倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
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オリエント急行について
オリエント急行の石炭レンジ・編成重量



倶楽部メモ(287) 平成17年 9月 2日〜 9月 5日

投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 9月 4日(日)21時38分11秒
タイトル オリエント急行
日本を走りに来て早20年近く。
食堂車はたしか石炭レンジだったけど法律で禁止されていたはず。
どのように対応していたのでしょう?
空調の問題もありますけどそれを気にする時期ではなかったような。
それにしても経済的理由で乗れなかった。
今考えると借金してでも乗るべきだったかな。結局見ただけ。f(^^;

投稿者 青列車
投稿日 9月 5日(月)00時56分25秒
タイトル 【オリエント急行】省特認では?
お邪魔しますm(_ _)m
>>下総守こみやさん(^^)さま
お尋ねの件ですが、確か運輸省(現国土交通省)の特認が出たはずです(友人からの伝聞推定で恐縮ですが)。
何しろ食堂車の厨房はおろか、各車の暖房設備すら、そのままでは国内の規格に外れてしまいますから
本来なら本線上を客扱いの上走るなどもってのほかですが、一過性の運転である事、
一般営業ではなく団体専用扱いでドアに保安要員をつけるなど対応して特認を得たのではないでしょうか?
時あたかもバブルの華やかなりし頃、成金諸氏が「お金の捨て場に困っていた」時代だったからこそできた荒技でしょう
(当時も今もお金の捨て場どころか赤貧洗うが如しの底辺暮らしの私は一体?)(爆)。
少なくとも鉄道ファンや鉄道の関係者にはまず浮かばない発想ですね
(ゲージが違う!連結器も違う!どないして直通させんねんな?)(^^);
直接の立案は民放テレビ局だったと思いますが、
実現に際しては当時JR東日本の要職にあられた山之内秀一郎氏のご尽力があったと聞いております。
氏なら欧州の鉄道事情にも明るく、彼我の車輌限界・建築限界の違いや許容範囲などにも造詣が深くておられたでしょうから、
実現にあたっての可能性は冷静に判断できたものと思われます。
当時のテレビ番組で、実際の事前準備の工事風景が紹介されていましたが、
軌「木匡」ごとずらして限界を調整していたのには驚きました。
そういえば、瀬戸大橋を渡る列車を、ヘリコプターで併走しながら撮影したシーンがありましたが、
客車ではなく先頭に立つEF65PFがアップになっていて、
「おいおい、どっちが主役やねんな」とテレビに向かって突っ込みいれてしまいました(^^);

意外だったのは、EF58が単機で牽引した事例があったことで、まだ青かったEF58122と、EF5861が大任を果たしています。
オリエント急行の編成重量ってどのぐらいだったのでしょうか?フル編成では600トンを超えていそうです。
その昔、荷35レが、マニ車15両(単純計算で換算67.5両)になり、ゴッパ−単機では起動できないとのことで、
東海道区間では重連(前「宮」後「浜」)していました。
その昔の急行「なにわ」の客レ時代には、通客甲C速度で換算60両とありましたので、
600トン程度なら大丈夫とは思うのですが…?
実際はどうなのでしょうね?(^^);

今にして思えば、今生の思い出に借金してでも乗るべきだったか?
しかし、8万8千円ならボーナスつぎ込んででも乗ることは不可能ではなかったけれど、88万円!
マジで目の玉飛び出そうな金額でしたから、貧乏な下層階級の住人に過ぎない私には逆立ちしても手も足も出ない遠い存在でした。
いつだったか、大阪駅に来るというので、当時西宮に住んでいた私は、
曽根崎町の旭屋書店7階にあった行きつけのマッハ模型の店主井川氏や常連諸氏とともに見に行ったことがあります。
そしたら駅のホームで「ご同業」とばったり(私は面識は無かった方ですが井川氏はご存知だった方)出会いました。
その方曰く…「ホームでフラッシュ焚く素人さんや初心者が多く、バルブ組は困ってる…」とのこと。
夜間撮影は皆さん苦労が多かったのは昔も今も同じです(^^);

