お邪魔しますm(_
_)m >>なかむら様
お尋ねの件ですが、単純な誤植ではないでしょうか?
例えば1966年11月17日だったとしたら如何でしょうか?
昭和41年の時点であれば、青塗りの一般型客車は存在していました。
ただ、その時点で果たして並ロザがあったか?となると生憎私は存じません。
以下推測になりまして恐縮ですが…
43−10の時点ではおそらく並ロザは絶滅=例外があるとすれば113系用のサロ車?=していたものと思われますが、
彼らが本格的に格下げ改造を受け出したのはおそらく1960年代になってからと思われますので、
一時的に両車が手をつなぐ事はあったのではないでしょうか?
殊に東海道本線東京口や伊東線はロザ需要が高い=現在でも通勤列車と雖もロザを編成し、
グリーン定期の利用客も多く、時間帯によってはグリーン車に立ち席客がいる=のですから、
或いは伊東線直通の週末臨時急行や、本線のローカル駅への郵便荷物輸送用にマニ・オユを挟んだ長距離鈍行などに
ロザが連結された可能性があります。
(1967年の時点で東京発大阪行き143レにはスロ51が連結されていました。
仮にもリクライニングシート装備の特ロですが、冷房化対象外だったので或いは並ロ扱いだったのかも知れません)。
さて、ココまで記載して気がついたのですが、オロの帯にII、オハの窓下にIIIの記号がありました。
2等急制以降後にもこの記号があったのでしょうか?
もし、そうでなかったとするとまたまた「?」ではあります。或いは? 原版をCG解析する際、このオハ車の車体塗装を青と見間違え、印刷の際この色で再現してしまったのでしょうか?
(ぶどう色2号と青15号は彩度があまり違わないのか?
光線状態によっては肉眼でも茶色が青に、青が茶色に見えることがしばしばありました。
カラーフィルムに残された画像だと更に保存状態によってその辺が紛らわしくなります)。 誠に申し訳ありません。レスを書きながら私も判らなくなってしまいました。 |