倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
旧客運転・客車の整備
C62ニセコの客車について・客車の復活整備について



倶楽部メモ(275) 平成17年 5月30日〜 6月 6日

投稿者 安房守義将
投稿日 6月 5日(日)03時59分8秒
タイトル C62ニセコの客車
初めまして、検索を辿り参りました。
小生も客車派でございまして、皆様の書き込みを楽しく拝読させて頂きました。
もう既に「過去」の事とされて居ります北海道鉄道文化協議会運行の「C62ニセコ」について、
話題のネタを一つ御提供させて頂き、管理人様と皆様へ楽しませて頂いた御礼とさせて頂きたく存じます。
昭和61年4月から国鉄小樽築港機関区企画室と接触し、
C623機復元運行に関わりを持ちました北海道鉄道研究会の幹事だった小生は、
生意気にも運転計画案なんぞ出しまして、その返礼?として企画室のC623機運転計画原案が送られて参りました。
当初、復元費用約6千万を償還する為に当該列車は「札転14PC6B」(14系座席車6両)で「特急」とされておりました。
昭和55年から国鉄上野駅へ奉職し、当時は駅の案内所に勤務しておりました小生は、
何としても「在来型一般客車」で「蒸気機関車」と考え、
まぁ仲間達も同意だったものですから「在来型一般客車(ゆわゆる旧型客車)による快速(青春18切符旅客誘引の為)で、
軽食堂車とグリーン車を組み込んで償還材料と・・・」なんて提案しました。
結果としては「夏に冷房の無い汽車なんぞ観光客は乗らないよ」「2時間無い行程でメシ喰うやつはいないよ」と散々でした。
が、外部民間スタッフで「流山温泉」プロデューサーを手掛けたM氏と、鉄道専門誌社長のT氏のみ理解を示して頂きまして・・・
この時点で未だ本体・C623機の復元すら壁に当たっていたのに、運転時の客車にまで配慮出来なかったのです。
が、1月に小樽へ呼ばれて国鉄最後の日に構内試走するプランを考えているけれど如何?と言うミーティングの席上、
「どうして古い客車が良いの?」と・・・
ラフですが「喫茶室・グリーン席合造車」のスケッチを持ち込んで、旅客誘引のチャートを解説したものです
(62年1月12日だったかな?)
が、国鉄道総では14系を茶色に塗装した「プラン」を進めており、C623機の「物質」として在来型一般客車多数が小樽市へ・・・
と言うお話が出まして、自動扉では無いもので論点は「扉の安全確保」と言う事になり、
それではボランティアにやらせてはどうか、となったのです。
実はこの頃、某珈琲会社がスポンサーとして内定しておりまして、かの「喫茶室車」が急浮上していたのであります。
小生が「スハシ441」のスケッチを見るのは、吹雪の小樽築港機関区C623機復活「奇跡の夜」の翌々日であります。
(つまり在来型一般客車運行に変更されたのです。)
現役で嬉しい限りですが、実はスハシ441のみ「冷房改造準備工事」車だった(東京地区遠征と札函間運転の構想があった為。
空調ダクト立ち上げスペースと天井釣り下げ用本体のステーは現存です。)のですが、
ベンチレーターを外されてちょっと格好悪いですね。
今では想い出話しの「C62ニセコ」ですが、未だ「死んでは」いない機関車に対して、
今後「在来型一般車」の確保が困難ですね、かの秋田C623機計画もその点からつま付き出しましたし・・・
長文失礼致しました。
投稿者のホームページ

投稿者 こみやさん
投稿日 6月 5日(日)12時21分16秒
タイトル 安房守義将様
C62ニセコ乗りました(^0^)/色々ご苦労があったのですねm(__)mSLにはやっぱり旧型客車ですね。
トンネルですすが車内に入ってきたり時おり鳴らす汽笛が(^^)青いスハ45だったかな。
コーヒーもおいしかったし。でも思い出になっちゃった。

投稿者 太田拓也
投稿日 6月 5日(日)21時31分21秒
タイトル 旧客ですか
安房守義将さん、興味深い話ありがとうございます。

「一般人に旧客は受け入れられない」というのは鉄道ファンとしては痛い話です。
やまぐち号のレトロ化のときも旧客(マイテ含む)が検討されたようですが営業上ボツになったようです。