投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 9月 5日(月)18時30分9秒
タイトル イントラWagon-Lits
 台風や地震が重なっておりますが、皆様はおかわりございませんでしょうか?
 下総守様御質問のイントラフラグ社(現在は破産)Wagon-Lits11両の日本運行については、わずかですが資料が残っておりました。
 青列車様のおっしゃる通りなのですが、若干補完を・・・
 イントラのWagon-Litsは、シーコンWagon-Lits(ベニスシンプロンOE)と違い、
1920年代そのままの設備・設計で「再現」されたもので、食堂車の他に各車両の暖房用ボイラーも石炭のものが搭載されていました。
 当時JR東日本副社長の山ノ内氏が鉄道側総括責任者だった事もあり、
JRの運転資格を持つ職員による防火監理及び巡回の強化と、運転中全区間での扉警要員の配備、消火器の増設、
海底トンネルや長大トンネルでの石炭ボイラー・レンジの消火、最高速度95キロ限定、団体専用臨時列車での運行、
仕業検査と臨時検査の周期圧縮、列車運転指揮者の日本人指定運用等で安全確保が出来ると諮問されて運輸省が「特認」したものです。
 更に運転限定が入り、657トンになるWagon-Lits11両+マニ50+オニ23の13両の牽引定数から
「指定基幹線」の東海道本線・東北本線・常磐線等に運行が制限されました。
 で・・・日本国内運行で使われた経費は車両検査・工事費用と警備費が殆どで、純粋な運行経費は松戸市内で中古マンション
(松戸は千葉県内でも土地家屋の価格の低い場所です)ですら買えない程のものだったとか・・・
 D51498機の復活披露はこのWagon-Lits牽引でしたが、この経費は全額JR東日本の出資で、
実は思う程運行経費は掛かっていません。
 むしろ、CMや警備費が幅を利かせていたらしく、後述のお話が「幻」となる程ケチケチ運転だったのです。
 「日立オリエントエクスプレス88」と題されたこの企画のシンボルマーク、
実は「C623機」で、前年に打診があったらしく、流石に660トンをC623機が単機で山線牽引は不可能な為に、
長万部〜小樽間DD51機重連で「押し上げ」ると言うのでどうだろうか?と言う会話を聞いた覚えがございます。
 後に「C623機が長万部〜札幌運転所間単機で牽引定数60〜70って無理だよね、海線ならなぁ」と言う某氏のつぶやきに、
「石炭列車はもっと重いので室蘭線なら可能では?」なんて会話の直後、オリエントエクスプレス日本運行の話題が出ましたから・・・
 当時、このナハフ23改造車の控車にはディーゼル発電機と蒸気ボイラーを積んで、
石炭レンジは使わないとの方針もあった様子ですが、結果として資材倉庫として使われた様です。
 ちなみに「指定基幹線」は原則として大陸型(満鉄?)大形機材の運転を考慮した整備がなされ、
国際寝台車会社による「東京オリエントエクスプレス」運転時には、Wagon-Lits直用も構想されていた様です。
 東京〜敦賀間「豪華列車」がその名残ですが、ジョルジュ・ナゲルマケールス死去とロシア革命で
「長崎・敦賀・小樽」の3ルートでの「国際急行列車」は全くの幻として消えたのであります。
 ちなみに東北・常磐では「通客C2B」で「爆走」した事に・・・なっております。
投稿者のホームページ

投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 9月 5日(月)18時42分47秒
タイトル ごめんなさい・・・余談ですが・・・
 JRになって以降、扉が手動の在来型一般車による列車の運行にも多々「制限」が発生しましたが、
殊に2000メートル以上でのトンネル通過・夜行運行・JR以外が主催する団体専用臨時列車での使用・
扉警要員はJR職員が警備員のみとした全てを覆して
1989年の「会津MoonLightExpress」や91年の「ドリーミングMoonLightExpress」は実施したのですが、
これは「オリエントエクスプレス日本運行」による「既成事実」から突破したものです。
 ただ、97年以降再び制限が厳しくなり、JR以外での在来型一般車使用は困難極まり無いものになりましたが
(鉄道ファン団体利用による運転事故が細々と起こった為なのですが・・・警備員省略に問題があるとされまして、
ただ国土交通省の非公式見解としては「無事故の運行実績がある場合は警備会社の警備員も、
民間団体のボランティア警備も法令的には同じと解釈できる
(警備員は警備業法で一般市民としての行動範疇の中で活動するものと制限され、
法律的に特別な権限は一切与えられていませんので・・・
むしろ無経験なアルバイト警備員は運行に危険要素となる事が実際多い)
ので制限しなくても良いのにね」とか・・・御参考までに・・・
投稿者のホームページ

