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              「サイドビュー国鉄一般型客車」P49上段写真の列車は、私も「霧島」で間違いないと思います。 
            キサハ34さん、EF6113さんの会話に割り込んで恐縮ですが、私もこの頃の優等列車に大いに興味があり、 
            黙っていられなくなったのでどうかお許し下さい。 
            手みやげ(?)として、手元の資料による補足などを若干させていただきます。 
             国鉄内部資料の「主要客車列車編成順序表」(交通博物館図書室で公開)によると、 
            36−10白紙改正時点の所定編成は、鹿児島方からマニ+マロネ29+ナハネ11+ナハネ11+ナロ10 
            +ナロ10+オシ17+ナハ+ナハ+ナハフ+ナハ+ナハフ+オハ+オハ+スハフです。 
            このうちマロネ29とナハネ11の1両は博多回転、 
            東京方のオハ+オハ+スハフは、キサハ34さんの仰る通り熊本回転の付属編成です。 
            この日はイレギュラーで1両減車だったのですね。 
             しかし鉄道ピクトリアル1973年6月号「国鉄急行列車・愛称変遷史[13]」によると、 
            マロネ29は翌昭和37年4月に外され、その位置に10月からオハネ17が連結されたとの事です。 
            それ以降39−10改正直前まで目立った変更はなく、くだんの写真は昭和38年12月ですから、 
            ナロ10×2の後ろに見える3両の10系ハネは、所定通りの編成という事になります。 
            なお、信号機柱に隠れている最後尾の車輌は、当時の鹿児島区の配置状況から見て、 
            マニ60の可能性が高いです(39年4月にはマニ72の配置がありますが・・・)。 
             当時の「霧島」は東京−鹿児島間を26時間半かけて走破し、その運用には4本の編成が必要でした。 
            予備を含めて5両必要だったオシ17には、「つばめ」「はと」から転用された元青大将車4両(1〜4)が 
            すべてつぎ込まれていたという、たいへん贅沢(?)な列車でもありました。 
            ただ、写真のオシ17は食堂窓に水切りが見えないので、当時鹿児島区にいた同型式5両中ただ1両の 
            後期型だった14だと思います。 
            なお、ナロ10も元青大将車です。 
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