倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
カートレインについて
貨車にクルマを積み込み、ドライバーや同乗者は客車に乗るタイプの列車



倶楽部メモ(348) 平成18年10月18日〜10月30日

投稿者 ゆたんぽ
投稿日 10月28日(土)19時34分47秒
タイトル 貨物なのでしょうか?
JR?貨物>?よく分からないのですが、以前テレビでフェリ−のような
鉄道が放送されていました。
後ろが貨物のようになっていて、車をも載せられて、自分は前の人が乗る場所?
に乗る!というものです。
名古屋に住んでいて、名古屋にも停まる列車なんだ-って思っていたのですが
どうしても名前が思い出せません。
このような列車をご存知ないですか?

投稿者 青列車
投稿日 10月29日(日)09時13分26秒
タイトル カートレイン?
>>ゆたんぽ様
お尋ねの列車、貨車にクルマを積み込み、ドライバーや同乗者は客車に乗るタイプの列車でしょうか?
おそらくカートレインではないかと存じます。
かつて首都圏〜北九州、首都圏〜北海道、名古屋〜九州などに運転実績があります。
運転主体は旅客会社持ちでした。
アイディア自体は秀逸だったのですが現在は運転されていません。

欧州大陸には現在も運転例があるかと思います。
投稿者のホームページ

投稿者 岩崎安房守源義将
投稿日 10月29日(日)09時41分19秒
タイトル CarTrain
 管理人様、皆様、御無沙汰しております、岩崎安房にございます。
 飯の種なる作業が遅々として進まず、13時間/日電能の前と言う日々で若干引き蘢り壮年です。
 さて、ゆたんぽ様のそれはカートレインでは?
 今手許に資料が無く(と言うよりは他の資料に囲まれて捜せない)のですが、
当初はカヤ22又はカニ21+ナロネ21数両+ワキ万かスニ40幾つかで構成されて
汐留〜東小倉間設定自家用車+旅客輸送の「旅客臨時急行」列車で、
何と「手回り荷物」(拡大解釈)として自家用車を運んだ幻のサービスです。
 他に24系となって隅田川か田端から苗穂までの北海道便や、
モトトレインの名でオートバイ輸送とした(こちらは24客+マニ50)ものもございましたね・・・
 但し荷物車に積載する場合、危険物のガソリンは御法度だった関係で油抜きをしなければなりませんで、
とにかく人手の掛かるサービスと言う事でひっそり消えたものです。
 割合として利用数があったのですが、「実売数値」の上がるレンタカー利用促進への方針転換や
労使関係の関係から廃止したと聞いております。

 C62機つばめの皿だそうですが、事実ならば商品と言うよりは文化財です。
 是非そのままお待ち頂いて、実機本線運転に際して賃貸して頂く方が宜しいと存じます。
 11月19日で東海道本線電化半世紀、この時期にですから事実なら吉兆です。
 宗教的な話題で恐縮ですが、全て存在するものには存在意義=使命があります。
 公園のSLとして錆びてしまっている彼等にも、この国土の基盤を支える輸送の使命があり、
客車にも数多くの御客様の時には嬉しく、時には悲しく、不安もあり期待もある
そんな人生とその未来を運ぶ使命がありました。
 物と考えれば単なる鉄塊です。
 しかし、そこにドラマがあり、歴史があり、情熱があり、こだわりがあり、無数の人間の手の温もりが加わって、
それに脚点を置いて見ればFe塊は「鉄路の勇者」であり「鉄路のプリマドンナ」であり、と変わるのです。
 C623機もある人が見れば手宮に置いてあった140tの鉄塊です。
 それを「走将」と呼び「仲間」と呼びする視点の人達が居ればこそ、
鉄塊が道民総生産額を押し上げる程の「機関車」となったのです。
 お手持ちの皿(ヘッドマーク)もその使命があったのであり、また現在も厳然と存在するものです。
 saiman様、どうかその栄光の歴史を正に時代の先頭で空気を浴びた「鉄円板」を大切にして下さいませ。
 それが手許にあった事を誇りとして下さいませ。
 それを機関車の頭に取り付けて、腰の手拭いで拭いた鉄道屋の心意気を感じて下さいませ。

 雑魚様、DEの在来車5B、しびれますね〜
 JRさんもやれ近代化だの高速化だのと格好付けずに(所詮1067のB級鉄道なのですから・・・)
定型化運行されれば良かろうものを・・・
 一方で絶対数在来車は不足しています。
 25年前、C623機に夢中だった頃は未だ在来車は全国で現役でしたので、
無論「確保」の必要性は頭を掠めましたし話題にもなりましたが、ここまで壊滅的になるとは・・・
 やはりJR北海道のスハフ44廃棄が恨めしい・・・
 相変わらず長文で失礼致しました・・・

