倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
「利尻」の編成について


倶楽部メモ(157) 平成14年 8月15日〜 8月18日

投稿者 北の大地
投稿日 8月17日(土)00時45分16秒
タイトル 教えて下さい
超初心者の鉄道マニア?です
20年ほど前にナローの鉄道模型はしていましたが 最近80/1を始めました
そこで 蒸気機関車の時代の”宗谷””利尻””まりも””大雪”などの編成を再現したく
皆様の中で編成をご存知の方がいらっしゃれば ぜひ教えて戴ければと思い
こちらの掲示板に書き込みました 何とぞよろしくお願いします
実際 本命は”利尻”です C55が頭で走る姿を我が家で再現したいものです

投稿者 クモイ103
投稿日 8月17日(土)19時53分12秒
タイトル Re:”利尻”の編成

北の大地さん、ご乗車のみなさん、こんにちは。

 鉄道ピクトリアル659号(<特集>寝台列車と寝台車)P.30に、C55 30が牽引する下り”利尻”の写真があります。
昭和45年8月撮影となっており、普通車6両のあとに冷房改造されたスロ54(62?)、オロハネ10、さらに10系ハネ、荷物車?(あとは不明)
と続いています。

 ”利尻”は、昭和33年10月1日改正で、札幌−稚内間の夜行準急列車に命名されて以来の伝統ある愛称名です。
列車自体として無名時代を含めれば、さらに古い歴史を持ちます。
 私の手元にある昭和35年7月1日現在の資料(主要客車列車編成順序表)では、下り307列車の編成は、札幌発車時点で
先頭から、6号車スハフ、5〜3号車スハ、2号車ナハネ11、1号車マロネロ38、その後にマニが1両つきます。
途中の旭川で、先頭にオハが1両(号車番号無し)、最後部にマユニ+オハユニが増結され、最後のオハユニは音威子府で開放されます。
牽引機は全区間C55です。
 翌昭和36年10月1日改正では、ナハネ11がナハネ10に代わっている事、号車番号の順序が逆になって
旭川増結のオハが1号車、マロネロが7号車になっている事、札幌−旭川間の牽引機がC57に代わっている事くらいの変化です。
 編成中、「スハ」は45、「スハフ」は44に決まっていますが、「オハ」は35でしょうか?
「マニ」は上野からの航送運用で、32、60、74などの可能性があります。
「マユニ」という形式は、31と78しかありません。「オハユニ」は64の可能性が高いです。
ただ、郵便車・荷物車に関しては頻繁に使用車両が変わっていたと思われますので、あまりこだわらなくて良いでしょう。
 ユニークな合造車マロネロ38は、昭和39年10月1日改正で、この”利尻”に残るのみとなります。
昭和41年2月、オロハネ10+スロ52に置き換えられて姿を消しました。
 昭和42年10月1日改正時点での編成(RM MODELS 1995年11月号のP.79〜81に掲載されている
全盛時代の10系寝台 [昭和42年10月1日時点での10系寝台使用列車編成表](作成:三宅俊彦))は、
スハ(旭川増結)+スハフ+スハ×3+スロ+オロハネ10+ナハネ11+スユニ+マニ+スハニ(下りのみ・旭川−音威子府間)
と、基本的には大して変わっていなかった様です。
後ろ3両の荷物車以外は、この頃にはブルーに塗り変わっていたと思われます。
なお、マロネロ38も、その末期にブルーになっていたという情報があります(本BBS過去ログ参照)。

 ”宗谷”は、昭和35年7月1日に旭川−稚内間の準急列車として登場した当初から気動車列車で、蒸機時代はありません。


投稿者 北の大地
投稿日 8月18日(日)02時11分25秒
タイトル Re:”利尻”の編成

クモイ103様 大変詳しいご説明ありがとうございます

C55を手に入れてからずっと考えて探していた編成がお陰様で知ることが出来ました
若い頃 ”利尻”に数回 ”大雪”にも数回”宗谷”にも二度ほど乗っているはずなのに ほとんど覚えていない 情けない! 
”宗谷”がディーゼルでしか走っていないとは....反省 (超初心者なので許して!)
やはり昭和三十年代を再現しようとすると北海道型は自作になってしまいそうです
記憶では車両の色はそろっていないでバラバラだった時も有ったと思います 
そんな時期も有ったのではないでしょうか?(また 記憶違いで無いと良いけど!)
模型の世界でも色々再現したいと考えています
”利尻”の編成が揃ったら 次は”大雪”頑張るぞ〜!

クモイ103さまにはご健勝で、またご教示下さいます様 よろしくお願いいたします


倶楽部メモ(158) 平成14年 8月18日〜 8月21日

投稿者 D52 468
投稿日 8月18日(日)08時46分37秒
タイトル 混色編成について
北の大地様
急行の混色編成ですが急行形客車の大部分がぶどう色から青色に塗り変えられるまでの数年間見られ、
60年代後半の〈ていね〉等が有名だと思います。説明にならないかも知れませんがお知らせさせていただきます。

投稿者 EF5841
投稿日 8月18日(日)19時56分45秒
タイトル Re:混色編成

 混色編成の最たる物は急行「なにわ」ではないだろうか。

 大ミハ持ち故、特ロや食堂車は常につばめ、はととの共通運用で青大将がぶどう色に混じっている。
 塗装の移行期ではないにもかかわらず。


投稿者 北の大地
投稿日 8月20日(火)02時20分21秒
タイトル とても安堵致しております

D52 468様 ありがとうございます
遠い記憶であまり自信は無かったのですが 混色で編成されていた事が判明して
安心しました 私の模型の構想も更なる広がりが出て来ました

何分情報不足なもので これからもお世話になります


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月20日(火)12時54分46秒
タイトル Re2:混色編成
北の大地様
急行「利尻」の車両の色の件ですが、主に急行用の車両が青15号塗装化され始めたのが
昭和39年10月ですので、再現するのが昭和30年代であれば、ぶどう色2号で統一
された編成になると思います。
各車両がいつ頃青15号塗装化されたか詳しくはわかりませんが、北海道の車両は青色
化率が高かったようですので、比較的すぐに青色になっているものと考えられますので、
北海道の急行列車に限っては混色で編成された時期は、昭和40年代前半の数年間だけ
と考えたほうがよいと思います。

投稿者 D52 468
投稿日 8月20日(火)20時14分29秒
タイトル 急行利尻の後部補機
北の大地様
こちらこそこれからお世話になります。
ところで急行利尻に限らず宗谷本線塩狩峠を通過する5輛編成以上の客車列車にはDD53 1かDD51の後部補機が連結されていましたので
模型で再現されると面白いと思います。
ちなみにDD53は除雪機関車にも関わらず冬期間も塩狩峠で補機として運用されていたようです。

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