倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
青大将・はつかり色
スロ60は青大将色になったか?・青大将色になった車両は



倶楽部メモ(110) 平成13年 9月18日〜 9月20日

投稿者 佐藤  
投稿日 9月19日(水)13時40分45秒
タイトル スロ60の青大将塗装
本文  はじめまして、大阪在住の佐藤と申します。大変初歩的な質問で失礼します。
先日,鉄道ピクトリアルの鋼体化客車の特集を読んでいて、ふと疑問に思ったのですが
記事の車体の塗装についての記述に、「つばめ用スロ60が昭和31年に淡緑5号に塗り替え
られた」(すみません今手元に資料がないのでウロ覚えです)と書かれいました。
実際のところはどうなのでしょうか?
(NゲージだとKATOの旧製品のラインナップにありましたが、実在したのでしょうか。)
また、実在したとしたら運用はどうだったのでしょうか?
どなたかご存知の方、よろしくご教示ください。

投稿者 クモイ103
投稿日 9月19日(水)22時22分59秒
タイトル Re:スロ60、はつかり青15号
本文

佐藤さん、こんにちは。
 ご指摘の通り、確かにRP誌702号(2001年6月号)P.26に、「「つばめ」「はと」用のスロ60は
1956(昭和31)年に淡緑5号に塗り替えている」と記述されていますね。初めて気付きました(爆)。
 過去に数多く発表された文献のどれを見ても、「つばめ」「はと」の青大将化の際に、特ロはスロ54に
交代したことになっており、ほかでもない当時のRP誌69号(1957年4月号)「質問に答える」に、
塗色変更された客車の車号まで詳しく記載されていて、スロ60は含まれていません。
ところが、今回のRP誌702号の記述は、この大先輩(?)を含む他の数多くの文献と、
ことごとく矛盾します。客観的に見て、ほぼ間違いなく誤りと思われます。
 以前どこかで、オロ61が冷房改造されたスロ62のことを、初代特ロのスロ60が冷房改造されたか
のように混同した記述を見かけたことがあります。
そうした大エラーまでいかなくとも、文献の記述には時として変な内容が含まれていることがあります
(重量記号コホナオスマカの間違いはざらにあります)。
一つの事柄に対して、できるだけ複数の情報を照らし合わせて、整合性をよく確かめることが
必要だと思います。
・・・というのは前から思っていたことですが、佐藤さんが問題提起して下さったおかげで、
言う機会ができました。ありがとうございます。

103列車機関士さん、初代「はつかり」は青15号で正解ですよ。
昭和34年改正の塗色規程で、「特別急行(あさかぜ、はつかり)用客車」として、
20系とひとくくりにされ、青15号にクリーム1号の飾り帯を入れることが規定されています。
なお、あさかぜは台枠以下が灰色2号という但し書きがあります。


投稿者 車掌@仙コリ  
投稿日 9月20日(木)17時27分45秒
タイトル 青大将色・はつかり色
本文

ここのところ、客車の色の話題が出ていますので、皆様の力をお借りして少しまとめて
みたいと思うのですが、いかがでしょうか?

さしあたって、特急色として存在した「淡緑5号」(青大将色)と「青15号にクリーム1号
の飾り帯」(はつかり色)だった車両をまとめてみたいと考えております。
実際に各色に塗られていた写真や編成記録等から、該当する車両を調べていきたいと
思いますので、御賛同いただける方の情報の提供をお願いしたいと思います。
まずはクモイ103さんにお願いしたいのですが、先日の書き込みでご紹介いただきました
RP誌69号(1957年4月号)を残念ながら所有していないので、記載されている塗色変更
された客車の車号を教えていただければ幸いです。
とりあえず私の所有している写真や資料から調べることができた車両は、

「淡緑5号」(青大将色)

