御乗車の皆さん。御機嫌いかがですか? 菊之介です。
さて、白山とは懐かしい話題ですね。碓氷峠の華だった名門列車ではありませんか。
菊之介の本棚から面白い資料が出てきたので、皆さんに御紹介しますね。
白山が登場したときは急行として運転されていました。
またアプト式の為に登場したての頃は長編成を組めなかったようで、
それで黄オロネ10さんのおっしゃる通り、後に軽量客車によって運転される事となったみたいです。
さて、1954年当時の編成を見てみますと、1〜7号車が新ニイ所属で、8・9号車が長ナノでした。
この8・9号車は越路号(上野ー新潟)との共通運用ということだったそうです。
←1号車 9号車→ (うち、8〜9号車は上野〜長野間の連結)
スハニ32+スロ51+オロ40+スハ43+スハ43+スハ43+スハフ42+
オロ35+スハフ42
この当時の列車番号は、急603レ 上野9:10→金沢19:07
急604レ 金沢9:45→上野20:00 でした。
そして1959年9月22日に金サワ区の車両(軽量客車)が1〜9号車に充当されました。
加えて東オクの車両を10号車に充当させたようです。編成表は以下の通りです。
←1号車 10号車→ (スハフ42は長野まで連結)
オハニ36+スロ51+スロ51+ナハ10+ナハ10+ナハ10+ナハ10+
ナハ10+ナハフ10+スハフ42
列車番号は、急601レ 上野9:45→20:00
急602レ 金沢9:15→19:44 でした。
これは当時の気動車特急「白鳥」に有効時間帯を譲ったためでした。
その後列車番号は急行時代はずっと変わっていませんでした。
さて、その後1968年まではどの編成の中にも必ずスハフ36が連結されています。
また金タオさんのおっしゃるロザが一両になったのは、私の資料を見る限りでは1967年の
金フイ所属編成が充当されてからのようです。
それに、やはり私の資料の中には急行白山の編成の中にはスロ62は見当たりません。
しかしまぁ、客車編成というのはいつも突飛な事があるものですから、金タオさんがおっしゃる
スロ62も急行白山の仕事をしているかもしれませんね。
菊之介のもっている情報はここまでです。どなたか、彼らを牽引していたのが誰なのかを教えて下さいませ。
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