倶楽部メモ(298) 平成17年11月15日〜11月16日
投稿者 |
yuki |
投稿日 |
11月15日(火)12時20分21秒 |
タイトル |
20系客車の牽引実績のある機関車 |
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連続投稿ですいません。 20系客車の牽引実績のある機関車って本当に多いような気がします。
SLではC11、C57、C58?、C59〜C62、D51?、EF58、EF59、EF60、EF64、EF65、EF66、EF67?、ED70〜78、EF70、EF71、
DD50(米原田村)、DD51、DD54、DE10、DF50くらいだと思いますが、牽引実績のない機関車の方が少ない位だと思います。 KATOの20系客車の再生産とC62のリニューアルが楽しみですが、いつになることやら |
投稿者 |
青列車
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投稿日 |
11月16日(水)00時04分18秒 |
タイトル |
【20系】牽引機 |
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お邪魔しますm(_
_)m >>yuki様
横レス失礼します。20系特急の牽引機には、EF61も入れてやってください。
実際茶色塗装時代に「あさかぜ」をヘッドマークも凛々しくエスコートする姿の写真が文献等に紹介されています。
未確認情報で恐縮ですが、試験的に?ブルトレ塗装にされたEF61も存在したとの事。
但し広島工場での試験塗装との事で、現車は工場内に保管され(一般公開時にはお披露目された由)、
実際にその姿で本線上を「列車」として走った事はないようですが…
ところで、ED77の牽引実績はあったのでしょうか?
実質的に磐越西線専用機だったと認識しておりますが、
磐越西線には定期列車での20系客車の運転例は寡聞にして存じませんが、
或いは?列車番号6000〜7000台、または8000〜9000台として運転された事があったのでしょうか? 些細な事で恐縮ですが、ふと気になりましたので出て参りましたm(_
_)m |
投稿者 |
吊り掛け丼
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投稿日 |
11月16日(水)02時26分59秒 |
タイトル |
ブルトレ塗装のEF61 |
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突然失礼致します。青列車様の61ブルトレ塗装の件、大変興味をそそられました。
果たして、58のブルトレ塗装なのか、はたまた60や65のパターンなのか、知りたい所です。
以前、某鉄道雑誌の連載の中で、余剰になった61の蒸気発生装置を撤去して、
そのスペースに回生制動装置を搭載し、上越方面に転用する計画が有ったとか無かったとか。
前面に庇を付け、ブルトレ色になって、颯爽と特急貨物の先頭に立つ61を勝手に想像してニンマリしていたのを思い出し、
不運の釜に花道をと、模型の世界で実現してみたくなりました。 |
倶楽部メモ(299) 平成17年11月16日〜11月22日
投稿者 |
yuki |
投稿日 |
11月16日(水)09時27分35秒 |
タイトル |
【20系】牽引機 |
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青列車さま、ご指摘ありがとうございます。 EF61が20系寝台特急の先頭に立っていたとは存じませんでした。
私は、昭和38年にEF60へと一斉に切り替えられたと理解していたのですが、
SG付きでEF58の後継機種の位置付けのEF61の牽引実績があるとは意外でした。 それと20系牽引の実績、関門トンネル専用機のEF10,11,30が落ちていました。 |
投稿者 |
準急ながら |
投稿日 |
11月16日(水)21時00分58秒 |
タイトル |
EF61 |
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この当時のEF61ブルトレ運用は上りの「あさかぜ」だけだったようです。
もちろん所属は宮原区。
金星かなんか急行列車の運用で下ったようですが、
EF61のはっきりした東海道本線上の急行運用は上りの霧島しかわかりません。
きっとEF58との共通の運用が多かったのでしょうか。
どなたか、広島電化以降〜EF60500番登場までの
東海道本線上のEF61の具体的運用を詳細にご存知のかたお見えませんか? |
投稿者 |
準急ながら |
投稿日 |
11月16日(水)21時21分1秒 |
タイトル |
ちなみに |
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EF61のブルトレ牽引はEF60500登場以前のお話です。 たしか、ブルトレ増結とセノハチのことで牽引力増強の必要がありEF60にスイッチしたのでは。 EF61は牽引力不足ではねられたようです。クイル式がその当時からトラブル続きだったのかもしれません。 間違いだったらごめんなさい。 |
投稿者 |
yuki |
投稿日 |
11月16日(水)21時47分17秒 |
タイトル |
お礼 |
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青列車様へ 確かに磐越西線専用のED77には20系客車の牽引実績は無いですね。
KC様へ セノハチのD52の後補機、忘れていました。 |
投稿者 |
KC |
投稿日 |
11月18日(金)11時40分59秒 |
タイトル |
Re:20系客車の牽引実績のある機関車 |
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事故発生の為の臨時処置としてですが、C58も牽引していました。
有名なところでは“あけぼの”がありますが、
岡山県内山陽線での貨物列車脱線事故発生による赤穂線迂回運転においてC58が牽引しました。
(昭和37年頃、当時赤穂線は全線非電化、山陽線は広島まで電化) 151系“つばめ”“富士”“うずしお”も赤穂線内をC58で牽引されたそうです。 (当時の鉄道ピクトリアルの記事より) その他にも調べてみれば出てくるかもしれません。 |
投稿者 |
急行音戸
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投稿日 |
11月20日(日)15時05分1秒 |
タイトル |
Re:20系客車の牽引実績のある機関車 |
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急行音戸と申します。
20系牽引機ですが、59.2改正で、山陽・東海道に下山?した、
下関運転所所属のEF62は牽引したことが無いのでしょうか???