 私は都会生まれのため旧客に縁がなく、旧客のためだけに大井川鉄道に乗りに行ったことがあります
(梅小路にいつでも行けるし、前年北びわこ号に乗っているので私にとってSLは珍しいものではなかった)。
老人グループが懐かしいと言いながら隣のお座敷車に移っていったのを見て旧客の立場を思い知りました。

 その後パレオエクスプレスで旧客に乗りましたが、この車両は北海道に売られました。
C62とスハシが無事なのにスハフ44を解体するから・・・

 ところで20系の「走行中に扉をロックする装置」が旧客に付けられたという話を聞いたことがあるのですが、
誰か知っていたら教えてください。
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投稿者 スハ32
投稿日 6月 5日(日)22時47分56秒
タイトル 旧型客車は人気高いです。
一般人に旧客が受け入れられないというのは、ここ数年では、少々違う気がします。
実際新系列の客車を使うより、集客率は圧倒的に良いですし、(実際に陸羽東線や上越
線でD51が旧客を牽いたときも指定券は瞬殺でした、北上線などは余裕で取れるので
すが。)大井川鉄道も長年旧型客車で集客をしています。
レジャーとして一番参考になるのは、TDRですね。乗り物だけでなく、パーク全体を
ファンタジーもしくは、ディズニーシーなどでは外国の雰囲気にしています。こんな
所までという細部にわたり、かなりのお金をかけています。長年飽きられずに人気を
保ってるのは、徹底した拘りにあると言われてますね。お客さんは、乗り物に乗るだけ
でなく、雰囲気を楽しみに来てるのです。暑い中長時間並んで、冷房の無いディズニー
の汽車に乗る人も見ますが、これが偽者の電気汽車だったらどうでしょうか?
アメリカのロサンゼルスにあるナッツベリーファームの汽車は、さらに本当に使用され
ていた汽車と客車を園内で走らせています。冷房なんてありませんが、非常に人気が
高いです。これが現代的な列車だったら、そんな人気でないですし、
全体の雰囲気が台無しになってしまいます。そんな所にリピートしたいとは思わない
でしょう。
 今東日本で運転される旧型客車使用の列車は、かなり人気があります。客車目的で
乗りに来る人さえいます。只見線で乗ったときも一般人には、非日常的な旧型客車
は人気がありましたね。得にスハフ32は、女性までもが、わざわざ写真を撮ってま
したよ。

投稿者 安房守義将
投稿日 6月 6日(月)00時34分51秒
タイトル 感激でございます
こみや様、太田様、スハ32様レス有り難うございます。
市民鉄道サークルとしてスハフ32他の在来型一般車で夜行団臨(MoonLightExpress)を出した時、
まぁ在車ファンは無論なのですが、その付き合いで参加された女性達にスハフ32やオハニ36は人気がありました、
「999」のイメージそのもの、
もっとも1989年には磐越西線、1991年には常磐〜仙山線で、真っ暗な中を走る夜汽車がむしろ新鮮だったのでは無いでしょうか?
乗務する方としてもスハフ32は42より居心地が良かったのは確かです。
一方で札転のスハフ44が全滅したのは「4427」の「お化け」が原因です。
これは運転初日(C62ニセコ=1988年4月29日)から蒸気暖房管コック漏洩や便所側デッキ客室妻扉雨漏れがあり、
補修を一番重ねた車だったのです。
とある会合で大井川鉄道・白井副社長から
「形を残すのが最優先。細部にまで付き合ったら商売は成り立たない。鉄道は商売ですよ。」
とイボイボ塩ビシートの利用を薦められました。
が、スハフ4427は既にそれ以前の問題で、
1995年1月の「契約完了」以降は当時旭川に居たスハフ422245との差し換えも出ていた程です。
今日ではJR東日本の在来型一般車は「定型区間」(高水・高横・郡若間)以外での「社外需要」は
原則「門前払い」とされておりまして、霞ヶ関経由で話をするしかございませんが、
是非未体験のファンの方にもあの「在来型一般車の夜汽車の浪漫」を味わって頂きたいものです。
きっと窓に映る飛び去るホームや家々の電灯、信号機、そして自分の顔に自然体の「もう一人の自分」を見つけて頂ける筈です。
そこに「無数の日常の生命」を伺い、長い時間の中にその座席に人生を留めた人々の呼吸が感じ取れる筈です。
浪花節なんて笑われますが、鉄道屋はエリートなんかじゃ無く、哲学家が求められ、
無数の「神様」達が鉄道屋の意地と誇りでそれらの機材を軌道を守り続けて、
私達に継承してくれた「技術と言う名の哲学」なのであります。
旧客瞬殺、拝読して号泣しました。
かの「C62ニセコ」でそんな傷んだ車達を「営業用」に修繕した「客車修繕の神様」が
「遺言」として、言い残して頂いた一言を思い出しました。
「こんなボロでもそれを喜んでくれる人が10年後でもいれば、それで俺の鉄道屋人生は勝ちだよ、満足だよ」
長文度々失礼致しました。
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倶楽部メモ(276) 平成17年 6月 6日〜 6月12日

