倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
14系・12系の編成
14系臨時特急・12系臨時急行の編成・運用について



倶楽部メモ(240) 平成16年 6月19日〜 6月24日

投稿者 旧保津峡駅
投稿日 6月19日(土)22時38分46秒
タイトル オハ35系
皆様こんばんわ旧保津峡駅です。

また判らないことが出てきたので、書き込みに来ました。
題名のとうり、オハ35.52 256 549 709 736 738 919 
          1039 1112 1144
      オハフ33 165 297 2616
の塗装です。この客車は大体山陰口のもので、1978〜1981の間に廃車になって
ました。更新工事うけてないようですが・・もしご存知の方いらっしゃいましたら、度々
すいませんが、ご教授いただけたらと思います。
また重ねがさねすいませんが、80年代に私は一度しか目撃できなかったのですが、
EF81牽引14系臨時特急「雷鳥」とDD51牽引12系臨時急行「丹後」の編成に
ついても情報ご存知でしたら、ご教授ください。
宜しくお願いしますm(__)m

投稿者 こう
投稿日 6月24日(木)12時07分27秒
タイトル 12系14系は・・
12系は6連が多かったように思います。
スハフ12、オハ12×4、オハフ13かスハフ12・・14系も6連でしょうか?
「あそ・くにさき」「雲仙・西海」も同じような編成だったと思いますが、
スハフ14、オハ14×4、オハフ15・・
臨時列車はこれら波動用の客車をそのまま、あるいは2組つなげて使うことが多かったですね。
投稿者のホームページ

投稿者 こう
投稿日 6月24日(木)12時08分52秒
タイトル 12系訂正
12系6連では片側は必ずオハフ13になっていたと思います。
投稿者のホームページ

投稿者 旧保津峡駅
投稿日 6月24日(木)22時00分34秒
タイトル どうなのかな…
こう様。情報ありがとうございます。

6連なのですか?では「雷鳥」もそうなのかな????
異様に長く感じたので「雷鳥」の方は12連だったかも知れませんね。
編成は大阪方に連結されていたのは、オハフ15なのスハフ14なのか・・。

かつて山陰方面京都口の12系各駅停車はたいてい電源積んでいるスハフ12が京都出るとき
に、DD51の次位だったから向きはそれでいいのかな?
どうなんでしょうね。

倶楽部メモ(241) 平成16年 6月25日〜 6月29日

投稿者 青列車
投稿日 6月25日(金)01時56分42秒
タイトル 12系の編成
連続書き込み失礼しますm(_ _)m
12系客車はスハフの電源エンジンで当初は5両、後6両分のサービス電源が供給できるようになっていて、
オハ4両をスハフとオハフで挟んだ6両を1ユニットとし、場合によっては2ユニット併結して運用されていました。
後に消費電力が大きくなり(循環式汚物処理装置の搭載の影響が大きい)、
初期型では給電能力が不足するので4両給電となり、両端スハフの6連も多くなった由。
電源出力向上の図られたスハフは100番代になり、
こやつが入れば6両給電可能なため反対側がオハフでも支障がなくなったとのこと。
ただ、見た感じでは6両中両端ともスハフって編成も多々見かけました。
給電能力より故障時の予備の意味合いが強いのではないか?と思える編成でした。

東海道・山陽線系統では、下り方スハフ、上り方オハフが基本だったように思いますが、
運用の都合で編成ごと方転してしまう場合もしばしばあったのでは?
もっとも、電車とは違って編成の向きが逆になっても直接困ることはありませんよね(^^);
(指定席の席番が進行方向右だと思ったら左だったってな影響はあり得ますが)(爆)

投稿者 こう
投稿日 6月25日(金)19時28分46秒
タイトル 失礼しました。
青列車様。フォローありがたく存じます。そういえば、両方スハフの編成もありましたね。
スハフのほうが両数的にも多かったのもその為ですね。
汚物処理装置との絡みでしたか・・
関西では宮原と向日町、どちらかが先に汚物タンク取り付けを完了していたかと思います。
どっちだったかは覚えていません。。
14系といえば、「みやび」は7連でしたね。ふと、思い出しました。
臨時雷鳥は、二組つないでいたような気がします。
投稿者のホームページ

投稿者 クモイ103
投稿日 6月25日(金)23時44分50秒
タイトル 重量区分の変更/12系の編成
>青列車様
 書き込みがうまくいかないのですか。私はそういう方面は解りませんが、早く直るといいですね。
 昭和16年改番での重量区分変更については、私も詳しいことは存じませんが、
オロ40も5桁時代はたしかスロだったり、
皇族用のマイロネフ37290の改番後は「マ」イロネフ38でなく「ス」イロネフ38が正しいとも言われたり、
いくつかあるようですね。
これらは、やはり「精査したら思ったより軽かった」というパターンなのでしょうね。
 なお、スイロネフ38については、戦後の接収時に手ブレーキがなくなってスイロネ37となり、
返還後に1両が皇太子非公式御乗用として再整備された時点では、正しく「マ」イロネフ38となりました。
これは、当時は空気調和装置を夏のみ搭載していたため重量区分に加味されていなかったのを、
昭和28年改番で加味するようになったためです。スイテ49がマイテ49になったのと同じです。

>こう様、青列車様
 青列車様の言われる通り、スハフ12 100番台は本来自車を含めて6両に給電できるが、
DG故障時の予備として余分に組み込むような話を、どこかで読んだ気がします。出典不明m(_ _)m。