マイテ39  1・11・21
マイテ49  1・2
マイテ58  1・2
マイ38   2
ナロ10   1・4・7・10・12・13・15・16・20・21
スロ54   33・34・35・36・37
オシ17   1・2・3・4
マシ29   107
マシ35   1・11
スハ44   1・3・4・5・6・7・9・10・17・21・24・32
スハフ43  2
スハニ35  1・3・5・6・9

「青15号にクリーム1号の飾り帯」(はつかり色)

ナロ10   28・30・31・33
オシ17   11・12
スハ44   26・27・28・29・30・31
スハフ43  2・3
スハニ35  7・9

といったところなのですが、まだまだ該当する車両があるはずですし、上記車両でも
まちがいがある可能性がありますので、皆様からの情報を期待しております。


投稿者 佐藤
投稿日 9月20日(木)18時56分57秒
タイトル ありがとうございますスロ60の青大将塗装  
本文 クモイ103様、ありがとうございます。
私も以前、他の文献でスロ60の青大将色は存在しないと読んだことがありました。
ただ、RP誌の記事だったので疑問に思って皆さんに質問させていただきました。
やはり、スロ60の淡緑5号は幻だったのですね。

投稿者 キサハ34  
投稿日 9月20日(木)21時02分54秒
タイトル 「はつかり」色マシ35 
本文

旅と鉄道、65号「食堂車」礼讃に、

マシ35 11

が「はつかり」色で載っています。
#旧カシ36ですね。


投稿者 キサハ34  
投稿日 9月20日(木)21時05分44秒
タイトル マシ35訂正
本文

早速ですが、すみません。
11番はオシ17でした。

マシ35 3

でした。本当に申し訳ありません。


投稿者 ストーブ列車
投稿日 9月20日(木)21時52分39秒
タイトル 客車の話題 
本文

皆さんもご存知かもしれませんが鉄道ピクトリアル10月号にセノハチの控車オヤ35の記事の中に
オハ35を改造してサハ153にするという計画があったそうですがもし実現したらかなりおもしろいと
私は思いますが皆さんはどう思いますか?戦前型と戦後型で形式が違うかったかもしれませんね。

話が変わりますが車掌@仙コリさんの言っていた青大将色のスハフ43 2は
特急さくら用に使われていた車両でしょうか。
1994年4月号の鉄道ファンに青大将のスハフ43が特急さくらで使われている写真が
紹介されていました。
またキサハ34さんのマシ35のはつかり色ですが以前鉄道模型のカタログだと思いましたが
はつかりの編成表に当初はマシ35でのちにオシ17に変更されたと書いてあった記憶があります。

最後に青大将塗装のつばめ編成に1両だけはつかり色のナロ10がマイテ39の後ろに
連結されている写真が新人物往来社出版の鉄道シリーズ第6弾「懐かしの特急列車」
という本の表紙を飾っていました。
この編成はかなり例外的だと思いますが実際は青大将色とはつかり色の混合は
結構あったのでしょうか。ご存知の方は教えてください。