投稿者 浪速の某
投稿日 6月 6日(月)00時41分30秒
タイトル 旧客運転
安房守義将さま

>今日ではJR東日本の在来型一般車は「定型区間」(高水・高横・郡若間)以外での
>「社外需要」は原則「門前払い」とされておりまして、霞ヶ関経由で話をするしか
>ございませんが
 
よろしければ詳細をお話くださいませんでしょうか。
なぜ容易ではないのでしょうか。
人間といっしょでいつまでも永遠に稼動はしないですから
場合によってはその霞ヶ関経由でも辞さない考えでおります。

投稿者 スハ32
投稿日 6月 6日(月)01時29分24秒
タイトル 定型外の運転
 最近のJR東日本の運転状況みていると、逆に定型区間外の運転の方
が主流ですね。あぶくま新緑や去年の長野や新潟、只見遠征もそうですが・・・。
特に仙台支社が積極的に運行してたと思います。只見線などは、地元から
旧型客車を指定され、去年の冬の運行は12系で決まってた所が急遽旧客に
変更されてます。蒸気暖房の使用は、車体を傷めるのか余り使いたがらないのは、
事実ですが。
 今年あぶくま新緑号に乗りましたが、あれほど現役時代に近い列車も
無かったです。滝桜用の臨時も兼ねてたので、一般の年配客も
多かったんですが、凄く驚いて、乗車も楽しそうでしたよ。
 個人的には、43系客車も好きです。特に元水ミト車は、北オクで
常磐線仙台行きや急行十和田・津軽で”実際に”使われた生え抜きです。
安房守義将さんも国鉄時代に何度も目にしたかもしれません。
内装塗りつぶしのスハフ42の1両くらい登場時のニス塗りに復元して
欲しいなとは思いますね。・・・しかしスハフ44は、残念です。
何とかすれば、まだ使えたと思うのですが・・・。

