倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
ハザの座席指定
昭和30年代の列車の普通座席における座席指定の有無について



倶楽部メモ(261) 平成17年 1月19日〜 1月31日

投稿者 ミキスト
投稿日 1月31日(月)12時37分25秒
タイトル Reただ者ではないオハニ36
仰る通りですね.
オハニ36の使われ方をみると,ハザ→ハネ→ロザ→シ→ロネなど,
優等車の順番の一番最後にロネ→ハニのパターンが少なからずあるので,
半室ハザの車内や乗客の雰囲気に興味があります.
食堂車にいくにも優等車を通過していくわけですよね.
ところで当時の長距離列車のなかで,ハニのように貴重であった3等座席は
自由席だったのか,指定席だったのか,どうなのでしょうか.

倶楽部メモ(262) 平成17年 1月31日〜 2月16日

投稿者 EF5841
投稿日 2月 1日(火)09時56分11秒
タイトル ハザの座席指定
スハ44系に置き換え前、スハ43系の「さくら」に乗車しましたが、ボックスシートでも座席指定でした。

投稿者 クモイ103
投稿日 2月 1日(火)21時43分39秒
タイトル Re:ハザの座席指定
 昭和40年ごろまでは、ハザの座席指定はもっぱら特急列車が中心で、急行列車ではごく少数派でした。
 指定席が普及しはじめるのは、「マルス」が本格稼働するヨンサントオ改正からだったと思います。
 なお、行楽地行きの準急列車では、それ以前に全車指定席のものが多数運転されていたようです。

 EF5841様は、スハ43系の「さくら」にご乗車になったのですか!
 そのような当時を知る方の前で気が引けますが、昭和30年代の状況を、私なりに手元の資料で若干ひもといてみます。
 鉄道公報第1882号(昭和30年12月13日)通報によると、
 同月21日から1〜4列車「つばめ」「はと」の3等車が座席指定制となる旨が記されています。
 それ以前は座席定員制だったようです。おそらくこれが、ハザで初めての座席指定だったのではないでしょうか。
 急行列車においては、昭和32年10月1日改正で登場した元祖「寝台列車」である「彗星」で、
 編成中唯一の座席車スハフ42が座席指定制をとったのが始まりです。
 これは、当時「ハネフ」という車種が存在しなかったため、
 編成末端の緩急車としてやむを得ず連結されたものと思われます。
 その後も、「彗星」と同様に「寝台列車」に若干両の指定ハザが連結されましたが、
 大部分の急行列車のハザは自由席ばかりでした。
 急行のハニで指定席となった例としては、昭和39年10月1日改正時の寝台列車「安芸」の増1号車オハニ36がありますが、
 多くのハニは自由席だったと思われます。

 コンピューターのない時代、指定席は、全国の駅と指定席センター(名称は違うと思いますがそういう部署)
 の何千人という係員が、手作業と電話連絡だけで管理・発売していました。
 今から見れば気の遠くなるような、しかし見事な連係プレーですね。

投稿者 EF5841
投稿日 2月 2日(水)16時32分22秒
タイトル 指定席発券
マルス登場前は、東京、名古屋、大阪に発券センターがあり、個々の駅は鉄道電話を通じて電話をかけ、
予約状況を聞き取り発券していました。
また、東京、上野、横浜、名古屋、京都、大阪等の駅ではいちいちセンターに電話照会せず発券できました。
それらの駅では、直径5m以上ある円卓の上に国鉄全線の指定席のある列車の冊子が
1列車ごとに差し込んだターンテーブルがゆっくり回転していました。
発券希望列車を紙に書いて伝えるとその他ーテーブル上の冊子を抜き取り発見状況を確認し、発見していました。
確か、1回転30秒くらいかと思いますが、1回転のうちに余席確認、発券、余席残量整理をしていました。
正に神業です。
列車発車後は、センターを通じ、当該列車のカレチに余席を通知しておりました。

