皆様御無沙汰しております、岩崎安房にございます。 集団就職列車は労働省が要請した「包括団体専用臨時列車」で、扱いは「料金免除の準急」だったと記憶しています。
ルートは最盛期で「T口」(東北本線青森・盛岡〜上野間、一部常磐線経由)、「O口」(奥羽本線経由青森〜上野間)、
「J口」(羽越本線上越線経由秋田〜上野間)、「B口」(常磐線相馬・水郡線郡山〜上野間)とあったそうですが、
磐越西線経由で上野へ入ったものもあるそうで・・・ 殆どはハザだったそうですが、40年代後半には12系や10系寝台も利用された事があったのでは?と記憶しております。
車内清掃会社の古株社員さんに伺ったお話ですが、
集団就職輸送列車の清掃に入ると1両に最低一つは「手紙の束」が落ちていたそうです。
半数は持ち主が取りに来ると言う事でしたが、半数は「意識的に置いて行ったのでは?」と・・・
懐かしい人達の暖かさを敢て捨てて、背水の陣で臨まなければ都会では持たなかったのでしょうね、
都会育ちの小生などには想像も出来ません。
T口やO口の列車は在来型一般車8Bが定番だったとか。
時刻は盆暮れ正月GW時の「臨時八甲田」「臨時津軽」のスジで暫く残ったそうです。
ちょっと客車には関係無いのですが、
弊連盟で「新選組」つながりの関係がある鹿島鉄道で1月4日に定期列車の機材変更をして、
原則単行運用しないキハ714号にヘッドマークを掲げた「新選組」号が仕立てられる事になり、
弊連盟も要員を派遣するものとなり、その告知を・・・
新潟鉄工所で1953年に作られ、元夕張鉄道車としては珍重な同車の単行運転はなかなか機会がありません。
定期列車として運転されますから特別な会費や予約も不要です。詳細は弊連盟ページを御覧下さい。
客車がとにかく無いので鉄道で企画と言っても制限があります。それを痛切に感じた企画がこれでした・・・
とは言え接続レールが切られた鹿島鉄道ではJR東日本の在来型一般車を気軽に放り込めなくて・・・
あ!管理人様無関係で済みませんでした・・・ 下総守様、かのお財布の中の方・・・小生はその方すら中々お目にかかれません!
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