▼103列車機関士様、8927様
>八甲田の編成
78ー3ー18 上野 78-12-29 上野
101レ 八甲田 103レ 八甲田
EF58 144(宇) EF58 58(宇)
9 スハフ42 2186 10 オハフ45 2009
8 スハ 43 2305 9 オハ 47 2264
7 ナハ 11 2088 8 オハ 47 2285
6 オハ 47 2198 7 オハ 47 2191
5 オハ 47 2264 6 スハ 43 2639
4 スハ 43 2166 5 スハ 43 2261
3 オハ 47 2191 4 オハ 47 2198
2 スロ 62 2074 3 スハ 43 2305
1 スハフ42 2144 2 スロ 62 2086
ワサフ 8516 盛荷201 1 スハフ42 2187
オユ 10 2521 盛航21 ス二 41 2002 盛荷201
全盛アオ 全盛アオ
左が78年9月までの編成、78年10月以降が右の編成です。
お見込みのとおりすべて盛アオ車です。
ハザはたまに盛モカ車や南シナ車が入ることがありました。
さて、77年当時の盛アオ車のうち旧客配置はつぎのとおりでした。
スロ62ー3、スロフ62ー1、ナハ11ー5、オハ47ー3、スハ43ー6、オハフ45ー2 スハフ42ー10 以上30両
このほか、奥羽線青森口普客、津軽線普客にハ・ハフの付属編成と思われる記録が散見されています
ので、ぎりぎり一杯の稼動状況であったと推察されます。
よって検査や故障代替車は予備車がたくさんあった盛モカ車で代用したということになります。
ちなみに盛アオ車を使用した臨時は見たことがありません。
12系化後の受持区等は調査をやめているため不明です。
しかしながら、盛荷201の運用荷物車が北スミであったことには疑問が残ります。
というのも、上野発着の荷物車は隅田川の例は代用以外ほとんどなく、当然に尾久であったためです。
このようにイレギュラーが多かった旧客編成、
数少ない記録がたまたまイレギュラーであったことも考えられますし、8927様ご指摘のように
当分の間他所属区の車両を恒久的に使用した可能性も捨てきれない訳です。
上記の2例は正規編成ですが、結構イレギュラーも多く、抽出に苦労しました。
もっともこういうことがあるから編成記録をやっていた訳ですし、
模型化するにも選択に迷う楽しさがある訳ですが。
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