倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
ニセコのオユ10・マニ (3)


倶楽部メモ(212) 平成15年10月10日〜10月13日

投稿者 ア・ドン
投稿日 10月11日(土)18時13分43秒
タイトル ありがとうございました。
オユ10・マニ36・マニ60についての調査、ありがとうございました。
現在カトー改造で非冷房改造パーツが出てますけど、正確には後期車にしかならないことになりますね。
(もっとも、サロ165・152等の窓を利用するという手も有るのだけど。)
現在旧客は旅客車しか持っていないのですが、参考にしていろいろ作れそうです。
では。

投稿者 ア・ドン
投稿日 10月12日(日)14時21分43秒
タイトル 北海道の電暖車
以前質問したニセコ編成の中で、電暖を装備した北海道所属車・スユ13 2013などがありましたが、
航送等で送られて、東北・奥羽筋で運用されたことはあったのでしょうか?
逆はともかく、北海道所属車の場合はどうなんでしょうね。
また、車軸発電機はやはり北海道型だったんでしょうか?
(パーツはでているけど工作は難しいと聞きました)
おねがいします。

投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 10月12日(日)18時59分20秒
タイトル Re:北海道の電暖車

ア・ドン様
ご質問は昭和40年代だと思いますが、参考までに手持ちの資料で昭和58年の状況を調べてみました。
当時の「ニセコ」の郵便車は「北東航21」運用で所属は北スミでした。
(昭和53年頃までは「盛航21」運用等で盛アオ所属)

ちなみに青函航路で運用されていた郵便車全体を見ますと
  運用   所属  〜青森→青函航路→札幌〜    〜札幌→青函航路→青森〜
 北東航21 北スミ 荷35レ(東北)→153便→101レ   104レ→ 6便→荷36レ(東北)
 大航22  大ミハ 荷5041レ(奥羽)→1便→荷45レ  122レ→22便→荷5042レ(奥羽)
 札航21  札サウ 41レ(東北) → 1便→121レ   荷44レ→2便→42レ(東北)
 旭航21  旭アサ 荷1033レ(東北)→7便→荷41レ  荷48レ→6便→荷48レ(東北)

となっていました。

参考資料:JRR国鉄客車ガイド


投稿者 ア・ドン
投稿日 10月13日(月)13時10分03秒
タイトル お礼

ありがとうございました。組み込み可能なのですね。
東北筋の旧客末期の写真を見ると以外にオユ10の非冷房が多かったりしますよね・・・。
ちなみに電暖装備はオユ11には(101−105改造の)2501−2505しかなかったような・・。
しかも極短期間しか電暖区間での使用はなかったとおもうのですが・・・。
うーん、オユ14電暖装備型のスユ16(スユ15は護送便用の荷物車タイプ。
10系タイプの2001と、それ以降の50系タイプの2002〜がありますね。)にするのと、どっちがいいだろうか悩みますね…。
オユ14/スユ16の車番、車歴などご存知の方が居られたらお教え願うこと出来ますでしょうか?
(それでもこだわるなら台車が問題。カトーのNの旧20系用のTR55なぞ手に入らないだろうしなあ・・・。
気合入れるならカトー用オロネ10のTR60や、新20系のTR55対応に車体ボルスタ部分改造と言う手も有るのだけど・・・)

それから、色々な資料を見て気がついたことなのですが、
Nでマニ36200台(オロ40戦後型改造車)を作る場合、GMのマニ37を使うよりも、
GMマニ36側版+オハ35戦後型の屋根、妻板を組み合わせたほうがそれっぽくなりそうですね。
むろん、小改造は必要になりますが、余ったマニ36のもともとの屋根と妻板も、
小改造して組み合わせれば戦前形オハ35がつくれますから、無駄にはなりませんね。
では。


