はじめて投稿いたします。私は昭和36年生まれで、小学校高学年から中学生にかけて 熱心な鉄道マニアで、当時住んでいた盛岡で盛岡客貨車区に入り浸っていました。
2歳のときに急行「北斗」の一等B寝台(オロネ10)に乗ったのが誇り(^_^;です。 高校生の頃まで旧客にはよく乗りましたし、またよく鑑賞しました。 当時20系-->14系の「北星」で何度も上京していましたが、 上野では少年ファンたちのカメラの放列のなかでの到着となり、懐かしいです.. (10系北星には客貨車区で何度も見学させてもらった..すべての客車から発する冷房用の エンジン音が迫力だった)
さて、スイ38のことで伺いたいことがあります。 「御料車物語」田邊幸夫・著によれば、300号について、 昭和30年10月、.....1人用リクライニングシートに置き替え、.... 形式番号もスイ381号、382号と改めました。とあります。
ということで、「つばめ」に増結されていたスイ38は、当初からリクライニングシート だった、と理解していたのですが、
「栄光の超特急<つばめ>物語」増田浩三・編著の p117
の写真からは、 背ズリがとても低く、旧来の安楽椅子のままのように見うけられます。 これは、どう解釈すべきなのでしょうか。
ひょっとしてこれはマイ38改造時にリクライニングシートになった、ということの 誤り?
ご教示ねがいます。 |