お邪魔します。千葉県佐倉市在住の青列車と申しますm(_
_)m さて、最近気になる事がありまして、諸賢のお知恵を拝借致したくまかりこしましたm(_
_)m
昭和16年、国鉄(鉄道省)客車の大きな称号改正が行われました。
それまでの五桁ナンバーが形式記号+2桁数字+個体番号(例スハ33650→オハ35)になりました。
その2桁の数字は概ね次のようになっていると聞き及んでおります。
10 軽量客車(ナハ10、オハネ14等) 20 固定編成客車(ナハネ20、オハネ25等) 30〜50 一般型客車 60 鋼体化客車 70 戦災復旧車 80 和式客車 90 試作・事業用
昭和16年の時点では、少なくとも60代以降の区分けの概念はなかったかと思いますが、
しかし、同じくその当時構想もなかったであろう軽量客車、固定編成客車用の?10台、20台が使われず?
30台から使われているのですが、これは何故でしょう?
17メートル級も20メートル級も、オハ31もスハ32も、同じ30台に入っています。
自分なりに愚考してみるに…
オハ31やスハ32は、車体長こそ違うけどいずれも鋼製客車。
既に優等車には20メートル級は存在した当時、大きく区分けする対象として有り得そうなものは…?
(1)山陽線で発生した特急1列車の被災事故以来新製が中断されたとはいえ、
第二次大戦後までその劣った安全性(殊に車体剛性)が指摘され事実大事故の事例もありつつ
事業用車に到っては昭和30年代まで残っていた木造客車
(2)鉄道国有化で国鉄(鉄道省)に編入された各民営鉄道から引き継いだ「社型」「雑型」
もしかして?10台、20台はこれらの車輌に新しい形式記号を振るためだったのでしょうか? (その割にはナハ22000の一党には、新記号が振られた様子は寡聞にして存じませんが…?)
そういえば、20系寝台車が登場する前に、オハ27、マハ29などという客車もいるにはいましたけど… (まさか20代は優等車格下げ改造用だった?ってことはなさそうですが…)(^^);
閑話休題
RP誌今月も買いました。オロ35が載っていませんでした。
てっきりコヤツもオハ35の一党だと思っていましたがさては?スハ32グループのクルマだったのでしょうか?
(マシ35もスハニ35も載ってない…?って、コヤツらはスハ43系の仲間だから当然対象外)
形式番号だけで〜系とは簡単に括れないのが、旧世代客車の解り辛いところですが、
それは同時に嵌ってしまったら死んでも抜け出せなくなりそうな?興味深い世界でもありますね(爆) |