倶楽部メモ(288) 平成17年 9月 5日〜 9月 7日

投稿者 下総守こみやさん(^^)
投稿日 9月 5日(月)21時10分40秒
タイトル オリエント急行の運行
青列車様、安房守様ありがとうございます。   
条件がたくさんあったとは言え運輸省が柔軟に対応したのですね。
関係者の努力も大変なものだったと思います。
今でもイベントで旧客に乗れるのはこの時の副産物です。
もっと大事なのは皆が安全に乗車すること。
重大事故が起こると国土交通省も黙っていないでしょう。
余談ですが当時Nでオリエント急行客車買いました。
引っ張り出して買い物ついでに秋葉原で走ろうかな(^^)

投稿者 青列車
投稿日 9月 5日(月)21時13分54秒
タイトル 【オリエントEXP】換算66両?
お邪魔しますm(_ _)m
>>岩崎安房守義将さま
貴重なお話有難う御座います。
それにしても、オリエント急行の編成重量が657トン!随分とあったのですね。
EF65といえども単機で特通客C2速度は無理ですね(ただ走るだけなら何も苦労はないでしょうが…
1000トンの高速貨物Bを牽引して時速95キロで、1200トンの地域間急行貨物列車を牽引して時速75キロで走れるカマですから)。
運転線区が制限されていたとは知りませんでした。
確かに特殊な列車ですから、どこでもかしこでも…って訳にはいかなかったとしてもむべなるかな。
あの時代だからこそできた夢物語でしょうか(いつしか伝説になる?)。

>>鉄道ファン団体利用による運転事故が細々と起こった

具体的にどのような事例があったのでしょうか?
(あ、お立場上そして事の性格上公にできない部分も多々あると思いますので、無理にご回答をいただく必要も、
まして強要するつもりもありませんので念のため)。
しかし、「堅気の素人集」ならいざ知らず、仮にも「鉄」を自認するものが、手動式ドア車輌で事故るなんて哀しいです。
昔この手の車輌が当たり前だった頃は、万が一デッキから落ちてもそれは落ちた側が悪い!
で済んでいたように思うのですが(実務上の処理については存じませんのでなんとも申し上げようがありません)…
かくいう私も中学生の時(もう30年以上前ですが)停車前の客車急行のナハ11のデッキからホームに飛び降り、
バランスを崩して転んでしまい、しこたま膝を打ち新品のズボンに大穴を開けた、
文字通り「脛に傷を持つ」身でありますが(^^);
今では時々トラストトレインのボランティアで、「ドアボーイ」を担当しています。
今時の若い人やある程度年齢の高い人でも都会地育ちの人などは、手動デッキの車輌を知らない上に、
万が一の事故でもあったら鉄道会社の責任も問われますから、
どちらの企業さんも、運営主催団体さんも、慎重にならざるを得ないのでしょうね。
個人的には夏場開けっ放したデッキで全身に風を浴びながら走ってみたい
(但しトイレより前!必然的に先頭客車の前デッキになってしまいますね(^^);…)と思う今日この頃です。

