雑魚様が触れられた通り、
今年は青函トンネルと瀬戸大橋の開通20周年にあたります。
(ちょうどリンク先のノーブルジョーカー様の掲示板で話題にしたところでした。)
明治・大正・昭和の3代にわたり、
島国日本の鉄道網を一つに結びつけてきた鉄道連絡船。
その実質的な終焉から、もう20年も経ってしまったのですね。
国鉄からJR北海道に引き継がれた青函航路は、
昭和63(1988)年3月13日の青函トンネル開通を受け、
その日1日だけトンネルと併存して運航されたのを最後に、
定期運航を終了して休止となりました。
同年夏、青森と函館の両港で開催された「青函博覧会」の期間中、
十和田丸と羊蹄丸がそれぞれ1日1往復の復活運航を行い、
博覧会の終了と共に正式に廃止されました。
JR四国に引き継がれた宇高航路は、同年4月10日の瀬戸大橋開通に伴い、
同日0:05宇野発の臨時便讃岐丸を最後に、主力船舶の運航を終了しました。
高速艇「しおかぜ」だけが残りましたが、
急行料金を収受していたためか利用者数はじり貧だったと見え、
次第に便数を減らされて、わずか2年でひっそりと消え去りました。
写真は「青函博」に伴う復活運航の上り十和田丸船上から、
すれ違う下り羊蹄丸を写したものです。
実は“現役時代”の青函航路では、このアングルの写真は撮れませんでした。
なぜなら、船舶は右側通行が原則のところ、
青函航路は例外的に左側通行で運航されていたためです。
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