倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
【形式番号】なぜ30台から?
昭和16年の称号規定改正で鋼製客車が30番台からになった理由



倶楽部メモ(240) 平成16年 6月19日〜 6月24日

投稿者 青列車
投稿日 6月22日(火)23時46分28秒
タイトル 【形式番号】なぜ30台から?
お邪魔します。千葉県佐倉市在住の青列車と申しますm(_ _)m
さて、最近気になる事がありまして、諸賢のお知恵を拝借致したくまかりこしましたm(_ _)m

昭和16年、国鉄(鉄道省)客車の大きな称号改正が行われました。
それまでの五桁ナンバーが形式記号+2桁数字+個体番号(例スハ33650→オハ35)になりました。
その2桁の数字は概ね次のようになっていると聞き及んでおります。

10   軽量客車(ナハ10、オハネ14等)
20   固定編成客車(ナハネ20、オハネ25等)
30〜50 一般型客車
60   鋼体化客車
70   戦災復旧車
80   和式客車
90   試作・事業用

昭和16年の時点では、少なくとも60代以降の区分けの概念はなかったかと思いますが、
しかし、同じくその当時構想もなかったであろう軽量客車、固定編成客車用の?10台、20台が使われず?
30台から使われているのですが、これは何故でしょう?

17メートル級も20メートル級も、オハ31もスハ32も、同じ30台に入っています。

自分なりに愚考してみるに…

オハ31やスハ32は、車体長こそ違うけどいずれも鋼製客車。
既に優等車には20メートル級は存在した当時、大きく区分けする対象として有り得そうなものは…?

(1)山陽線で発生した特急1列車の被災事故以来新製が中断されたとはいえ、
第二次大戦後までその劣った安全性(殊に車体剛性)が指摘され事実大事故の事例もありつつ
事業用車に到っては昭和30年代まで残っていた木造客車

(2)鉄道国有化で国鉄(鉄道省)に編入された各民営鉄道から引き継いだ「社型」「雑型」

もしかして?10台、20台はこれらの車輌に新しい形式記号を振るためだったのでしょうか?
(その割にはナハ22000の一党には、新記号が振られた様子は寡聞にして存じませんが…?)

そういえば、20系寝台車が登場する前に、オハ27、マハ29などという客車もいるにはいましたけど…
(まさか20代は優等車格下げ改造用だった?ってことはなさそうですが…)(^^);


閑話休題
RP誌今月も買いました。オロ35が載っていませんでした。
てっきりコヤツもオハ35の一党だと思っていましたがさては?スハ32グループのクルマだったのでしょうか?

(マシ35もスハニ35も載ってない…?って、コヤツらはスハ43系の仲間だから当然対象外)

形式番号だけで〜系とは簡単に括れないのが、旧世代客車の解り辛いところですが、
それは同時に嵌ってしまったら死んでも抜け出せなくなりそうな?興味深い世界でもありますね(爆)

投稿者 奥井淳司
投稿日 6月23日(水)12時52分34秒
タイトル Re:【形式番号】なぜ30台から?
青列車様

昭和16年の改正は鋼製車のみを整理したもので、29999までの木造
車は対象外だったため30台から番号がつくようになったようです。
木造車の「雑形、中形、大形」は昭和3年の改正で整理されました。
電車や貨車も同じで、番号が途中からはじまるのは、明治、大正の
古い車両が整理されないまま並べてあるような感じです。


車輌称号規定(昭和3年)

  宮廷用客車      1〜 999
  2軸車         1〜 6999
  3軸車       7000〜 9999
  雑形2軸ボギー車   1〜 6999
  雑形3軸ボギー車  7000〜 9999
  中形2軸ボギー車 10000〜16999(明治43〜)
  中形3軸ボギー車 17000〜19999
  大形2軸ボギー車 20000〜26999(大正8〜)
  大形3軸ボギー車 27000〜29999
  鋼製2軸ボギー車 30000〜36999
  鋼製3軸ボギー車 37000〜39999
投稿者のホームページ

