久々に私の出番(笑)… 
           さだお様、はじめまして。客車の所属を表す標記方法は、年代によって変遷しています。 
             
             ご質問にあるような、所属標記が車号標記に隣接していたのは、昭和20年代前半から30年代半ばまでの時期でした。 
            はじめは左に所属、右に車号が、それぞれ上下2段で書かれていました。 
            しかし昭和27年8月20日の図面変更により、上段に所属、下段に車号という並び方に変更されました。 
            なお、その後昭和34年6月には、車両塗色及び標記方式規程の改定に伴って、 
            所属標記は現在のように車体側面左下隅に移動しています。 
             
             所属標記は、もともと戦前は現在と同じように左下の隅でした。 
            それが車体中央の目立つところに出てきたのは、実は戦後の混乱期の事情だったのです。 
            物資が不足していた当時、すり減ったブレーキシューを交換できないまま走り続け、 
            運用途中で危険と判断され、編成から抜かれて所属区に戻れない客車が続出したといいます。 
            また、運用上入区してきた他区の編成から状態の良い車輌を抜き取って、 
            自区の状態不良車と差し替えてしまう…という行為があったとも巷間言われています。 
            とにかく、「混乱した客車の所属を一目で識別し易くする」ために、標記の方法が変更されたようです。 
             昭和34年の規程改定で、戦前と同じ標記方法に戻ったことは、 
            「もはや戦後ではない」と言われた時代背景と、無縁ではないように思います。 
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