投稿者 伊藤@JNR.site
投稿日 10月13日(月)17時11分05秒
タイトル 郵便車について

 皆さん、こんにちは。

>ア・ドンさん
 はじめまして。郵便車の話題でしたので少しだけ、、、

 10系郵便車の概要や車歴表は鉄道ピクトリアル 1999年6月号(通巻:670)にありますので
参考にされるといいと思います。
 オユ10形は冷房化により番号が変更されていますので、冷房化された状況が分かると思います。
 オユ11形2500番代は北海道で使用され、国鉄晩年には山陰本線で使用されていましたので、
電暖区間では使用されなかったかも知れません(詳しく検証していません)。
 また、スユ15形については、10系客車タイプと50系客車タイプの間に12/14系客車タイプが存在しています。

 それでは、、、

投稿者のホームページ

倶楽部メモ(213) 平成15年10月13日〜10月20日

投稿者 まろねふ
投稿日 10月13日(月)23時22分11秒
タイトル Re:郵便車について

皆様、こんにちわ。

伊藤様の書き込みについて更に…
その北海道用のオユ11−2500番台の最後の活躍を実際に見ておりました。
オユ11−2500番代は元空気ダメ管の引き通しがあり、60年3月改正で出雲市以西の50系置換えに伴い
それまで使用されていたオユ14とオユ10を置換える目的で移動してきました。
山陰地区は国鉄で最後まで郵便輸送(護送便のみ)を行っており、61年11月改正まで運用されていました。
因みにオユ11もですが、オユ14等も59年2月改正で転属してきた車両で、
山陰地区ではともに活躍期間は短かったです。

以上、蛇足ながら補足させていただきます。


投稿者 ア・ドン
投稿日 10月14日(火)08時02分19秒
タイトル なるほどね。

伊藤@JNR.site さま、車両の資料検索によく貴方のサイトを利用させてもらっています。
この場を借りてお礼申し上げます。

まろねふ様、オユ14/スユ16には元空気だめ管がついていないというのは始めて知りました。
なにか、設計上の片手落ちのような気がするのは私だけでしょうか?
 ちなみにわたしの父も一時期鉄道車両の設計に携わっていた時期がありまして、
後年、「国鉄はメーカーの言うことを聞きすぎた」との弁を聞いたことがあります。
たしかに、オユ14・スユ15・スユ16へのTR217系台車装備は
明らかに使用条件に対してオーバースペックであり、
その上に設備が完全ではないとは製作資金の無駄遣いと言われてもしょうがないとおもいます。
 極端な例は、客車では有りませんが、DD54と言う、
結果的に完全な資金の無駄遣いになった車も有りますしね・・・。
(例えが悪いかもしれませんが、軍用機だったらDD54はメーカーの責任問題ものですよ・・。欠陥機として。)
国鉄はこうやって土台を少しづつ腐らせていった(オユ14・スユ15・スユ16は郵政省所有ですが)
と言う気がしてなりません・・。
 それはともかく。
スユ16は東北地方でも使用実績はあったのでしょうか?気になるところですが・・。
では。


投稿者 まろねふ
投稿日 10月15日(水)00時19分47秒
タイトル Re:なるほどね。

みなさま、こばんわ。

>ア・ドンさま
83年の配置表によりますとスユ162001・2002・2008・2009が秋田運転区に所属しておりました。
当時の運用区間は、男鹿〜秋田〜福島間で普通列車だけに併結運用されています。
元空気ダメ管を新製時より標準装備している郵便車はスユ15だけではないでしょうか? 
マニ50やスユニ50、マニ44も標準装備のはずです。
要は設計された当時に元空気ダメ管を常用する50系客車が存在していましたので、
併結運転を考慮していたのではないかと思います。
オユ14やスユ16が登場した当時には必要が無かったのでしょうね。


投稿者 ア・ドン
投稿日 10月17日(金)09時44分19秒
タイトル スユ16。
 83年ということはやはり旧客の後ろかな?
もっとも最後尾ならば50系併結でも引きとおし管をかんがえなくてもいいのだけど。
ほかにもオユ10やスユニ50も使用されていたのでしょうかね。
では。

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