先輩諸氏のみなさま、ぶどう色に対する早速のご教授ありがとうございました 
            昭和34年以前の国電はぶどう2号、客車はぶどう1号と塗り分けていた事実をはじめて知りました 勉強になりました 
             また安房様おっしゃる、民営化までぶどう1号の塗色の車両が存在していた事実も驚きです 
             ひょっとして大鉄のSL急行の車両は今でもぶどう色1号でしょうか 
             話は変わりますが、バックナンバーを拝見すると、上野発一ノ関行きの旧客の話が出ていました 
             私も70年代末期宇都宮に親類の家があり、そこへ行くのに乗った列車がたまたまこの一ノ関行きでした 
             小山あたりまで込んでいて、開けっ放しのデッキにたたずんで涼をとった記憶があります 
             小山を過ぎて車内がすいて座った箱はオハ32だったような? 客車持ちはオクだったのでしょうか 
             こんな列車が今存在したら、きちんと入線から乗り込み、一ノ関まで行きたいなあと思います 
             窓をいっぱいに開いて、那須野ヶ原の涼風を浴びて、黒磯で遅い駅弁を買う 
            想像しただけで、なにか胸がいっぱいになります 
             手元に昭和31年の交通公社の復刻時刻表がありますが、 
            東海道線のページを開くと東京発門司行き鈍行の運転が目につきますが、 
            それ以外にも島田を早朝出て、米原経由で富山行き711レ、などという鈍行列車の存在があります 
             上りは富山を早朝出て掛川行き712レ 今では考えられない列車です 
             ちゃんと二等も連結しているところがすごいのですが、 
            かなわぬ夢ですが、こんな列車の乗車ルポがきけたらなあなどといつも思っています 
             話が長くなりました、また先輩諸氏の思い出話楽しみにしています 
             それから私の名前は「にんにくたあ」が正しいです あのにんにくのにんにくです 
             安房様お気遣いいただき申し訳ありませんでした |