昭和40年ごろまでは、ハザの座席指定はもっぱら特急列車が中心で、急行列車ではごく少数派でした。 
             指定席が普及しはじめるのは、「マルス」が本格稼働するヨンサントオ改正からだったと思います。 
             なお、行楽地行きの準急列車では、それ以前に全車指定席のものが多数運転されていたようです。 
             
             EF5841様は、スハ43系の「さくら」にご乗車になったのですか! 
             そのような当時を知る方の前で気が引けますが、昭和30年代の状況を、私なりに手元の資料で若干ひもといてみます。 
             鉄道公報第1882号(昭和30年12月13日)通報によると、 
             同月21日から1〜4列車「つばめ」「はと」の3等車が座席指定制となる旨が記されています。 
             それ以前は座席定員制だったようです。おそらくこれが、ハザで初めての座席指定だったのではないでしょうか。 
             急行列車においては、昭和32年10月1日改正で登場した元祖「寝台列車」である「彗星」で、 
             編成中唯一の座席車スハフ42が座席指定制をとったのが始まりです。 
             これは、当時「ハネフ」という車種が存在しなかったため、 
             編成末端の緩急車としてやむを得ず連結されたものと思われます。 
             その後も、「彗星」と同様に「寝台列車」に若干両の指定ハザが連結されましたが、 
             大部分の急行列車のハザは自由席ばかりでした。 
             急行のハニで指定席となった例としては、昭和39年10月1日改正時の寝台列車「安芸」の増1号車オハニ36がありますが、 
             多くのハニは自由席だったと思われます。 
             
             コンピューターのない時代、指定席は、全国の駅と指定席センター(名称は違うと思いますがそういう部署) 
             の何千人という係員が、手作業と電話連絡だけで管理・発売していました。 
             今から見れば気の遠くなるような、しかし見事な連係プレーですね。 |