手元に資料が無いのでわかりませんが、そのような記事を拝見したことがあります。
可能性はあったと思います。 |
投稿者 |
太田拓也
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投稿日 |
11月22日(火)08時04分16秒 |
タイトル |
20系の牽引機事情 |
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昭和48年ごろにC58が「あけぼの」を牽引したのは有名な話ですが、
確か当時の20系はブレーキの関係で牽引できる機関車が限定されていたのではないでしょうか? 廃車寸前のC58がP改されていたとは思えないですし。 |
投稿者のホームページ |
投稿者 |
バンブー |
投稿日 |
11月22日(火)09時48分14秒 |
タイトル |
P型機? |
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この話題になった時から気になっていたのですがP型機ってEF58・EF60・EF65以外に有ったのでしたっけ? |
投稿者 |
青列車
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投稿日 |
11月22日(火)10時30分55秒 |
タイトル |
【20系対応】他にもあります |
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>>バンブー様
お尋ねの件、20系のAREBブレーキ対応の事でしょうか?EF70、ED75、ED76、ED73の各1000番台は該当するはずです。
DD51では500番台がそれにあたるはず(重連仕様車。MR管引き通し)。
EF80は番台区分はされていないようですが、20系牽引対応車がゆうづるなどには限定運用で当たっていたはずです。
ED78・EF71などは全車が対応できたものと思われます。
AREBブレーキが20系に装備されたのは所謂よんさんとおでの客車特急の最高速度時速110キロ化に備えたもので、
「P型」限定で110キロ運転ができるようになったものです。
それ以外の機関車では牽引できないという代物ではありません。
ただ、P型以外、MR管引き通しのないカマで牽く場合、最高時速は95キロ以下に制限されてしまいます。
初代のEF58やEF60-500、EF61の時代にはMR管の引き通しはありませんでしたが、
当時はブレーキシステムが旧型客車のそれと同じだった由。故にカマの制限は無かったのです。
>>太田様
陸羽東線の迂回「あけぼの」をエスコートしたC58にMR管は当然ながらありませんが、
C58ではどう頑張っても時速100キロ以上出して走行する事はまず不可能でしょうし、
陸羽東線の線形を考えると線内では時速85キロ以下で走ったものと思われます。
MR管がなくても支障はなかったものと思われます。
因みに、EF58の所謂P型改造は1972(昭和47)年10月改正で、
高速貨物増発のためEF65F型、PF型捻出のため、関西発着のブルトレの牽引機として、
高速貨物列車と並行ダイヤ化して、投入する際20系のブレーキ対応のため充当したもので、
ブルトレカラー時代のそれとは装備が異なります(こちらは主にカニパンスイッチ。ブレーキ系統には特段の改造はなし)。 |
投稿者 |
バンブー |
投稿日 |
11月22日(火)11時59分49秒 |
タイトル |
P型機 |
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青列車様 詳しいご解説ありがとうございます。 私の勘違いでEF60-500はP型ではないのですね。 |
倶楽部メモ(300) 平成17年11月22日〜12月 2日
投稿者 |
太田拓也
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投稿日 |
11月22日(火)15時40分49秒 |
タイトル |
AREBブレーキについて |
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>青列車さん
私が本で読んだ知識だと、ヨンサントオ以降カヤ21登場までの20系は高速運転しないときでも対応機関車が必要で、
山陽線のEF58のP改もそれが原因だそうです。
といっても私はブレーキの知識全然ないので具体的なことは話せないのですが・・・
C57のブレーキハンドルで12系のCLブレーキが作動する原理を知りませんし、
極端な話C62からカシオペアの電気指令ブレーキを動かせるのでしょうか?
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投稿者のホームページ |
投稿者 |
青列車
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投稿日 |
11月22日(火)19時25分25秒 |
タイトル |
【20系】ブレーキ…あれ? |
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お邪魔しますm(_
_)m >>太田様 ご指摘有難う御座います。仰る通り私自身発言した後で矛盾を感じないではなかったのです。 (EF58の最高速度って時速95キロ?時速100キロ?)
仰る通りAREB装備以前或いはカヤ21、若しくは12系併結用の1000、2000番台そしてオニ23には、
カマの制限はないのは確かですが、AREBの時代…確かに定期運用ではP型(またはMR管装備車?)が基本でした。
ただ、装備が無くとも速度を控えれば大丈夫という話は以前ニフティの鉄道フォーラムの中であった記憶があるのです。
生憎当時のログはパソコンの機種変更の際失われてしまい今となっては確認のしようがなく誠に恐縮ですが… 最近RP誌でも20系客車の特集があったのですが当該バックナンバーは生憎仕舞い込んでしまい確認が取れません。
さて、AREBブレーキ使用で最高速度が時速110キロになったのはよんさんとおからであることは皆様ご存知の通りですが、
予備車がギリギリしかない状況で毎日長距離運用をこなしていた当時の20系客車。
登場当時は装備していなかったブレーキシステムを一朝一夕に全車一斉に取り付けることは不可能です。
当然ながら定期入場時に順次工事を行うでしょう。
場合によっては、AREB装備車、未装備車同士が編成に入ることもあったのでは?
ただ、その時点では東京発着の九州方面行きといえども時速95キロまでしか出していなかったので、
直接の問題はなかったのではないかと愚考しますが、実際のところは私には判りません。
このあたり再度私の方でも調べてみます。
また、詳しい事情をご存知の方がいらっしゃれば、ご教示いただけましたら望外の幸せに存じます。 |
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