車のロネの連結両数は大抵1両だったようですが、
そうした中で、戦前の特急「富士」で使用されたマロネ49(マイネ37130)、
マロネフ49(マイネフ37230)などの優等寝台車を連結した「十和田」は、
際立った存在感を示していたのではないかと想像されます。
昭和29年10月〜31年11月改正までの「十和田」は、
もし叶うのなら、最も見てみたかった列車です。
(この改正後、ナハネ10やスハシ38などを連結するようになった「十和田」にも、
違った魅力を感じますが)
マハネ29は、側窓下に「寝台」と三等の標記もあり、
外観上はれっきとした三等寝台車に見えますから
『マハネ29があるのに戦後初というのはおかしい』と思われたのも、
無理はないように感じます。
ところで、手持ちの資料の中で、
31年11月改正以前の「十和田」の編成記録は6本ありますが、
この内、昭和31年11月19日、最後の東京着となった「十和田」にも
軍番号マハネ3430・3435(マハネ29 8・27)が、
機関車と荷物車の間に連結されていたようです。
このマハネの連結は、この日だけの例外的なものかと思っていたのですが、
『たまにはマハネ29も連結されていた』とのことで、
模型でも、たまにマハネを増結してみると楽しそうです。
『MB車やマロネ49が入っていた当時の「十和田」の編成を模型化』ですか…。
1/80ですと、素晴らしく迫力のある編成になりそうで、
できるものなら、是非とも拝見してみたいと思ってしまいます。
また、この頃の「十和田」は、数少ない編成記録や写真を見るだけでも、
荷物車・マロネ29・食堂車・特ロに様々な形式が使用されていたことが伺えますが、
どのような編成で模型化を考えられているのか興味深いです。
…戦災復旧荷物車群というのも興味津々ですが(笑)
当方は、約13年前に1/150で、昭和29年10月の「十和田」を製作しましたが、
資料・知識共に不足していた学生時代の作のため、
今となっては考証ミスが多過ぎる、恥ずかしい品になってしまいました…。
そのうち、考証ミスを是正した同時代の「十和田」を作って、
さらに昭和34年9月までの編成を網羅できるだけの車両も揃えたい…と、
かなり前から考えてはしていますが、
実現するのはいつの日になるのかわかりません…(汗)
|
|