投稿者 クモイ103
投稿日 6月23日(水)23時27分10秒
タイトル Re2:【形式番号】なぜ30台から?
 昭和16年の称号規程改正では、奥井様の言われる通り、
鋼製客車には30以上の型式番号をつけるルールになっていました。
その後について若干補足を。
 昭和28年の称号規程改正では、鋼製客車の2桁型式番号に於いて、
末尾「7」が3軸ボギー車から取り上げられて2軸ボギー車に与えられた事が有名ですが、
このとき同時に、鋼製客車の型式番号として、新たに10台と20台が加えられました。
 その理由は、今後のさらなる形式の増加に対応するためでした。
ただ、それが実行されたもう一つの背景として、当時木製客車の淘汰が進み、
営業用からの撤退が秒読みに入っていたことがあると考えられます。
 その結果、青列車様のご指摘のように、かつては想像もされなかったであろう
軽量客車や固定編成客車の登場に対応できました。
さらになんと、平成時代になって「カシオペア」用のE26系客車にも、しっかり対応できているわけですね。
もうそろそろ限界かも知れませんが・・・

投稿者 青列車
投稿日 6月24日(木)23時33分15秒
タイトル ご教授有難う御座いました。
奥井様、クモイ103様
ご教授有難う御座います。
なるほど、5桁ナンバー時点で鋼製客車は30000代の形式番号だったことに由来していたのですね。

それにしても…スハ33650がオハ35にと、重量区分が変ったのは何故だったのでしょう?
(他にもそのような例があったように思いますが…)

スハ43の後期製造車は、後に重量測定したら設定値より軽く仕上がってオハ46に変更されたクルマがゴロゴロいましたが
(広トマ在籍オハ46=タイプ2=のスハ43との違いがどうしてもわからなかったわけです(^^);元々同じ車種でしたから)
まさか?同じ理由ではないですよね?(^^);

お詫び
本来ならすぐにレスを返すべきでしたが通信ソフトのせいか?
この掲示板に書き込んでもいざ回線つなぐとその都度発言が消えてしまい書き込み出来ませんでした。
今回電話代高騰を覚悟でオンラインのまま書き込みました。乱文平にご容赦願いますm(_ _)m

倶楽部メモ(241) 平成16年 6月25日〜 6月29日

投稿者 クモイ103
投稿日 6月25日(金)23時44分50秒
タイトル 重量区分の変更/12系の編成
>青列車様
 書き込みがうまくいかないのですか。私はそういう方面は解りませんが、早く直るといいですね。
 昭和16年改番での重量区分変更については、私も詳しいことは存じませんが、
オロ40も5桁時代はたしかスロだったり、
皇族用のマイロネフ37290の改番後は「マ」イロネフ38でなく「ス」イロネフ38が正しいとも言われたり、
いくつかあるようですね。
これらは、やはり「精査したら思ったより軽かった」というパターンなのでしょうね。
 なお、スイロネフ38については、戦後の接収時に手ブレーキがなくなってスイロネ37となり、
返還後に1両が皇太子非公式御乗用として再整備された時点では、正しく「マ」イロネフ38となりました。
これは、当時は空気調和装置を夏のみ搭載していたため重量区分に加味されていなかったのを、
昭和28年改番で加味するようになったためです。スイテ49がマイテ49になったのと同じです。

>こう様、青列車様
 青列車様の言われる通り、スハフ12 100番台は本来自車を含めて6両に給電できるが、
DG故障時の予備として余分に組み込むような話を、どこかで読んだ気がします。出典不明m(_ _)m。

投稿者 Ken
投稿日 6月25日(金)23時47分7秒
タイトル 客車の重量区分
 青列車様の疑問と重複しますが,ピク誌7月号p.50の表には35系客車の自重がかかれています。
これは重量区分は積車重量だそうですが,たとえば,自重がオハ35と同じレベルのスロハ32でなぜ「ス」になるのか?
 寝台車が重めなのは,車内設備の差でなく水タンク容量の影響もあり得る(マイネ40)?
などなぜなんでしょう。

「客車倶楽部」へ
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
現在や過去の夜行列車に関する資料を掲載
全盛期の時刻表データ等も掲載しています
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから
 
客車専門サイト「客車列車の旅」