投稿者 クモイ103  
投稿日 9月20日(木)23時15分27秒
タイトル Re:青大将色・はつかり色(長文) 
本文

> まずはクモイ103さんにお願いしたいのですが、先日の書き込みでご紹介いただきました
> RP誌69号(1957年4月号)を残念ながら所有していないので、記載されている塗色変更
> された客車の車号を教えていただければ幸いです。
 高いですよ・・・ってウソです。ご協力します(^^)。同誌P.48「質問に答える」欄の記述によると、
・東シナ
展望車 マイテ 581・582・492
食堂車 オシ 173・174,マシ 3512
特ロ  スロ 5412・5413・5431・5432・5439・5440・5441・5442・5443・5444・5445・5446・5447
特ハ  スハ 4414・4415・4419・4420・4421・4422・4423・4424・4425・4426・4427・4428
3等荷物車 スハニ 354・355・356
・大ミハソ
展望車 マイテ 391・3921・491
食堂車 オシ 171・172,マシ 3511
特ロ  スロ 5414・5415・5416・5417・5418・5419・5420・5421・5433・5434・5435・5436・5437・5438
特ハ  スハ 441・442・443・444・445・446・447・448・449・4410・4411・4412・4413
3等荷物車 スハニ 351・352・353   以上70両
 ・・・となっています。よく見ると、スハ44の16〜18、29〜34が抜けており、
スハフ43の3両(この当時10番台は登場していない)も入っていません。
これにスハニ35の7〜9を加えた15両は、当時「かもめ」用として門タケにありましたが、
RF誌181号(1976年5月号)によると、1957(昭和32)年に「かもめ」の方転廃止に伴う10系化で、
シナ・ミハに分散して転属し、臨時特急「さくら」の43系を置き換えるのに充当されました。
この時点で、仙台にいたスハニ3510〜12を除く44系の全車両が、青大将塗色になったものと
推定されます。
また、マイ38も上記の表に入っていませんが、青大将化は冷房化(昭和31年説と32年説あり)
と同時だったのかも知れません。
 32-10改正では「つばめ」「はと」の受け持ち一本化で、東シナ車が大ミハに転属し、
みな一緒になりました。(仙センのスハニはますます仲間はずれ(^^;)
 なお、33-10改正で「はつかり」用に東オクへ転属したのは、スハ44が26〜34、スハフ43が3両全車、
スハニ35が7〜9であり、ほとんど元「かもめ」用車ですが、一部入れ替わっていることがわかります。
3等車以外では、ナロ10が28〜33、マシ35が1〜3です。
ちなみに、キサハ34さん、ストーブ列車さんの言われる通り、このマシ35はのちに増備された
オシ1711〜13に交代しました。
 ナロ10については、RP誌670号(1999年6月号・10系特集座席車編)P.42〜43によると、
全33両のうち、1〜28は新製時から青大将、
29〜33は「あさかぜ」用としてぶどう色でデビューしました。
のち28〜33が「はつかり」色になりましたので、28のみは両方の塗色を経験していることになります。

 ところで、車掌さんの挙げられた中にある、マイテ3911とマシ351の2両については、
疑問があります。
 マイテ3911は、「桃山式」が災いして、展望車の両数が足りてくると予備車になり、
青大将化の対象から外され、専ら貴賓用として使用されたと伝えられています。
この話はRJ誌202号(1983年12月号)P.64に記述されていますが、
RP誌514号(1989年7月号・<特集>列車編成の記録)P.12にも、
S.33.5.16に「さくら」に臨時増結された同車が茶色、等級帯付きだったと記されており、
さらに、32-10改正で「はと」用車両がみな大ミハへ移動する中にあって、ただ1両東シナに残り、
他の仲間とは明らかに別の扱いだったことなどから、間違いない話と思われます。
 マシ351については、大キトさんのHPにある写真の説明がそうなっていますが、以前大キトさんと
個人的にお話しした際、やはりあの淡緑のマシ35は1でなく11または12だろうという話になりました。
当時の列車編成記録などにより、31-11改正後のマシ351〜3は、あさかぜに使われていたらしく、
青大将になっていたとは考えにくいです。
前述のように、その後この3両は「はつかり」組に入っています。
 私の理解では、マシ35の全5両中、1〜3は「はつかり」色、11・12は青大将と
はっきり経歴が分かれ、以後この2つのグループは全く違った人生(?)を歩むことになりますが、
それはまた別の機会に(笑)。


倶楽部メモ(111) 平成13年 9月21日〜 9月27日

投稿者 ストーブ列車
投稿日 9月21日(金)13時25分22秒
タイトル マイテ39 11とマシ35 1 
本文

マイテ39 11とマシ35 1について書き込ませていただきます。

まずマイテ39 11についてです。鉄道ジャーナル別冊No27のP130に1
959年4月23日の特別急行第3列車「はと」の編成表があります。
そこには展望車のマイテ39 11のみが宮原客車区ではなく品川客車区所属ということが
書いてあり、理由は桃山式が不評のためとありました。
このころは青大将の時代だったのでマイテ39 11が茶色のままですと青大将編成に茶色が
混じっていたことになります。
実際3つ下の書き込みで青大将編成にはつかり色が混じって運転されたことがあると紹介して
いますのでマイテ39 11が茶色のまま青大将編成にまじっていた可能性は大いにあります。

