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         別冊歴史読本「懐かしの特急列車」の表紙の件、私も気が付きませんでした。 
        当時の車両運用のやりくりについて詳しくはわかりませんが、 
        EF5841様のおっしゃる通り当時このような運用は珍しくはなかったのかもしれません。 
        青大将色の登場当時は「つばめ」は宮原区、「はと」は品川区の受け持ちでしたが、 
        翌年に宮原区に集中配置になり、「はつかり」登場時には品川区にあった青大将色の車両は 
        マイ38が2両だけという状況でしたので、下り列車に増車が必要となった場合は、 
        尾久区から「はつかり」用の車両を回していたのだと思います。 
        ただ、ここで何点か疑問が・・・ 
        1、下り列車で増車が必要な場合、あらかじめ上り列車に増車して送り込む事はなかったのか? 
        2、「はつかり」色の車両は、そのまま上り列車に連結されたのか? 
        それとも別の方法で返却回送されたのか? 
        3、青大将色が宮原に集中配置されてから「はつかり」登場までの約1年間は増車が必要となった場合 
        どうしていたのか? 
        といった点です。 
        私の想像としては、1については増車については基本的に該当列車の発車区で準備するルールがあった? 
        とすると2は別の方法で返却回送されたのか? 
        3については1等車はマイ38があったのでいいとして(上りで必要になった場合は?) 
        2等車は宮原に転属しなかったスロ54(12・13・31・32)(いつまで青大将色であったかは不明) 
        を使用したのか?しかしスハ44や食堂車は全車宮原に転属しているし・・・ 
        どなたか詳しい事情をご存知の方はいらっしゃらないでしょうか? 
        PS.ちなみに増車されたのはナロ10ですよね。ナハ10は特急色になっていませんので?
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