投稿者 旧保津峡駅
投稿日 6月26日(土)00時02分9秒
タイトル いろいろ
青列車様、こう様、クモイ103様情報ありがとうございます。

なるほど・・12系など電源付き客車は、いろいろな運用の仕方があった様子で、
かならずしも基本の形ではないのですね。客車の世界もやっぱり奥深いですね。

投稿者 青列車
投稿日 6月28日(月)12時40分59秒
タイトル 【12系・14系】電源エンジンが故障したら?
12系・14系客車の電源エンジンは、本来6両給電可能ですから、6
両に1両スハフが入っていれば事足りるはずです。しかし、1箇所
だけの電源部が故障してしまうと、困ったことになりますよね。

その昔、山陽線西部で運転されていた海水浴臨時列車がありました。
1972年設定された当初は急行だったものの、1975年からは列車種別
は快速になったものの、使用車輌が14系座席車という大判振る舞い
列車でした。我が故郷の優等列車無縁の小駅にも、駅前100メートル
の海水浴場があったおかで、停車駅のお相伴に預かっていました。
何かと用を作っては利用したものです。(^^);

あれは今を去ること25年(も経ってるんだ!)前の1979年の夏のこと、
今はくたびれ果てた中年おやぢの私もまだ予備校生だった頃、例に
よって口実作ってこの列車に防府駅から乗りました。臨海学校関係
の利用があるのか?6両編成中一般客が乗れるのは後部1、2号車
のみ。気まぐれでスハフに乗ったのですが、防府駅発車後程なく、
エンジン音が消え、車内照明が非常灯のみになってしまいました。

先頭のEF58はそんな事情は知る由もなく?山陽線を東に向かって快
走します。富海駅停車。ドア扱いには支障がないのか?無事客扱い
が出来て発車します。やがてトンネルの連続する区間に差し掛かり
ますが、当然車内は真っ暗のまま。幸か不幸か、車内はガラガラで
したので、この時点ではまだ影響は少なかったのですが、この日は
どぴーかんのカンカン照り。真夏のの山口県の瀬戸内側です。外気
温は30度以上あったはず。12系だったら窓が開くのでまだしもです
が、固定窓の14系。私は徳山でこの列車を降りたので、冷房なしの
影響は殆ど感じなくて済んだのですが、さて、この列車はこのまま
広島方面へ走って行きます。

この列車の終点は運転年によって、広島・西条・白市のいずれかに
なっていました。12両で運転される時は瀬野八で走行解放が見られ
たはずですが、惜しむらくは、その区間で乗車するチャンスを得ま
せんでした。
(1980年からはカマがEF61になったので、瀬野八での後補機の出番
はなくなったと思われますが…)

倶楽部メモ(242) 平成16年 6月29日〜 7月16日

投稿者 急行音戸
投稿日 6月30日(水)23時25分44秒
タイトル re【12系・14系】電源エンジンが故障したら?
こん○○わ!青列車様、昔、山陽線西部にも、海水浴臨が走ってたんですね。
それも14系とは・・・特にEF61牽引ならば是非見たかったです。
私の住む山陰線西部(下関口とも言う)にも、北浦ビーチ号と言う臨客が走ってました。
長門粟野か阿川で客扱いをやめ、長門市まで回送で白昼上下していたのを見かけました。
まだまだ在籍中の車両14系座席車、ゼヒ機会を見つけて乗車してみたいものです。
PS年末年始は14系で、廃止になった「夜行さんべ」のスジで臨客が走ってました。
一度、近くに駅まで見に行きましたが、以外に長編成で驚きました。

投稿者 急行比叡
投稿日 7月 8日(木)01時45分31秒
タイトル 電源車のトラブルについて
 こんにちは。急行比叡です。ご無沙汰しております。

 不幸中の幸いと申しましょうか、私の乗り合わせた客車列車では、
今のところ、電源エンジンの故障というトラブルに見舞われたことはありません。
しかし、高校生のころ、東京の都電で珍しい(?)トラブルに見回れました。

 電車と自動車の接触事故のあおりを食って変電所のブレーカーが下がるというトラブルに見舞われた挙句に、
私の乗り合わせたものの先行の荒川車庫前行きの車のバッテリーが上がってしまいました。
どうするのかなと様子を見守りつづけていたら、私の乗っていた電車で故障車を後押しして車庫まで送り込むとのこと
(そら殺生やがな!)。
夏の暑い盛りのホームに下ろされてしまいました。
仕方なく、電車を数台やり過ごして、空いた三ノ輪橋行きに乗って、家に帰ったのを覚えています。

 しょうもない話で失礼しました。

投稿者 マロネロ 38
投稿日 7月11日(日)09時50分24秒
タイトル 電源車の故障
12,14系の12連なれば、少なくとも1両は電源車が生きているので、車内灯ぐらいは点き
ますが、6両のときはスハフが2両必要ですね?真冬に秋田へ出張した同僚が、「きたぐに」に
乗ったら、(12+スロ61の時代、ハネの14系新潟回転車付属編成時代)、スハフ12の
発電機ベルトが凍結して新潟でウヤになり、「事故列変」でDC急行に乗り換えさせられたと
ぼやいていました。その他「さくら」のカニ22?が故障して、乗客が怒ってホームへ降りて
しまい、氷柱を積み込み、客室扉を全部開放して運転、確か希望者には新大阪から「ひかり」で
東京へ向かってもらった事件もありました。
アメリカ西海岸出張で、ポートランドからシアトルまで乗車のとき、床下に大きな[発電機」が
ぶら下がりシャフトで車軸に直結してありました。バッテリーも大きなのが付いていましたが
[プルマン」車でした。

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