倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
簡易寝台車について
簡易寝台車の両数・車番・構造について



倶楽部メモ(238) 平成16年 5月30日〜 6月 9日

投稿者 こう
投稿日 6月 6日(日)18時35分49秒
タイトル 簡易寝台車
>エアスマップIREさま。。大切な思い出ですね。
僕も良く山陰線や福知山線の列車には乗りました。きちんと記録しておくんだったと悔やんでします。
その記録がきちんと出来ていない話の続きですが・・

先日来、高砂工場関係の資料を色々漁っていました。
その中に僕自身の作業手帳・・最初の1冊だけが見つかったのですが・・これに簡易寝台車の車番が何両か出てきました。
所属はいずれも大ヒメだったと思います。
スハ432488、オハ462042、スハフ422303、スハ432489でした。
あと2両ほどあったかと思いますが、
自分が担当したクルマしかメモをとっていないので、現状でわかるのはこれだけです。
実際にこれに乗車された方、寝台を使われた方はあるのでしょうか?
車両の中身は・・座席部分のつくりは良く覚えていますが、
背もたれに載せる板がどんなだったかは簡易寝台廃止後の工場では知る由もなく、当時、不思議に思った記憶があります。
投稿者のホームページ

投稿者 こう
投稿日 6月 8日(火)10時25分48秒
タイトル 画像BBSに
連続で失礼します。簡易寝台車の室内画像を門タケさまから、僕の画像BBSに送っていただきました。
実際の運用状態は知らなかったので、これはすごい画像だと思いました。
興味のある方、下のホームページから、画像BBSへすすんでくださいませ。
投稿者のホームページ

投稿者 クモイ103
投稿日 6月 8日(火)22時27分51秒
タイトル Re:簡易寝台車
 こう様の画像BBSから、「簡易寝台車」の話題を勝手に転線(?)します(笑)。
 最近神保町で、鉄道ピクトリアル449号(1985年6月・<特集>スハ43系客車)を入手しました。
小野田滋氏による解説記事の中に、
「改造は高砂工場で行われ,全車宮原客車区に所属して“リラックスカー”の愛称で団体輸送に利用された.」とあります。
こう様のお話では姫路所属とのことですが、実際には姫路区で管理していたのでしょうか。
 葛英一氏、小野田滋氏、勝村彰氏による車歴表には、対象車9両の車番と改造・復元日が記載されています。対象車は、
・スハ43 2240・2488・2489
・オハ46 2040・2042・2043
・スハフ42 2110・2121・2303
 簡易寝台車への改造はS.44年8〜10月、復元はS.53年7〜8月、全て高砂工場施行とのことです。

投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 6月 9日(水)01時28分37秒
タイトル Re2:簡易寝台車
こう様、クモイ103様
簡易寝台車(リラックスカー)については鉄道ピクトリアル719号(2002年7月・<特集>スハ43系(2))にも記載があり
23ページの「リラックスカー改造」の説明文には449号と同様に、9両が改造され宮原客車区に配置とありますが、
同書の29ページに対象車のスハ43 2488の客車履歴票が記載されていて
簡易寝台取付が昭和44年10月、同取外しが昭和53年7月、どちらも高砂工場で施工
簡易寝台取付時の配置は宮原ですが、昭和47年10月に姫路に転属とあります。
おそらく他の車両も同時期に転属していると推測できるので、こう様のご記憶はこの時期であろうと思われます。

それよりも問題となるのは改造台数ですよね。
同書にも実際に客車履歴票で確認されたのは5両とありますし、なによりも改造の現場にいられたこう様のご記憶が
6両ほどだったということは、本当に9両が改造されたのかどうか・・・。

投稿者 こう
投稿日 6月 9日(水)14時08分59秒
タイトル Re3:簡易寝台
僕が高砂工場に入社したのが昭和51年で、実際に客車の仕事を始めたのは昭和54年です。
ですから取り付け、復元の工事は知る由もないのですが、復元工事といっても、ごく一部の部品の撤去でした。
いつでも、また使えるようにはしてありました。複雑な座席も全般検査でも、そのまま整備して出場させていました。
さらにはそのまま金属窓改造がなされた車もありました。
両数については確たる証拠はありませんが、9両もあったかな・・そういう気持ちですね。
85年のピクトリアルは我が家にもあるかと思いますので一度見てみますね。
姫路に移ってからのこれらの車は通常の運用で播但線で使われていました。
投稿者のホームページ

