| 
              マハ29 1について、一つ書き忘れました。廃車は昭和39年3月30日です。 
            DD13に牽引された期間は十分にあると思われます。 
            >Integral様 
             青大将に関して、所属の異なる車両が連結された点について補足説明します。 
             もともとぶどう色の時代から、「つばめ」は大鉄局の宮原、「はと」は東鉄局の品川という分担がありましたが、 
            32−10改正で定期運用の車両は大ミハに統合されました。しかし、定期運用以外の車両はそのまま残ったのです。 
            そのため、臨時増結用のマイ38や、やはり通常の定期運用には入らず 
            外国人団体などの特殊用途に駆り出される桃山式のマイテ39 11については、東シナ所属のまま残りました。 
             実際の運用では、団体利用などの事情に応じて、「○月○日の1列車、○月×日の4列車にマイ1両を増結」とか 
            「ナロ1両を増結」などといったように使用されました。 
            最大15両までの範囲で、スハ、ナロ、マイのいずれかが適宜増結され、特に決まったパターンはありません。 
             なお、現在の文献の記述では、マイが団体用と理解されていますが、当時の大鉄局報を見ると、時には団体がマイテを占有し、 
            一般客を増結車のマイに乗せる事も行われていたようです。 
             「はつかり」用の車両が青大将特急に組み込まれたのは、純粋に車両不足による応急措置と思われます。 
            また、EF5841様が引用されたスハニ35の前にナロ×2+オシのついた編成は、団体利用のためと思われます。 
             構造の単純だった一般型客車では、こうした弾力的な措置ができる事が、今の系列別に分化した新型車輌と異なる利点だったと言えるでしょう。 
            例えば、「スーパーあずさ」のE351系の附属編成が検査入場で不足したからと言って、いきなりE257系を充当することはできません。 
            どんな組み合わせでも、とりあえず編成が成り立ってしまうところが、一般型客車の面白さでもありますよね。 
             |