投稿者 安房守義将
投稿日 6月 6日(月)03時46分22秒
タイトル 「900223奥只見号計画原案」
管理人様、度々失礼を致します。
スハ32様、小生も常磐221・223・425とあの扉を開け閉めして、重いサボを入れ抜きしました、懐かしいです。
小生の駅務員としての最後の仕事が1982年11月14日の11M(みちのく)の放送と425列車(平行)の入線放送でしたので・・・
只見と言えば・・・1990年2月23日に只見町の只見総合開発センターで講演会(鉄文協・工藤専務理事と同席)をしまして、
その時の運転計画資料がございます。
只見線にSLを・・・の構想は1989年から只見・金山・柳津で盛んとなり、現地では「只見〜会津柳津間」となっていたのですが、
提出した資料(運転計画・警備諜報工作専任でしたので小生が見積もりまして・・・誤算箇所が幾つもありましたが)では
「カマはC58(秩父)かC11312(大井川)で在来型一般車3B・ワカ〜タミ間往復でアタ〜ミヤ間補機1E」
(会津若松運転区を基地として只見まで1往復/日、会津高田以降会津宮下間補機1機連結で客車3両)で
1セット3500万円と試算しております。
当時、仙鉄は「12系4つで全区間PP、機関車はD51498機で検討」で、
「橋梁等改築工事費別途」と凄い条件を回答して居たのです。
軌道条件としてD51は論外でしたが、C11312機は当の大鉄が「保安装置取り付けは折半でも可能」とまで・・・
在来型一般車は「扉の保安都合上ダメ」と・・・
しかし、運輸省の見解は非公式ですが、「他社やJR東日本管内で運行許可をしているのにここだけダメとはいかないでしょ?」
と言う事で、2月23日の講演会に望んだと言う次第です。
その後、忘れた頃の「奥只見」、ダイヤも内容も提案通りで自己満足ではございました。
ただ、真岡鐵道の機関車で運行する事は予想外に嬉しい事ではございましたが・・・
仰る通りです!せめて一つ位ニス内装・白熱灯「風」(某電器メーカーでとてもらしい雰囲気のものが出ておりまして、
中はパナボールなので省電力です)のものを拵えたらと思います。
浪速様へ・・・構想とされている区間が具体的にございますか?
団臨はいわゆる「規程」以外での取り扱い事項が多く、実は運転系の経験者で無いとスジを読んだり立てたりが出来ない為、
窓口の交渉の段階で足踏みをしてしまう事が殆どです。
霞ヶ関を経由した場合でも、団発(団体乗車券発行箇所)の担当者のカオは立てませんと厳しいですし、
通り一辺倒の担当者ですと「団券(団体乗車券)額は機材定員の90%の無割引大人運賃」なんて時代遅れの事を言い出し兼ねません。
「局扱」「社扱」(つまり会社内で立案された企画)は「特例」として無理を通せるものの、
オーダーメイドですと「面倒」とされてしまうのです。
御参考までに、弊連盟「鉄道浪漫派掲示板」に若干追加情報を載せて置きますので、宜しければ御参照下さい。
顧みれば、12や14が壊滅状態で、むしろ在来型一般車が残り活躍の舞台を拡げている昨今ですが、
JR東日本では東北・常磐・高崎・上越羽越奥羽を除いて臨も含めて「機関車牽引列車」を廃止したい意向だとか・・・
全く危機管理意識皆無でございます。
その中で「使用実績」が客車列車の存続にかなり大きな要素となっているのも事実です。
高崎運行部・佐久間部長の先見の明には脱帽のこの頃でございます。
皆様、失礼致しました。
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投稿者 太田拓也
投稿日 6月 6日(月)20時22分35秒
タイトル 難しい事情があるようですね
旧客に人気があるならなぜ「ばんえつ物語号」に使わないのか?という疑問がある太田拓也です。

しかし書き込みを拝見しているとどうやら営業以上に役所の事情が大きいようですね。
1989年にSLブームそっちのけで大量の旧客(国鉄末期から留置されていた)を解体したあたり、会社のやる気にも問題がありますし。
投稿者のホームページ

投稿者 山電
投稿日 6月 7日(火)01時05分10秒
タイトル 在来型客車
皆様こんばんは。
そしてご無沙汰しております。

山電(元やまだ)です。
在来型客車(旧客)について話題が出ていましたので・・・
旧型客車の集客能力はやはり切符を取る段階で痛切に思い知る事が多いですね。
指定券発売日に仕事帰りに・・・なんて悠長な事を思っていると指定を取れなかった経験がこれまで何度あった事でしょうか。(笑)
東京から近いせいでしょうか、EF55の高崎・上越線運転時の指定券確保は毎度の事連敗しております・・・

私の地元、埼玉のパレオエキスプレスも乗車人員の低下から冷暖房完備の12系に変更にして冷房化を売り込みましたが、
見込み違いで乗客は減る一方との話も聞いた事があります。
SLに乗る(体験する)という事の意義を忘れた為の結果でしょう。
SLの煙の匂いや外からの風や空気の薫りを感じられない車輌ではSLに乗っ感覚はイマイチないですからね・・・

旧型客車、フルで12連ぐらい車籍復帰できない物でしょうか・・・
検査や行楽シーズンの複数の列車での使用にも対応できますし、
合わせて扉の自動化やトイレの黄害・バリアフリー対策も
今の技術をもってすれば改修出来るの筈だと思うのですが如何でしょうか・・・
(オハニ36の荷物扉などは車椅子の乗降に便利かと思われます)

