突然別の話で恐縮です。
マロネロ 38様をはじめ、客車列車の全盛時代を体験なさった方々がこの掲示板においでになりますので、
いつか伺おうと思っていたのですが・・・
戦後、連合軍専用車に白帯を取られて、1等車の等級帯がクリーム色になったというのはよく知られていますが、
(1)そのクリーム色というのは、どんな感じの色だったのでしょうか? (2)クリーム帯は、最後まで白帯に戻らなかったのでしょうか?
(1)に関して補足…
模型では「クリーム色2号」を使うという人もいますが、そんなに黄色っぽい色だったのでしょうか?
確かに当時「黄色」という表現をしている人がいますが(鉄道ピクトリアル昭和32年1月号の読者短信欄)、
かの神様仏様星晃様は「薄クリーム色」と仰せになっています。
「○○色*号」という色番号は昭和31年に制定されたそうですが、
2等車の帯色が「青1号」と命名されているところを見ると、1等車は「クリーム色1号」だったのではないか?
などと考えてしまいます。
(2)に関して補足…
昭和31年11月、青大将カラーが登場して、当時存在した1等車の殆どが緑色になりました。
その時まで、1等車の帯色はクリーム色だったと、星様は述べておられます。
さて、青大将にならず、ぶどう色で残った1等車が、若干両ありました。
そのうち、マイテ39 11とマイフ97 1の2両は、昭和35年7月の2等級制移行まで残存しました。
その期間中の昭和34年6月23日、新しい「車両塗色及び標記方式規程」が制定され、
1等車の等級帯は「白」とされています。
> 第14条 1等車及び2等車には、車体外部両側の窓の下に150ミリメートルの幅をもつて等級帯をつけ、
その塗色は、1等車は白とし、2等車は青1号とする。
但し、特別急行(つばめ、はと、あさかぜ、はつかり及びこだま)用及び気動車の2等車には、等級帯をつけない。
この時、マイテ39 11とマイフ97 1の2両が本当の「白帯」にならなかったのか、誰に訊いてもわかりません。
ご存知の方がおられましたらご教示賜りたく、お願いします。 |