投稿者 クモイ103
投稿日 10月29日(日)22時48分36秒
タイトル カートレイン3
 ゆたんぽ様、はじめまして。
 すでに青列車様、岩崎安房守源義将様がお答えになっている通り、それは「カートレイン」ですね。
 それにしてもショックです。
なんたって一時は「日本の鉄道の新しい発展形のひとつ」とさえ思っていたカートレインが、
「なにこれ?昔こんなのあったの?」になってるんですから(^^;。
そういえばピギーパックもそんな感じですね…

 東京側のターミナルは当初汐留でしたが、廃止により恵比寿へ移り、
さらに恵比寿の貨物ヤード廃止で浜松町に専用ホームが設置されました。
そして都営地下鉄12号線(大江戸線)の工事に絡んだ浜松町付近の新幹線線路移設のため、
カートレインホームが用地を明け渡して、首都圏発着のカートレインは姿を消しました。
なお、ターミナルは「カートレイン北海道」も同じで、これの運転開始時には恵比寿だったかもしれませんが、
隅田川や田端から出たことはなかったと記憶しています。
 「モトトレイン」は急行「八甲田」に併結のため上野駅の地平ホーム発着で、
かつての小荷物輸送用の通路からバイクを出し入れしていました。
青森からはそのままの編成で臨時快速「海峡81号」となって函館まで運転していました。
なお、青函トンネル開通前はバイクを積んだマニ50を連絡船で航送していました。
 また、大阪(梅田?)から北陸経由で行くバイク便もありましたね。
曖昧な記憶ですが、当初「モトトレイン○○」といった愛称名だったものが、
「元取れん」はあかん、「元取れる」にせえや、ということで「モトトレール」となりました。
さすがJR西日本(笑)。

投稿者 ゆたんぽ
投稿日 10月30日(月)15時30分26秒
タイトル ありがとうございます。
青列車様・岩崎安房守源義将様・クモイ103様 お返事ありがとうございます。
JRに電話で聞いても そのような列車はありません と言われたのでコチラに来ました。
今は運行されていないのですね。
残念です。
初めてコチラに来ましたが、ココに辿り着くまでに色々列車を見ました。
小さい頃寝台車に乗って出かけていましたが、最近はもっぱら飛行機です。
今度時間がゆっくり取れたときには列車での旅もいいな-って思いました。
皆さん・ありがとうございました。

倶楽部メモ(349) 平成18年10月30日〜11月13日

投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 10月31日(火)00時18分39秒
タイトル カートレインの記事
ゆたんぽ様、はじめまして。
カートレインについての記事が掲載されていた鉄道誌の記憶があったので探してみたところ、
鉄道ジャーナル別冊No.26「JRブルートレイン」に、1993年当時のカートレイン九州の乗車記が掲載されていました。

記事によりますと当時(1993-4-26)の編成は
牽引機がEF65-1000(浜松町−下関)EF81-400(下関−東小倉)DE10-1500(東小倉構内)
小倉よりからカヤ21、ナロネ21×3両、ワキ10000×9両(内2両は広島止まり)
だったようです。

同記事にはコラム的にカートレインユーロ名古屋についての記事も掲載されていますので、
当時の様子をうかがい知る事が出来る、数少ない資料なのではないかと思います。
1993年発行の書籍なので入手は困難な可能性もありますが、興味があるようでしたら、ぜひご一読される事をお薦めします。

投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 10月31日(火)06時40分39秒
タイトル Re:カートレインの記事
車掌@仙コリ様。みなさま。
ご無沙汰しております。
カートレインを扱った書籍には「RM LIBRARY84 車を運ぶ貨車(下)」があります。
下巻の第5章カートレイン・モトトレインではカートレイン名古屋のマニ44、モトトレインのマニ50を含め、
いわゆるカートレインの全てが解説されています。
こちらは今年の本だけに入手も容易かと思います。
貨車の本だけに客車ファンにとっては落とし穴かもしれませんね。

投稿者のホームページ

投稿者 まろねふ
投稿日 11月 1日(水)01時34分40秒
タイトル カートレイン
管理人様、ご覧の皆様。大変ご無沙汰しております。
私も、ここでカートレインの話題を見て、拙ブログで人前には出せないような恥ずかしい写真を貼り付けて呟いております。
何せ、ついでに撮影した写真ばかりなので、いい加減なものばかりですが、ちょっと覗いてみてくださいませ。

投稿者のホームページ

「客車倶楽部」へ
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
現在や過去の夜行列車に関する資料を掲載
全盛期の時刻表データ等も掲載しています
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから
 
客車専門サイト「客車列車の旅」