次にマシ35 1についてです。マシ35 1は鉄道ジャーナル別冊No27のP131に
1956年12月31日の特別急行第8列車「あさかぜ」の編成表にマシ35 1が連結されていた
という記録が残っていました。
さらにRM MODELS1996年12月号にマシ35はオシ17の予備車として11と12の2両が
青大将になったという内容の記述がありました。
そのためマシ35 1は茶色のまま使用されていたと思います。


投稿者 車掌@仙コリ  
投稿日 9月21日(金)17時18分46秒
タイトル Re2:青大将色・はつかり色
本文 クモイ103様・ストーブ列車様、情報ありがとうございます。
RP誌69号(1957年4月号)に記載されていた70両が、最初に青大将色に塗られて
「つばめ」・「はと」に充当された車両ということですよね。
その後の増備・臨時「さくら」用等で追加で青大将色になった車両に不明確な部分が
あるようなので、さらに配置関係の資料等を詳しく調査してみますが、皆様からの
追加情報もお願いしたいと思います。(特にマイ38 1について)
また、マイテ39 11とマシ35 1についての情報ありがとうございます。
実は特にマイテ39 11については、私も疑問を持ちつつ掲載してしまったの
ですが、やはり青大将色ではなかったようですね。失礼いたしました。
このような間違い等のご指摘も、どしどしいただきたいと思いますので、
よろしくお願いいたします。

投稿者 横山@車両名鑑
投稿日 9月22日(土)00時49分53秒
タイトル ご参考まで
本文 久々に覗かせていただきましたが車体色について盛り上がっているようですね。
私はそちら方面はあまり詳しくありませんが、一応ご参考まで。
すでに皆様がお書きになっているようにマイテ39 11の淡緑色はないと思います。
ぶどう色のまま淡緑色編成の「さくら」や「はと」に増結されている写真が残っています。
マイ38は昭和31年7月に冷房装置取り付けのため大船工場に入場し、その他付帯工事施工後
出場しましたが、このときはぶどう色のまま出場しています。1・2とも淡緑色化は他の車両と
同時期と想像されます。少なくとも翌年2月には淡緑色化された写真が確認できます。
その他マシ35 1のはつかり色やマシ29 101の淡緑色を写真で確認しています。
では、失礼いたします。
投稿者のホームページ

投稿者 車掌@仙コリ  
投稿日 9月22日(土)13時25分26秒
タイトル Re3:青大将色・はつかり色  
本文

横山@車両名鑑様、情報ありがとうございました。
その後配置歴等を詳しく調べまして、クモイ103様の情報の裏付けはとれたのですが、
マイ38とマシ29についての詳細がわからないでいました。
マイ38については、マイ38 2の青大将色の写真はたくさん見るのですが、1の方の
写真を見たことがなっかたので確信が持てないでいたのですが、やはり青大将色になって
いたようですね。
マシ29についても、107が青大将色であったということはわかっていたので、101
の配置歴が107と同じようでしたので、101も青大将色だったのではと思っていたの
ですが、やはりそうだったようですね。
ということで、いままでにいただいた情報を整理してみました。
青大将色になっていたと思われる車両の番号と、塗色変更の時期・当時の配置ですが、

