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             D52 468様、ナハフ21テールのさくら掲載誌のご紹介ありがとうございました。 
            残念ながらその掲載誌も所有していないのですが、手持ちのRM195号に、上り列車ですが 
            該当列車の写真の掲載がありました。 
            特急色のEF58の次位が確かにナハフ21で、撮影は昭和35年8月3日と4日の横浜駅と 
            ありますので前述の昭和36年の事故とは関係なく、またこの時点でさくらに使用されていた 
            2編成とも(当時はやぶさと共通運用だったはずなのですが、基本的には専用で使われていた 
            ものと推測されます)東京側の編成端はナハフ21だったようです。 
            ナハフ20の製造両数を調べますと 
            昭和33年 あさかぜ用に所要2両+予備1両 
            昭和34年 さくら用に2両増備 
            昭和35年 はやぶさ用に2両増備 
            となっていますので、予備車はつねに1両の状態でした。 
            (ちなみにナハフ21は予備車2両) 
            そこで考えられるのが、D52 468様もお書きになっておられるナハフ20の検査時なのですが、 
            ナハフ20とナハフ21は定員が異なるため、1両しかない予備のナハフ20を使用してしま 
            うと、不測の事態が起こった場合同定員の車両がなくなってしまうため、予備のナハフ20は 
            使用せずに、計画的にさくらのナハフ20をナハフ21に一定期間変更して、2両いっしょに 
            定期検査を受けていた(基本的に2両づつ製造されているので、検査時期もいっしょになりま 
            すよね)という可能性が高いのではないでしょうか。 
            これもあくまでも私の推測ですので、実際の状況をお知りの方のフォローを期待いたします。 
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