倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
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臨時「十和田」
84年夏の臨時「十和田」に使われていたのはどこの12系?



倶楽部メモ(279) 平成17年 7月 9日〜 7月17日

投稿者 ア・ドン
投稿日 7月12日(火)00時36分56秒
タイトル 12系の思い出
汚物処理装置のことについて書いていて、21年前のころを思い出しましたので書きます。
1984年8月、当時小学生だった私は両親の実家である青森から帰京する際急行「十和田」を利用しました。
「ナハ21に乗れる!!」と喜んでいたのですが、ホームに入ってきたのは12系でした・・・いや、臨時だったんですね。
今となっては貴重な体験だと思うのですが、そのときは落胆しました。
まあ、どっちがいいか実際に乗って見なければわからないことですが。
 で、寝れないと思っていたのも杞憂で気が付いたら寝ていました。
そして朝が来て常磐線内に入り便所を利用したところ「線路が見える!!」・・そう、その12系は汚物処理装置がついていなかったのです。
12系といえば処理装置付いているもんだと思っていたのでびっくり。
しかも、使用している最中に駅に止まってしまったので、非常に気まずい思いをしました。
ああ、今でも気になるなあ・・・・・・。

ところで84年夏の臨時「十和田」に使われていたのはどこの12系だったんでしょうかね?
気になりますが、ご存知の方おられますでしょうか。

投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 7月13日(水)06時30分55秒
タイトル 多分高客だと
管理人様、皆様、御無沙汰しております、岩崎安房にございます。
 ア・ドン様御利用の臨時十和田、8206列車では無かったかと・・・
手許の作業ダイヤには「タカ12/9」とありまして、マル上サボのマークがあるので高崎客車区の12系では?と思います。
 尾客(尾久)の12・14系は座席まんま(登場当時のまま)だったのですが、
高客は窓下テーブルが広めにしてありまして、結構好評だったのです。
 東北管内のものは記憶が無いのですが、水戸の機材は59年では長距離に回って無かった様に・・・
うろ覚えなので自信無いのですが・・・
 換算は客務にとっては死活問題でした・・・或る時、事故の影響か故障だったか忘れましたが客車が不足した301列車を
尾久で組み換えた際に「オ車」とすべきを「ス車」にして上野に回送で持ってきた時に「換算超過」が発覚、
回送の機関士は本務の機関士に引き継いだものの、レチのホ(車掌の編成現況)を受け取って事務室に飛び込んできました。
 統信(統合信号所)とやりとりの後、北局列車指令と豪快な交渉が・・・
機「俺は高崎まで持って行くよ、しかしさ、横川から先、ロクサンで引けねえよ、そんな無責任やれるかよ!」
指(電話で不明なものの、取りあえず高崎までと言っている様子)
機「いや、上野の始末付けなきゃさ、北局の恥じを向こうで曝すのかい!」
指(責任は貴方には無いから的発言か?)
機「責任どうのじゃねぇよ、命が掛かってんだぜお客のよ!」
 結果、301列車直江津行「妙高9号」は1時間遅延で上野を出発したのですが、
「影スジ」で後部1両の荷物車だか分離して行きまして・・・
 お話は碓氷の牽引定数にありまして、多客時と言う事もあり数値的にはオーライであっても
安全確保の観点から機関士さんは粘ったものです。
 あの頃はそんなサムライや神様が国鉄を動かしていたのですが・・・
 ちなみに鉄道模型メーカーに国鉄から滑り込んだ経験がありますので、御参考までに・・・なのですが、
メーカーの製品化の経緯は他の業界と異なり、全くいい加減です。
 代表は某9ミリメーカーのキハ40で、少数派のコイル発条台車である事を御存知な方は多い筈です。
 或る社員が私的旅行で北陸へ出掛け、その際に撮影した写真からスケッチを起こして、
後は鉄道雑誌で細部の図面を引いたもの・・・ですから、
細部を見ると「車体は寒地、下回りは暖地」なんてものも多くありまして・・・
 そんな指摘が増えたので「面倒だから所属表記は関スイに・・・」なんて洒落をして、
かえって大ブーイングに遭遇しましたが・・・
 在来型一般車の窓や扉も同様理由でいい加減だったのですが、
小生の先輩Y氏が社員に昇格して来た時には「やはりこだわりましょう」と随分深く突っ込んで図面が作られる様になり、
「ついでに・・・」と殆ど独力で作ったのがかのリアルトラコンなのです。
 若くして数年前に他界されましたが、彼のこだわりによるHOの35・43系やDD51機、
Nの10系・81系客車はモデルソースがきちんとありますし、EF65やED75のボディマウントスカートも彼の作品です。
 スハフ32とC623をこよなく愛し、今でもその作品を手に取ると会津MoonLightExpressやわたらせエクスプレスで
楽しそうに酔っていた笑顔を思い出します・・・話題がそれましたが失礼しました。
投稿者のホームページ

投稿者 ア・ドン
投稿日 7月13日(水)09時46分27秒
タイトル なるほど・・
高崎運転所の12系ですか・・・。そんな時代もあったのですね。
たしかそのころは高崎の12系は初期車中心だったはずですからね・・・。やはり地上設備が追いついていなかったのでしょうか。
ありがとうございました。

投稿者 太田拓也
投稿日 7月13日(水)14時43分28秒
タイトル いろいろと
ア・ドンさん>
20系の増量マークは結構有名ですよ。児童書にも載っていたぐらいですから。
あと1984年の「八甲田」は定期が12系でした。14系かもしれませんが・・・
とにかくナハ21は1982.11以前の3往復中1往復だけです。
なおナハ21(「きたぐに」の583系にも同じことが言える)はシートピッチが広すぎて
「1ボックス占領して向かいに足を乗せる」ことが出来ないため夜行列車用としては一長一短であり、
「だいせん」の12系化直後にRJ誌が取材したときも筆者がサービスダウンと言いながら
深夜の福知山で"窓を開けて"駅弁を購入していました。

>汚物処理タンク
所属によってかなりばらつきがあるようですね。気動車特急「いそかぜ」は1990年代になっても垂れ流し式だったようですし、
九州に最後まで残った50系はトイレ用にスハフ12を併結していました。

>模型
オハネ12の場合、旧窓の制式図面をもとに、冷房化=最近だからタンク付と適当に作ったのでしょうか。
最近は結構厳密に設定を決めているようで、「鉄道ファン」誌の広告ではスカ線113系が1990年代の設定だったり
(JRマークとか各種装備に影響)、スーパーホワイトアローが登場時と現在の2バージョン同時発売
(スカートとか細部が違うらしく、uシートを追加するだけではすまないらしい)だったりしていますが。

岩崎安房守義将さん>
編成中の重量調整、ものすごい苦労があったんですねぇ。

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