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             こんばんは、急行西海です。 
            JINさん、さっそくのご回答ありがとうございます。 
            なるほど、ナハネフ22などより定員が少ないわけですね。 
            >壁になってる所は冷房ダクトが通ってたためです。 
            っということは、あそこの窓埋め部分は寝台と寝台が背中併せの部分だったわけでしょうか? 
            想像すると変な感じがしますね。車内でも、みょーに間延びしてたんでしょうね。 
            また寝台(座席)を窓配置にあわせるとなると、 
            やはり寝台幅(52cm)はそのままで寝台の間隔が広かったんですかねぇ。 
            まさか、寝台幅が広かったなんて、話は聞いたことないですし・・・。 
            それでも間隔が広かったなら、ちょっとは贅沢だった訳ですね。おなじハネでも。 
            乗ってみたかったなぁ。 
            それから、「鉄道ファン391号」の側面図は確かに写真とは違っていたので、 
            前から気になっていました。あれは間違えでしょうかね? 
            写真とは別の車輛でいたのでしょうか。なぞがまた増えてしまった。 
            なぞといえば、車端部のパノラマガラスがナハフ20初期車の平面ガラスのものと、 
            曲面ガラスのモノと両方ともナハネフ20(確か3両のみなのに)に改造されてますけど、 
            このへんの車番って出ている資料はないんでしょうかねぇ。 
            んーっ。むずかしい。20系の特集って雑誌とかでは何度もやっているんですが、 
            おなじ記事ばかりで、特定番号や改造履歴が判るものがないんですよねぇ。 
            自分が探せないだけでしょうか? 
            何かバイブル的な資料(書籍)ってありますでしょうか? 
            質問ばかりで、すみません。 
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