倶楽部メモ(219) 平成15年12月28日〜平成16年 1月 5日
投稿者 |
秋田県秋田市、細田 喜仁、26歳 |
投稿日 |
12月31日(水)10時26分12秒 |
タイトル |
宜しければ教えてください |
初めて投稿致します。。何方か詳細を御存知の方に教えて頂きたい事があります。。
一つ目は、ア・ドン様も投稿されておられた事なのですが、元「あさかぜ」「はくつる」に使用されていた
オロネ25の700番台車は現在どの様な状況なのでしょうか?
(何がきっかけであったのかは明確ではないのですが、最近、オロネ25の基本番台車と700番代車が
自分のツボをついたらしく何かと気になりまして・・・)、宜しければ是非教えて下さい。。
二つ目は、かなり前から気になっていて、今日にいたる事なのですが、
現在外観整備状態にあるマイテ3911が以前、青梅鉄道公園にて展示されていた時代の末期、
内外の車両状態が悪化して、特に車内に関してはカーテンで車内を閉ざしていたとの事でしたが、
具体的な内外の車両状態の詳細を知りたく思っておりました。宜しければ是非教えて下さい。。
三つ目は、マイテ492の復活時、具体的にはどのような作業を施して車籍復活したのか、
詳細を知りたく思っておりました。宜しければ是非教えてください。。
最後に、マイテ491廃車時、保存に関する動きはあったものなのか、宜しければ是非教えてください。。
長々と質問ばかりですみません、どうか宜しく御願い致しますです。 |
投稿者 |
ア・ドン |
投稿日 |
1月 4日(日)11時34分50秒 |
タイトル |
マイテ3911について。 |
マイテ3911ですが、青梅鉄道公園時代の末期を知っているので一筆書かせていただきます。
末期は激しく荒廃していました。
まず、外観はぶどう色2号が褪色して赤茶っけた艶のない色になり、
屋根は木製部分(特にダブルルーフ)が完全に朽ちて枯れ木色と化していました。
内装は雨漏りのため桃山式の内装は腐り落ち、ソファー・カーペットも腐ってしまっていました。
デッキの閉鎖処置をしなかったためデッキも荒廃し仕切りの扉は腐朽していましたし、
リクライニングシートの並んだ一等室も同様の状態だったようです。
製造銘板・車籍版は失われていませんでしたが、車籍板は鉄道省時代のままでした。
旧型客車は手入れをしないとすぐに傷んでしまいますね。
昭和55年に整備をしたらしいのですが、大井工場移管までそれ以降正直何も整備しなかったため
あのような無残な姿になってしまいました。
あの時点では国鉄財政が最悪で、クモユ143すら買収できない状態だったため、
山奥の青梅鉄道公園に回す予算は本当最低限だったみたいです。
(転落事故にみまわれたC51 5の復元はやっていますが・・・・。)
事実、国鉄時代末期の青梅鉄道公園の保存車群は見た目を最低限整備するのが精一杯だったようで、
欠落した部品の補充はありませんでしたし、C11 1の煙室扉は閉まらなくなっていました。
昭和55年から大井移管までの10年間にちゃんと維持管理しておけば
復活も夢ではなかったかもしれませんが・・・・。
すでに手遅れになっていたのですね・・・。 |
投稿者 |
秋田県秋田市、細田 喜仁、26歳 |
投稿日 |
1月 5日(月)17時09分51秒 |
タイトル |
マイテ3911情報の御礼 |
ア・ドン様、早速のマイテ3911に関する情報提供、誠にありがとうございますです。
以前、鉄道ファン誌で、青梅鉄道公園展示マイテ3911荒廃に関する記事を読んで以来、
今日までその実態を知りたく思っておりました。この場を借りて御礼申し上げます。
しかし、残念でならないのは、ア・ドン様の仰る通り、
マイテ3911が野外展示に見合った保守整備がなされなかった事です。
それと、自分自身の目でマイテ3911荒廃の状態を見れなかった事。
客車の野外展示ともなれば、おそらく、SLの野外展示以上に保守整備がなされなければ
維持管理ができない事は現場の方々が一番承知していたとは思うのですが(しかも二重屋根客車)、
なぜあのような荒廃状態に陥るまで放置されたのか、とても悔やまれます。
ただ、完全に朽ち果てて解体される前に外観整備がなされて、
現在見る事ができるようになった事はせめてもの救いだったと思います。
できましたらいつの日か、車籍復活は無理かもしれませんが、
現役当時、霊柩車のようだと陰口された桃山式の国宝級の(勝手に決めてすみません)
内装が完全復元される日を願いながら、長々とすみませんが文章を終わりとさせて頂きたく思いますです。 |
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