復帰させる客車は越後中里に纏まった数がありますよね。
陸送作業の足場も駐車場で良いですから実現させるなら1番作業し易い客車達では・・・と思われます。
あの客車を使ってもう一度、上野駅から出発する12連の旧客を見てみたいものですね。

投稿者 スハ32
投稿日 6月 7日(火)12時34分39秒
タイトル 旧客復帰
 一度車籍を抜いてしまった車は、復帰させるのは難しいと聞きましたが、
JR東海、JR西日本には、車籍を持ったまま保留(休車)になってる車が
6両もあります。あれが何とかならないものか・・・といつも思いますね。

只見線の6月中の運行は、比較的空いてる様です。去年秋に乗ったときには、
かなりの乗車だったんですが、やはり梅雨時なので、空いてるみたいですね。
旧客3両ですが、途中の1000分の25をC11が本気出して登る姿は、
なかなか迫力があります。夕暮れ時、旧客の車内で聞く汽笛とドラフトは、
最高の贅沢でしたね。今年の秋には、C57が旧客6両を牽きます。
会津キャンペーンの最後に持ってくる辺り、JR東日本もなかなか演出が
旨いですね。今年一番の注目の列車だと思います。

投稿者 安房守義将
投稿日 6月 8日(水)12時02分1秒
タイトル 客車の復活
度々お邪魔致します。
山電様の仰る中里の機材は「奥羽C623計画」の頃に調べた事があります。
結果として、台枠に歪みや亀裂が出ているもの、構体が致命的に傷んでいるものが殆どで、
改修して旅客営業に耐え得るものは2つだけでした。
この頃札転の44は未だ健在ではございましたので、参考として調べた程度ですが、
十年前ならば未だ良いものが全国に点在しておりました。
実は近年までJR基準で在来型一般車を復帰(一度廃車されたものを再び営業用とする)させるには、
運輸省法令で困難な点がございまして、秩父も真岡もそれで「専用在来車」を断念した
(そればかりでは無いのですが)事がございます。
それは一度廃車されたものを復帰させるには新造車と同等の安全基準に沿わなければならない、と言うもので、
扉の自動・客室内の防火・制動装置のレベルは無論、当然並行して便洗は排水タンク装備としなければならない・・・
となっておりました。
これは近年若干緩和されて、排水と扉の自動(運転中開閉出来ない状態ならば可)となり、
故にJR東日本で一旦廃車とした在来車をJR北海道が「クズ鉄」として格安で購入し、
タンクと扉固定装備を付けただけで新規登録した・・・言わばウルトラCをやってのけた訳でございます。
何れにせよ、機関車本体には民間企業も個人も寄付・協賛が付き易いものの、
「客車」は鉄道会社の「持ち回り」と考えられておりまして、
蒸気機関車の復元・運行費用は第三者が全額負担してくれるものの、
その企画が永く続かない場合は高額の修復費と整備に関する設備費の償却が出来ない、と言う恐さがございます。
ただ、事実として小海線や陸羽線で数年前に浮上した企画の様に、
「機関車有りとて客車が成らず」で断念・・・などと言う「本末転倒」な事も起こっております。
賛否両論ありましょうが、今後も鉄道の持つ「浪漫」と「技術文化」、そして「地域活性化」の可能性を開拓するには、
客車に関しては新造する以外無いと弊連盟では結論(調査研究チーム結論=昨年11月)しております。
第一、機関士さんの技量が国鉄時代とは異なり、それこそ定期的に運用があれば「慣れ」「コツ」も得られるのでしょうが、
忘れた頃に運行するのでは、技量は低下する、これは当然の事で、機関士さん達の熱意に左右される事では無いのです。
小海線の場合、簡易線で軸重制限が大きく、C56機かC12機で無くば走れないのですが、33パーミル連続の勾配路線でもあり、
牽引定数は100トンで高崎所管機材で「最軽量編成」(オハニとオハ)だけとしても70トン、
運転時にはそれで定数ギリギリになってしまいます。
今日、231や207の生(艤装していない構体)ならば17〜18トンで、1両25トン以下の機材を造る事は可能で、
それに「らしい」筐体を乗せる・・・と言う様な事でもしませんと、
在来車の221列車や803列車の復活!と言う訳には行かない様です。
一方で、在来型一般車は部品さえ確保出来れば蒸気機関車同様半永久的に現用できるもので、
肝心なのは日々の「お守り」なのだと言われました。
しかして、最も重要な事は、皆様の様に在来車を愛して、情熱を持たれる方の存在です。
自己満足の趣味の領域とは言え、その「志」が複数集約されればそれは「力」になります。
その「力」で、荒唐無稽と見られる事でも実現し、継続されれば、それは「文化」に変じて参ります。
全て理想通りとならないかも知れませんが、案外「上野発在来車12B」は実現出来る「不可能」なのやも知れません。
投稿者のホームページ