倶楽部メモ(289) 平成17年 9月 7日〜 9月13日

投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 9月 8日(木)00時47分20秒
タイトル 肝心な事を忘れておりました!
 急曰
 青列車様への御返答を・・・と思っておりましたら模型にシフトして忘れておりました!大変失礼致しました。
 「細々と・・・」とは正に取るに足らない、しかし運転事故扱いになるお話でして、ファン団体が専用臨として使用した際に、
扉警が甘かったのですね、発車時刻を過ぎても参加者が乗車せず、遅延した「事案」があり、
それだけならまだしも遅延が大幅になりまして参加者の一部が「帰宅する為に取った指定券列車に間に合わないから接続を取れ」
と乗務員に迫った?らしいのです。
 出発早々に機関車故障だかで遅延していたので、それを問詰めた話では無かろうかと存知ますが、
その回復運転中に「撮影の為」に発車遅延ではJRさんだって面白くはありません。
 いわゆる「フォトランバイ」列車だったそうですが、言い換えれば途中駅の停車時分は「契約」では無く「目安」です。
目的地となる駅へ着いて、目的地の施設なり史跡なりへ往復する・・・
その所要時間分は「保証」しなければならないのですが、撮影の為に1時間ぴったりね!と言うのも馴染まない・・・
と感覚される訳です。
 この外、扉警要員自体が居なかったとか、全員酔っていて乱痴気したとか、
別の企画でもそんな事が重なって、とどめに「さよならタブレット号」「八高線SL」での乗客鉄道マニアの「無法」が問題とされ
(デッキの走行中開扉を乗務員が止めさせようとしたら「昔は開けっ放しだったろう!」と凄まれた・・・とか、
やはり撮影で列車の外に出て遅延させた・・・とか)「一切鉄道マニアには貸すな!」となったそうです。
 さて、青列車様は扉警の経験者でしたか・・・
NTの米山事業課長とは某鉄道誌で対談させて頂いた事があるのですが、実際スタイルが固まる迄は「胃が痛かった」そうです。
 白井さんと米山さんの情熱があの在来型一般車3両に凝縮されていて、
やはりJRのものや大井川鉄道直轄車とは違う暖かさと柔らかさを感じます。
 それと・・・換算66現車ではC623機単機では無理・・・のエピソードで、
編成最後部に重連DD51機で押す・・・当時は笑い話にしたのですが、
後日小樽築港機関区・山下元検査長(神様)とC11207機の「ニセコ」に乗ったら、
確かに「押して」いたので2人で大笑いしました。
技術的には問題無いそうですが、「頭の機関士の決断力と経験が左右する」作業なのだそうです。
ちなみにC623機もかの在来車5両+スハフ14でスッカスカ走ったので、牽引定数ぎりぎりでも案外OKらしいですね。
 下総守様、秋葉原で運転出来る場なんてあるのですか?
弊連盟レールフェステにお出で頂ければちょいと1本本線御譲りしますのに・・・
(これは本気ですよ!ただ軌道状態が悪いのでキングス客車15両+ブラスC62機はちょっと厳しいです)
投稿者のホームページ

投稿者 青列車
投稿日 9月 8日(木)10時40分49秒
タイトル 【御礼】ご回答有難う御座います
>>岩崎安房守義将様
不躾な愚問にもかかわらずかくもご丁寧なご回答を賜り厚く御礼申し上げます。それにしても…
ご発言を拝読して暗澹たる思いです。折角の鉄道会社様のご好意に対しなんと無礼な!…まさか
マナーも節度もわきまえたこちらの常連様方の中にはこんなことする人はいないと信じています
が、同じ「鉄」として悲しくなりました。

デッキのドア、確かに昔は開けっ放しでも平気で走っていましたし、デッキで涼むのは心地よく、
私も当時体験していますので、ドアを開けたい気持ちも理解はできます。しかし、係員の制止が
あるなら開けてはいけません(子供でもわかる常識ですよね)。何より転落事故(98%以上の確率
でそれは死亡事故になります)の危険があります。デッキからの転落事故が落ちた側の非(自己責任)
で済まされた時代ならともかく、今そんなことがあったら直ちに鉄道会社の責任問題にされ、
それこそ首脳陣や部署長の「首が飛ぶ」事態になりかねませんから、走行中のドア開扉が許諾され
るはずもないですね。

牽引定数は特に蒸機の場合、乗務員の力量次第ではカタログスペック以上の性能を発揮すると聞
いた事があります。鉄道ファン誌の2001年01月〜2003年12月号に連載された、宇田賢吉氏の、
「870,000キロの軌跡」の中にも、定数一杯の貨物列車を上り勾配上から「裏技」使って牽きだすく
だりがあり、感心したものです。また、「旅と鉄道」誌だったかとは思いますが、戦災の痛手もま
だ癒えてない頃、東海道線にC62牽引の現車17両の旅客列車があったとのことです。オールスハ
級だと換算68両。オールオハ級だと59.5両。あれ?案外なんとかなる?(^^);

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