投稿者 EF5841
投稿日 2月 2日(水)16時51分51秒
タイトル 笑い話
既出、「さくら」に乗車した時、今ではまったくのお笑いですが、
流石、特急、良質の石炭を使っているから殆ど煙が出ない・・・・。
それもそのはず、東海道本線全線電化されたからです。
子供にとって、全線電化、ピンときませんから・・・。
「さくら」乗車の折、ボックスシートなるが故、がっかりしました。
特急の座席といえば、一方向座席だとてっきり思っていましたから・・・。
無理して手に入れた特急券、どら息子からは、特急ではないとぐれられる。
そんなこともあり、親爺が「つばめ」に乗せてくれたのは、その後のことで、
前出の発券風景、名古屋駅でまじまじと見て記憶しております。
特ロは、無理にしても、話題となった「ハニ」の座席に腰掛けられた時は、
今流の比較をするならば、国際線のファーストクラスの乗客になった気分でした。
ただ、その後、「こだま」の登場により、子供の間では、「つばめ」は一格下の扱いでした。
当時、「こだま」は2・3等、「つばめ」は1・2・3等、 
1等車のない特急なんてといって負け惜しみをいっておりました。
ただ、その「こだま」は、乗らずしまい。
やっと「こだま」に乗ったのは、昭和50年代半ば以降であり、各駅停車「こだま」でした。
その意味で、真の特急は、「つばめ」乗車以降一度も乗らずしまいです。

倶楽部メモ(360) 平成19年 3月20日〜 4月11日

投稿者 クモイ103
投稿日 3月24日(土)21時22分13秒
タイトル 大訂正:32-10改正[彗星]のスハフ
車掌@仙コリ様、そしてご乗車の皆様、これまで誤った情報を流していました。

 昭和32年10月1日ダイヤ改正で元祖「寝台列車」となった東京−大阪間急行[彗星]に連結された
唯1両の座席車スハフ42について、これまで折に触れて座席指定制だったと述べてきましたが、
当時の鉄道公報を精査したところ、登場当初は座席指定でなく「列車指定」だったことが判りました。
 関係箇所を丸写しでご紹介します。

------------------------
鉄道公報第2406号(昭和32年9月21日(土))通報
「列車時刻改正後における乗車券類の発売並びに旅客の取扱上の注意について(営業局)」
 本年10月1日から列車時刻の改正が行われるが、
これに伴って、乗車券類の発売上及び旅客の取扱上で一般の取扱方又は従来の取扱方と異なるものがあるので、
下記の点に留意し、誤りのないようにされたい。
 −中略−
2 普通急行列車第17・第18列車(彗星)関係
 この列車は、寝台専用列車であるが、寝台車のほかに3等座席車を1両連結するので、
この座席車に乗車する旅客に対しては、次によって取り扱うこととする。
(1) 旅客及び荷物運送規則(昭和25年5月日本国有鉄道公示第110号)第12条の規定により普通急行券の発売方を制限し、
  普通急行券に列車指定を行い、割当発売をする。
(2) 普通急行券の発売方及び列車の指定方は、旅客及び荷物運送取扱細則(昭和25年5月総裁達第254号)
  第36条の2の規定によるほか、普通急行券の裏面に「列車指定何月何日何列車何号車」の例により表示する。
(3) 前号によって発売した普通急行券は、列車を指定しているが、他の普通急行列車に対しても有効として取り扱う。
(4) 第2号によって発売した普通急行券を、旅行開始前に払いもどしをする場合は、
  旅客及び荷物運送規則第137条の規定による乗車列車を指定して発売した急行券とはせず、
  無指定の急行券として払いもどしの取扱いをする。
 −後略−
------------------------

 3等座席車の指定制の始まりについて整理すると、
特急については、これより前の昭和30年12月21日、特急[つばめ][はと]の3等車が
定員制から指定制へ変わっていることが、鉄道公報から判明しています([かもめ]については不明)。
特急以外では、これまでこの32-10改正時の[彗星]が最初と思っていましたが、
実は昭和33年8月1日に登場した気動車準急[ひかり]でした。
鉄道公報第2654号(昭和33年7月26日(土))通報「「急行料金・特別2等車料金・寝台料金を収受する列車等について」
の一部改正について(営業局)」に記載があります。
これに伴い「座席指定券」が初登場したことも、
同じ公報の総裁達第372号(日本国有鉄道乗車証規程の改正)で確認できます。
 2ヶ月後の33-10改正では、急行列車の2等車に新たに指定席車が導入されましたが、
この時[彗星]の3等車スハフも指定席となった模様です。
(参考:鉄道公報第2703号(昭和33年9月22日(月))通報
「急行料金・座席指定料金・寝台料金を収受する列車等について(営業局)」)

 なお、私は過去に「客車空気調和装置資料室」でも同様の誤った記述をしていますので、
今回の訂正は結果的に多重投稿となってしまう事、どうかご了承下さい。

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