投稿者 スハ32
投稿日 6月 9日(木)00時50分49秒
タイトル 客車の整備
安房守義将様
詳しく事情を説明して頂きまして恐縮です。客車もいかに維持していくかが、大切なのが
痛切に感じられます。客車の車籍復帰については、逆に緩和されてるとの事は、少々
驚きました。在来系客車も、JR任せだけにせず、ファンの手でも守り、大切にしていく
事が大事であることが判りました。陸羽西線の事だと思いますが、こちらはC11+旧客
で実現してますね。小海線も補機付きであれば、問題ないと思います。現在運転中の
只見線の1000分の25を補機無しで喘ぎながら上ってくのは、むしろ牽引に余裕の
あるC57やD51よりも迫力があります。現役時代並みの峠越えが楽しめる貴重な列車
ですね。
 客車の新製は、欧米の保存活動に比べると、日本の蒸気保存が客寄せパンダ
的で、機関車さえあればOKみたいな感じがして、どうも好きになれないのです。
私が住んでたアメリカの田舎でさえ、現役時代に牽いていた客車を大切に整備し、
そのまま使用して保存運転が行われています。
 ここで、お知らせしたいのですが、某bbsの有志がJR東日本に問い合わせ
たところ、先方では、旧型客車を二度と製造できない貴重な文化財(産業遺産)
と捉えれおり、直ぐに廃車する様な事はせず、全般検査も行うと回答がありました。
その後、今年までに、スハフ42の1両以外は、保有6両の全てが全般検査をパス
しており、継続して使用する事が可能となっています。赤帯で残ってるスハフ42
も全般検査を行うものと思われます。少しづつ考えも変わってきてるのかもしれません。

投稿者 安房守義将
投稿日 6月 9日(木)09時32分7秒
タイトル それは大変嬉しい事です。
日参してしまっておりますが、管理人様恐縮です。
スハ32様、何より御同意頂きまして感謝致します。
C623機計画におりました頃、幾度か海外の鉄道保存団体の方の警護で同行したのですが、
欧米の「産業文化財保存」は日本とは全く異質で、流石に誇りを重んじる気風なのだな、と感心しました。
客車にしろ、機関車にしろ、その保存・管理・運営・運行に「市民団体」が直接関れるのですね、
更にどこかの島国と違い「文化財」と「運輸産業機材」は別のものとされているのです。
ですから、安全基準も違うし、寄付金を受け付けて運用する「市民団体」も原則「商売」が許可されており、
同じNPOでもあちらは全然違います。
その最先進国・連合王国の視察団の方は、「この企画の素晴らしさは庶民が、特に青年が活躍している事にあります。
日本では困難な事だったでしょうが、貴方達青年がそれを変革して行く事が、鉄道文化なのです。(趣意)」と。
JR東日本が在来車を潰せないには政治的理由があります。
しかし、それを「文化遺産的価値」として公表した事は多いに喜ばしい限りです。
しかし、スエ7815は床板修繕したのかしら?発電機ベルトの緩み直したかしら??
ええ・・・高速運行中外れ掛かり凄く恐い思いをしましたので・・・
ただ、問題はその数少ない在来車がJR東日本の社宝となっていて、
今後蒸気機関車計画が持ち上がった際に「専用」と出来ない事でございます。
JR北海道に譲渡した車は、窮余の策でしたから例外としても、
この先「鉄文協方式」「パレオ方式」の「主催団体完全管理」で運行される場合は客車が無い!と言う事になります。
原則として高崎の在来車は本社運転車両課長決済のカテゴリで、修繕経費全額本社給付なのだそうですが、
支社で自由に出来るものでも無いとか。
それに、磐越東線で実証されている様に、在来車は蒸気機関車同等の「引っ叩き」がある箱で、
それにJR東日本も気付いたからには、簡単に「年間100日貸してよ」とは言えないのです。
それと、国鉄時代から変わらない事ですが、「現場」の「役所」(ここでは運転区所や駅・地区と本社や支社)は
「言葉」も「人間」も「哲学」も「根性」も「精神」も全く別なのです。
現場の高崎客車区(当時)は「どんどん使え〜」と色々便宜を計って下さったにも関わらず、
「役場」は「そんな・・・無理・無茶・出来ない・やる気しない〜」と来るのです。
が、それは「JR東日本の総意」では無いと申し上げます。
この掲示板の皆様の様に、熱い鉄道屋はまだまだ居ます。
ただ、それら「国鉄時代からの猛者」が生き残っているうちに何とかしないと・・・いけません。
長文失礼致しました。
投稿者のホームページ