マイテ39 1・21    昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
マイテ49 1       昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
マイテ49 2       昭和31年  東シナ→大ミハ
マイテ58 1・2     昭和31年  東シナ→大ミハ
マイ38  1・2     昭和31年? 東シナ
スロ54  12・13   昭和31年  東シナ
スロ54  14〜21   昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
スロ54  31・32   昭和31年  東シナ
スロ54  33〜38   昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
スロ54  39〜47   昭和31年  東シナ
ナロ10  1〜28    昭和32年  大ミハ
オシ17  1・2     昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
オシ17  3・4     昭和31年  東シナ→大ミハ
マシ29  101・107 昭和32年? 東シナ→大ミハ
マシ35  11      昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
マシ35  12      昭和31年  東シナ→大ミハ
スハ44  1〜13    昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
スハ44  14・15   昭和31年  東シナ→大ミハ
スハ44  16〜18   昭和32年  門タケ→大ミハ
スハ44  19〜28   昭和31年  東シナ→大ミハ
スハ44  29〜34   昭和32年  門タケ→大ミハ
スハフ43 1・2・3   昭和32年  門タケ→大ミハ
スハニ35 1・2・3   昭和31年  大ミハソ(→大ミハ)
スハニ35 4・5・6   昭和31年  東シナ→大ミハ
スハニ35 7・8・9   昭和32年  門タケ→大ミハ

といったところでしょうか?
(クモイ103様の情報によれば、正確には 門タケ→東シナ→大ミハ という車両も
あるようですが・・・)
間違いがありましたら、指摘いただけると助かります。
長くなりましたので、はつかり色については、また後ほど。


投稿者 クモイ103
投稿日 9月23日(日)11時03分41秒
タイトル 44系門タケ組について修正
本文

> (クモイ103様の情報によれば、正確には 門タケ→東シナ→大ミハ という車両も
あるようですが・・・)
 その「かもめ」流れのスハ44系客車の配転履歴について、修正します。

 9月20日(木)23時15分27秒 の私の書き込み中、
> RF誌181号(1976年5月号)によると、1957(昭和32)年に「かもめ」の方転廃止に伴う10系化で、
シナ・ミハに分散して転属し、
 ・・・と述べましたが、RP誌75号(1957年10月号)および77号(1957年12月号)
いずれもP.55所載「昭和32年度時刻改正に伴う所属変更客車番号」によると、
くだんのグループは全車両「門」から「大」への変更となっています。
 一方、RF誌181号の記述を詳しく引用し直しますと、昭和32年の動きに関して、
> 6月5日の京都発をもってスハ44系の”かもめ”は終了し,その後2度ともどることはなかった.
竹下区のスハ44系はそれぞれ宮原と品川の両区に分散して転属し,
(中略)新生”さくら”は同32年7月20日〜9月9日まで第1回の運転が行なわれた.
当初”さくら”の受け持ちは品川・宮原両区1編成ずつで,交互に運行されていた.
 ・・・となっています。
そして、その直後の10月改正で、東海道昼行特急の受け持ちが宮原区に統合されるので、
「品川持ちの44系”さくら”」はこの夏期臨期間だけの存在だったことになります。
 ここからは推測ですが、正式な転属は門タケ→大ミハであり、
一時的に東シナ区が借り入れ使用したものだったのではないでしょうか?


投稿者 大キト
投稿日 9月23日(日)14時15分38秒
タイトル かもめのスハ44形式について
本文 仕事の都合で久し振りに来ましたが、かもめの話しが出てますね、
このかもめに使用していたスハ44形式は昭和32年度の門局の方針で列車方向転換を廃止する
と言う議題が出て、本庁が(将来)転換座席に改造するという話しで、
門局はナハ11形式を使用することになり、一時的に貸出しの形で大鉄と東鉄に渡りました、
本庁では話しが予め決まっていたのですが、門局の面子の問題などもあったと思います。
形はどうであれ実際には転属です、大鉄はしばらく門タタでしたが、
東鉄は早々に東シナに書き換えて使用しました、
資料が手元に無いので詳細は覚えていませんがOB向けに「門1特急かもめ」を
書いた時の記憶から、そのようなことがありました。
それで竹下では東京に取られたという昔話を幾度か聴いた事もあります、
塗色も大鉄では茶色のまま使用し一時的に混色の編成だったのに比べ、
東鉄は早い時期に塗り替えたようです、
全ては本庁(本社)の計画の元に決まるのですが、昔は事務的には行かず
人間関係が強く作用していた時代の話です。
よって細かく移動を調べると、竹下から宮原・品川に貸し出しましたが、事実上の転属で
宮原は竹下に義理を通してしばらく竹下車のまま使用し、
品川は自区の車として早い時期から東シナで使用していたと言うことです。
 当時の客車の所属は長期貸出車など所在と配置が違っていることも多いのです、
配置=所属の考え方では理解できない問題が出て来るのはそのためです。