投稿者 クモイ103
投稿日 6月 9日(水)22時00分11秒
タイトル Re4:簡易寝台車
>車掌@仙コリ様
 直近の特集号のことを忘れておりました(^^ゞ。
以前交博で85年の特集を一部コピーして持っており、さらに最近原本を入手したところだったので、
「そういえばあそこに載っていたような・・・」という単純な発想だけでした。

>こう様
 現場のからの貴重なお話し、ありがとうございます。
 復元工事の様子について、85年の方(小野田滋氏)は
「昭和53年に諸設備を撤去して旧に復したが,金属製の背ずり枠などにその面影を残している.」、
2002年の方(岡田誠一氏)は「復元後も特徴ある背ずり枠はそのまま残っていた.」と記述されています。
こう様の言われる「いつでも、また使えるように」してあったことは、ピク誌からは読みとれない情報です。

倶楽部メモ(239) 平成16年 6月 9日〜 6月19日

投稿者 急行越前
投稿日 6月 9日(水)23時01分51秒
タイトル 元簡易寝台車乗車!
ごくごくたまにレスさせていただいております急行越前と申します。

こちらの掲示板、こう様の高砂工場の画像、そして客車空気調和装置の掲示板
いつも楽しく拝見させていただいております。

さて、簡易寝台車の話ですが、
私は、83年山陰本線824レに運用中の浜田区所属のスハフ422121に宍道〜米子まで乗車しております。
そのときのメモによると「背もたれ上部にアルミカバー、その他イスに多くの違いあり、簡易寝台車か」とあります。

なぜ、私が簡易寝台車をその時点に知っていたかというと
中学時代からの私の客車趣味のバイブルである「客貨車ガイドブック(S46年版)」に記載があったからです。

その本には「簡易寝台付座席車(リラックスカー)」のタイトルで見開きで掲載されています。
スハフ42(番号解読不能)の外観、車内の写真、通常の座布団部分が向かい側の座席の方向にスライドし、
背ずりの下半分が下に降りてBOXシートがロネ車の下段ようになっている写真、
および全体のイラスト、断面図が載っています。

昼間は1BOXに3人、夜は下段に2人、上段(パイプ寝台)に1人との記載があります。
改造両数はスハ43、オハ46、スハフ42計8両(番号記載なし)とあります。

この記憶があったため不思議な座席をみてピンときたわけですが、写真を撮っていなかったことが悔やまれます。

投稿者 こう
投稿日 6月10日(木)14時59分43秒
タイトル Re5:簡易寝台
メモを良く見ましたら、先日お伝えした4両に加え、
オハ462040も、全般検査の解体作業だけ担当していたようです。
この次の年度のメモが見つかれば、大勢が判明するかもしれませんが、難しいところです。
ただし、このクルマについては簡易寝台かどうかはメモにはありませんでした。多分、書き忘れただけかと思います。
当時は高砂で客車を触っていながら、路面電車ばかり追いかけていた不良職員でした。。
きちんと記録することの大切さを思い知ります。
復元工事ですが、もちろん、実際の営業中に寝台をセットできるようにはしていませんでした。
簡単なステーをネジでとめて、背もたれが動かないようにしていました。
また、背もたれの上の「ツノ」と、座席布団の脚は外していました。
このあたりの感覚はナロネ21をナハ21に改造したときとよく似ています。
ナハ21の場合、座席布団が出てこないように、ステーをネジで簡単にとめると同時に、
寝台特有のがたつきを防ぐため、布団の下に塩ビパイプを切ったものを入れていましたが・・
>急行越前様。
実際に乗車されたのですね。背もたれが固くはなかったですか?
同じようなスハ43あたりの近代化車と、少し、背もたれの形が異なっていました。

オハ462042は昭和54年の全般検査で、金属窓への改造もしていたようです。
後、この仲間で樹脂窓のものもあったかと思いますが、それはメモには残っていません。
投稿者のホームページ

投稿者 急行越前
投稿日 6月10日(木)23時51分14秒
タイトル 元簡易寝台車乗車!自己レス&ナハフ11の塗装窓枠
>こう様

残念ながら乗り心地のことは覚えておりません。

覚えているのは、背ズリの下半分を下にスライドさせるためのレール?があったことです。
自分のメモにあった「背もたれ上部のアルミカバー」も実は記憶にはないのです。

ところで、写真を整理していたら青い窓枠のナハフ1120の写真が出てきました。
ほかにオロ11も青い窓枠の車が客車気動車研究会の写真資料室にありました。
スロ54も含めこのへんの車がこう様の言われている樹脂窓枠車なのでしょうか?

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