手持ちの資料を探したのですが、格下げ車について詳しく解説してある資料は見つけ
られなかったので、車歴から20m級1等車(旧2等車)格下げの歴史を推測すると
昭和38年3月 1・2等合造車スロハ31を格下げ→スハ50
(後にスロハ32もスハ50に)
昭和39年3月 1等車の格下げ形式割り振り
二重屋根・重量区分ス級・固定座席・定員64名(スロ33)→スハ51
重量区分ス級・転換座席・定員60名(スロ34)→スハ52
重量区分オ級・転換座席・定員64名(オロ35・オロ42)→オハ53
重量区分ス級・転換座席・定員64名(スロ43)→スハ54
重量区分オ級・固定座席・定員64名(オロ36・オロ40)→オハ55
緩急車
二重屋根・重量区分ス級・固定座席・定員60名(スロフ30)→スハフ50
二重屋根・重量区分ス級・転換座席・定員60名(スロフ31)→スハフ51
重量区分オ級・転換座席・定員60名(オロフ32)→オハフ52
重量区分オ級・固定座席・定員56名(オロフ33)→オハフ53
昭和40年3月
重量区分オ級・転換座席・定員60名(オロ41)→オハ51
この時点が問題で、定員が同じ60名のスハ52と続き番号とするため51を割り振り
重量違い同番号は付けない原則なので、この時点で1両しかなかったスハ51を改番
することになったのだと考えられるのですが、なぜか重量区分と定員は同じものの、
屋根・座席の違うスハ54に改番されてしまったようです。
この時点で56はスハ32の台車交換車に割り振られていたものの57はあいていた
のですが?・・・1両だけであったのが原因で新形式はあたえられなかったのか?
また、全く逆でスハ51が1両だけであったため、重量区分と定員が同じスハ54に
編入し、あいた51にオハ51を割り振ったと考える方が自然か・・・?
すべて私の推測で申し訳ありませんが、どなたか格下げ車の詳しい事情をお知りの方、
いらっしゃらないでしょうか?
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