投稿者 こみやさん
投稿日 6月 9日(木)23時18分30秒
タイトル 安房守義将様
今高崎にある車を大事に使い保存していくことが一番だと思います。
新造したり公園とかの保存車を現役にするのは大変です。
約20年前にオリエント急行が日本を走りました。
それにかかわった人達は義将様のような熱血ある鉄道屋です。
義将様の今後の活躍に期待しますm(__)m
それにしても熱血ある鉄道屋が上から下までいないね。
だから尼崎の悲劇が信楽の悲劇が(;;)

倶楽部メモ(278) 平成17年 6月26日〜 7月 9日

投稿者 安房守義将
投稿日 6月26日(日)04時26分46秒
タイトル 大変御迷惑お掛け致しました
 重ねて皆様へ御迷惑お掛け致しました事をお詫び申し上げます。

 ア・ドン様、御投稿の通り在来型一般客車と蒸機運行の関係は、その「湯気」の節約、大いにございます。
 但し、大井川鉄道白井氏に伺ったのは、「熟練度の問題」だとか。
 実際に、C623機の場合、運転の神様とと呼ばれた小樽築港機関区・K氏と、
新人機関士氏との消費石炭は小樽〜ニセコ間往復で2トンの差、1トン36000円でしたから、数重なれば相当なものでした。
 それにSGとなると燃費だけでも相当になりまして、それで小樽築港機関区企画室当初案は14系だったのです。
 しかし、在来型一般車の運行で最大の問題は「人件費」で、
扉が自動で無い為に通常は各扉に扉警要員を置くこととなっておりました。
 JR乗員1日/人25000円でしたから、これを両数分(まぁ1人は運転車掌ですが)となると・・・・
幸い北海道鉄道研究会で団臨運行実績があった事と、災害時の補償は主体者(鉄文協)が負担、となっていたので
「ボランティア代行」が認められたもの。
 手配や人件費、更に責任問題となれば「面倒臭い」と思われるのは必至でして、
それが在来型一般車運行そのものを阻んで来た最大の理由です。
 ちなみに現在の旭川所管車は半自動扉ですが、それは「各扉への扉警省略OK」なのだそうです。
(この扉の扉警云々は運輸省やら法律のレベルでは無く、各JRの勝手によるものです)
 また、蒸気暖房(SG)は今日不要か・・・と言えば必要で、
例えば高崎区スエ又はオハニを組成した場合、そこでEG(電気暖房)回路が途切れるもので、
JR足尾線最終日の「足尾エクスプレス」や1992年の「わたらせエクスプレス」では
「往路桐生及び復路全区間暖欠」(つまり暖房無し)となって参加者は震え上がったものです。
(元来は「DE101705機除く指定運用」と指定したものが「1705機指定運用」と誤認された悲劇で、
まぁ参加者は喜んだものの事実を知る乗務要員は真っ青になりました。)
投稿者のホームページ

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