ア・ドン様、はじめまして。
残念ながら、側面ルーバーはありませんでした。 オユ10の側面ルーバーは、最初の10両(1〜10)のみに取り付けられたものです。 この10両はのちに電気暖房取り付けで2001〜2010となり、 さらにその後一部は冷房化と耐寒耐雪改造を同時に施行して2550番台となったので、 その時点では「ニセコ」に運用された可能性は考えられますが、 ご質問にある非冷房時代となると、北海道運用車にルーバー付は存在しなかったことになります。 ※参考資料:鉄道ピクトリアル1999−6<特集>国鉄形(10系)軽量客車・座席車編
マニ60については、荷物車のオーソリティの方に期待・・・
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アドンさん、はじめまして
私も半年ぶりの書き込みとなります。 質問の有ったマニ60の車番ですがC62お別れ運転時のが鉄道ジャーナル(74,6)にありました。
103レ:(函館寄り)マニ362211(北オク)+マニ602635(北オク)+オユ102031(盛アオ)+マニ602639(北オク)
104レ:(函館寄り)オユ102035(盛アオ)+スユ132013(札サツ)
です。実は私もGMのキットで104レの車番で製作しており、側面のルーバはそのままにしてあります。 手元に世界鉄道写真全集(C62、函館本線)があるのですがC62の次位に連結されているので、 オユ10のルーバ(窓下あたりの高さにあるのですよね。)は認められました。
40年代のニセコで探しましたら、1編成みつかりました。 1971/09/15 急行ニセコ3号にマニ60 2635とマニ60 2639がついてます。 C62お別れ列車との事。 〜イサミヤ資料客車編成1975集〜より。
私もニセコは計画に入ってますので、今回の話題参考になります。 クモイ103殿、オユ10について勉強になりました。
ア・ドン様、初めまして! 今ある製品で出来なくはないと思います。スハ43はGMもカトーも プレスドアになってますね、末期のニセコにするなら何とかしたいところですね 銀河のパーツを使用すればトイレの窓枠もついてますからかなり雰囲気よくなりますよ、 床部品も電池箱を大型にしたいですよね、この2つをやれば手軽にスハ45が作れます。 気になされないのでしたらそのまま表記を替えるぐらいでまとめるのもよろしいかと 思います。ちなみにGMのスハフ42のトイレ窓は間違えですね、私は一度埋めて タバサの国電運行表Hゴムタイプを貼り付けて近代化改造車として誤魔化してます。 参考になりましたでしょうか?
みなさま、こんばんわ。
>ア・ドンさま はじめまして。 ニセコのマニとオユですが、こねこ様の書かれておりました、 いさみやの編成表を参考に所属を調べてみますと以下のようになりました。
1971年9月15日のニセコ3号 オユ102031…盛アオ マニ362211・マニ602635・マニ602639…北スミ
各区所の71年現在の総数は直ぐには判りませんが、翌72年版では青森のオユ10は16両(2017・2024・2031・2035〜2039・2507〜2514)となっております。 71年度も差ほど変わりないと思われます。 一方隅田川のマニは同じ72年版でマニ36と60だけで147両もいます。 簡単に済ませる方法として、番号を書き換えるのでしたらKATOのマニ60だけでモノに出来ると思いますよ。 私はNではなくHOの人なので最近の事は良く判りませんが、 真鍮板のエッチングコンバーションキットで特定番号の製作は可能だと思いますよ。
とりあえずマニ36の詳細です。
鉄道資料保存会 鋼製客車形式図集Uより マニ36 200番代 2201〜2203,204,2205,206〜208,2209〜2211(オロ40戦後型改) 212,2213,214〜216(スハニ35改) 2217〜2223,224〜227,2228〜2260(オハ35改造) オハ35丸屋根改造 2217,2221,2222,2223,2229,2232,2233,2237,2246,2249 一般屋根or張り上げ屋根、リベット有無は不明です。