投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 9月23日(日)17時06分22秒
タイトル RE:かもめのスハ44形式について 
本文

大キトさん、お久しぶりです。お仕事忙しそうで大変ですね。
かもめのスハ44について詳しい話をしていただき、ありがとうございます。
私もいろいろ調べてみたのですが、書類上?は、クモイ103のお書きになっているとおり
「門」から「大」への変更となっているようですので、詳しいところはどうなんだろうと
思っていたのですが、そのような事情があったのですね。
書類上の配置と実際の所在場所が違っていたことは多分相当数あるでしょうから、個々の
車両の正確な所在場所を特定するのは難しい場合も多いでしょうね。

ところで、ひとつ質問をさせていただきたいのですが(初歩的な質問ですみません)、
客車の配置区の略号についてなのですが、ちょうど話題となっている昭和31〜32年頃に
標記?の変更があったようなのですが(宮原が大ミハソ→大ミハ・竹下が門タタ→門タケ)
この変更の時期はいつ頃だったのでしょうか?。
また、変更があったのはどのくらいの配置区だったのでしょうか?
ご存知でありましたら教えていただきたいので、よろしくお願いいたします。


投稿者 クモイ103
投稿日 9月23日(日)17時17分30秒
タイトル RE2:かもめのスハ44形式・半角カタカナ 
本文

 大キトさんお久しぶりです。フォローありがとうございます。
・・・とレスを書いて投稿しようとしたら、車掌さんのレスが先に入っていました(^^;。
客車の配置区の略号について、私も同じ質問をしようとしていたところです。
 宮原が「大ミハソ」から「大ミハ」になったのは、昭和32年4月1日というメモが手元にあります
(レイル1981秋号P.53所載?メモが不完全)。竹下の方はわかりません。

 全く関係ない話題ですが、大キトさんが半角のカタカナをお使いですが、
これはインターネット上では使用しない方がよいとの事です。「機種依存文字」と同様だと思います。
私も、以前ハンドルネームを半角で書いて、掲示板上で文字化けした経験があります。
皆さんもお気をつけ下さい。

参考サイト↓
http://www12.big.or.jp/~meher/mail.htm#TOP

 さらに関係ありませんが、明日早朝から3泊4日の出張でしばらく乗車できません。でわ(^^)/~。


倶楽部メモ(112) 平成13年 9月27日〜10月4日

投稿者 車掌@仙コリ  
投稿日 9月28日(金)12時42分16秒
タイトル Re4:青大将色・はつかり色
本文 多少話題が途切れてしまいましたが、青大将色・はつかり色の車両の一覧表を作成してみました。
手持ちの資料と、皆様からいただいた情報をもとに作ってみたのですが、まだ不完全なところも
あるかと思いますので、さらなる皆様からの情報をいただければ幸いです。
掲載場所は、ホームページ本体(客車列車の旅)の客車倶楽部内、この掲示板へのリンクの下に
一覧表へのリンクがありますので、よろしくお願いいたします。

投稿者 ぷりる
投稿日 9月28日(金)13時36分27秒
タイトル 青大将色について 
本文

いつもROMしてます ぷりる です。

久しぶりに来て見たら青大将ネタでしたので、思いきって質問しますぅ。
色についていろいろ(←洒落ではありません)調べたのですが、
当時に実物を見たわけでは無いので良く判りません。
そこで資料をしらべ、いろいろ考えてみたところを下記にUPしてあります。
 http://homepage1.nifty.com/PRILLE/P-GRN_No5/Pale_Green.htm
皆さんのご意見をいただけると幸いです。


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