初めて投稿させていただきます。 突然違った話題を挟んでしまい大変申し訳ありません。 昭和30年代には、ほぼDC化を終えた紀勢線の優等列車ですが 不思議なことに、下り天王寺行の「南紀2号」のみ定期でありながら SLが重連で牽引する客車列車でありました。
私の疑問は何故、片方向のみの定期準急客車列車が存在したのか? この「南紀2号」は一時DC化されたものの、またわざわざ何故SL牽引で 客車列車として復活したのか? そして、東和歌山ではED60の牽引力の関係で列車は二分割され先発と後発に分かれて 天王寺へと向かったらしいが何故ED60を重連にて牽引できなかったのか? 子供の頃からの長年の疑問です。 どなたかお分かりの方がおられましたら是非ご教示くださいませんでしょうか。 よろしくお願い申し上げます。 |