臨時「燕」の編成ですが、昭和6年〜7年は スハニ35700(31)+スハ32800(32)×3+スシ37740(37)+スロ30800(32)+スハフ34200(32)
でしたが昭和9年になるとスハが増えて、その代わり最後尾がオロフ32になっていました。 これ以降は「臨時燕」ではなく「不定期燕」です。 スハニ35700(31)+スハ32800(32)×4+スシ37800(37)+スロフ31050(オロフ32)
昭和10年になりますと一等が連結されます。 スハニ35700(31)+スハ32800(32)×4+スシ37740(37)+スロ30800(32)+マイネロフ37260(32)
EF58
41さんの書かれた編成は
スハニ31、スハ32、スハ32、スハ32、、スハ32、スロ34、スシ37、スイロネフ37
(形式は便宜的に昭和16年改正後で標記)となっていますが、
スロ34は下等客の上等車輛通り抜け禁止の原則からいって、食堂車の後ろにくると思われます。
スイロネフ37はマイネロフの誤記と思われますが、
マイロネフ37280(37)とすると、これは17列車に増結する敦賀行き用車輛になります。 マイネロフ37260は一等寝台と二等座席の組み合わせでした。
何故昼行列車に一等寝台車が連結されたかというと、
一等客には要人が多いのでセキュリティの為に個室が必要だったからです。 そのため、昼行用の一等展望車スイテ37020、37030、37050には個室が設置されていました。 逆に夜行区間のある「富士」用展望車スイテ37000、37040、マイテ37010に個室がありません。
牽引機のC51ですが247号機だけは何故か長らく給水温め器がなく、「燕」から退いてから本省式が付いたようです。
C53は「燕」受け持ちの沼津機関庫では整備が旨く出来なかったこと、
御召機がC51牽引だったように信頼感からC51牽引となったようです。 ただし、「櫻」や13列車では試験的に牽引したという記録があります。 丹那トンネル開通後は沼津以降がC53牽引になりました。 |