皆さんご回答ありがとうございます。
全くの暗闇状態だったところに一筋の光明が見いだせたようで、
嬉しいやら恥ずかしいやらで、やや紅潮気味です・・
>伊藤さん
> オユ40形(1)--------有
> スユ40形(2002)-----無
> オユ61形(3,4) -----無 が、昭和30年頃の写真から分かりました。
どうも重ね重ねありがとうございます。
とれいん 1982.11(No.95)のオユ40 1 の写真、どうも窓が怪しく
写っていてはっきりしないと思っていたのですが、実は、シルの下、
形式表記の斜め上の出っ張りがそうでしたか。。お墨付きを頂けると
非常にスッキリしました。(色々ご指摘いただく度に「言われてみれば、
なるほど・・」を連発するのは辛いものがありますが。)
オユ61 3,4 、無かったんでしたか。私まだ3,4は写真も見たことが
ないので、是非、その来るべき鉄道ピクトリアルに、期待したい
と思います。
> 改造前のオユ36形(1扉時代)の郵便ポストは埋められたに設けられて
> いるのではなく、車体幕板に設けれられているようです。オユ36形
> (1扉時代)とオユ60形(1扉時代)は全く同一車体で、いずれも
> 形式図上では窓は当初から無いようです。
ご指摘ありがとうございます。埋めずに、最初からあったわけですね。
これがオユ40からシルの下に移動した。腰の曲がったおばあさん
対策だろうか?と目下想像中です。
> 元々 私が郵便車について興味を持ったのは模型化するネタとしてが
> 始まりだったのですが、徐々に形式写真へシフトするに従って資料の
> 少なさを痛感しました。
やっぱり、こういう話題に載って下さる方は、大なり小なり
模型に通じておられる・・。
> 皆さん、よろしかったらご覧になって下さい。
是非おじゃまさせて頂きます・・
>車掌@仙コリさん
分類表、どうもありがとうございます。
お陰様で、かなり分かりやすくなりました。
> (1)窓埋め込みタイプ
> マユ32・マユ33・マユ34・マユ35・オユ36・スユ72
古い形式は、やはりこのタイプが多いようですね。
前出のとれいん 1982.11(No.95)を見たところ、スユ30 16
と、マユ31 1 が載っていてやはりこのタイプのようです。
さらに、駄目押し決勝打として、大キトさんの頁の、奥野氏撮影の、
ナユニ16265。・・・ありました(一番左端の窓)。
木造車まであったとは・・!
> (2)ヘッダーとシルの間にあるタイプ
> オユ36・オユ60・オユニ70
オユニ70も、でしたか・・。
> (3)シルの下にあるタイプ
> オユ40・スユ41・スユ42・オユ61
> スユニ30・オユニ71・スユニ72・マユニ78
> オハユニ61・スハユニ62・オハユニ71
合造車もあったんですねぇ。それ以上に、戦前製の客車にも
このタイプのものが設けられていたというのが意外でした。
「シル下郵便差入口=新しい形式のみ」とは限らないようですね。
スユニ30など、穴を開けて改造したということでしょうか。
ちなみに、夢中になって調べていったら、
スユニ30 22 ・・・・シル下
(豊永氏撮影、昭和40年、大キトさんの頁にて拝見)
スユニ30 20 ・・・・窓埋め込みタイプ
(里見氏撮影、昭和38年、北総レールクラブさんにて拝見)
で、同型式でも2通りあるらしい・・ことがわかりました。
ここまで来ると、一寸、分類そのものが危うくなりそうで、
恐いのですが。
オハユニ61も、あったんですねぇ。参りました。
ただ、後期車は・・・(うーむ)。
> 相手が列車なだけに場合によっては、宛先とは逆方法に運ばれて
> しまう時間があるわけですよね・・・
本当に、逆方面の列車に載せられた場合、いつの時点で降ろされる
のでしょう。もし大量に郵便物があって、区分けするのに手間取ったら、
終着まで行ってしまうのか・・。1960年の急行「西海」は東京---->
佐世保で、スユ42をつないでいたそうですが、北海道へ宛てた手紙が、
佐世保まで行ってしまったら・・。
>水ミトさん
> 昭和25年10月の時刻表を見たところ、郵便車連結列車の印がありました。
全国津々浦々、を走り回っていたのでしょうか。
それほどの活躍がありながら、なかなかその全貌を
現在知り得ないのが口惜しいところです。
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