倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
郵便車の「郵便差入口」について
「郵便差入口」の有無・位置・利用法について





倶楽部メモ(77) 平成13年 2月18日〜 3月 2日



投稿者 メロン
投稿日 3月 1日(木)12時54分46秒
タイトル 「郵便差入口」とは?
本文

こんにちは。

スユ30から(?)スユ42までの郵便車に、「郵便差入口」という郵便ポストのようなものが
あると思うのですが、これの役割について、ご存じの方、お教え下さい。

詳しくは知りませんが、古い車種だと、製造当初はなかったのに、
ある時期以降に窓一つ分を埋められてこれが設けられたいたり、
比較的新しい車種だと、ウィンドウシルの下に最初から開けられていたものあるようです。

まさか、ホームに停車中、旅行者が郵便ポスト代わりに使っていたなどということは
ないと思いますが。
わざわざ荷物扉を開けるほどでもない、少量の郵便物の受け渡しに使ったのでしょうか。

これと関連していますが、なぜ、オユ10以降の郵便車には
この「郵便差入口」が無いのでしょうか? 
必要が無くなったと考えるのが自然だと思いますが、もしそうだとすると、
なぜ、必要が無くなったのでしょうか?

変な質問ですが、よろしくお願いします。




投稿者 水ミト
投稿日 3月 1日(木)19時55分24秒
タイトル ポスト
本文

>ホームに停車中、旅行者が郵便ポスト代わりに
>使っていたなどということはないと思いますが。

上記のように移動郵便局的な用途だったと思います。
たしかGHQあたりの指導だったかと...?
オユ10にも付いていたような記憶が...

曖昧モードですみません。
詳しい方のフォローお待ちしています。




投稿者 C63
投稿日 3月 1日(木)20時50分08秒
タイトル 郵便差入口 
本文 鉄道ジャーナル1986年12月号73ページに郵便差入口についての記述があります。
「昭和24年オユ36から取り付けられ、車内にはこれを受ける郵便箱が置かれ、
停車中にホームから郵便物を投函できる・・・」とあります。
また、「軽量構造車から廃止され」「護送車には当然ない」と記載されています。



投稿者 メロン  
投稿日 3月 2日(金)06時32分02秒
タイトル
本文

>水ミトさん&C63さん

どうもご回答ありがとうございます。
「郵便ポスト」ずばりそのものだったとは・・(驚き)

なるほど言われてみれば、窓の特大「〒」マークも
それなりの意義があるもののように思えてきます。
私は郵便局です、どうぞご利用下さい、と主張していると。

> 昭和24年オユ36から取り付けられ、

大キトさんのページにある、オユ36 5 の画像を改めて拝見しました。
シルとヘッダの間(だけれども窓を埋めた形跡はない)にあるのが興味深いところです。
その後のスユ40になるとシルの下側ですか。

ちなみに、形式を問わず、どれも大小(長短)の二つの口が開いているように
写真からは見えるのですが、これは何なのでしょうね。
ハガキ・手紙用と、定形外郵便用・・か?
でも、その種の注意書きが書いてあるようには見えない・・。

それにこのポスト、果たしてどれだけの人が利用したんでしょうか。
停車中にしか投函できない。
それも、オハユニ61とかスユニ61とかには付いていないようなので、
幹線の荷物列車か、急行列車のようなケースが多そうですが。

しかも、あの差入口自体、写真で見る限りもの凄く地味で、分かりづらいような気もします。
当時、駅のキオスクでは郵便切手を売っていたのでしょうか。
そうでなくして、果たして誰が投函するのか・・?

そもそも、郵便車全盛時代に、停車中の郵便車にハガキ・手紙を
投函したことある方はおられますか?




倶楽部メモ(78) 平成13年 3月 2日〜 3月 5日



投稿者 伊藤正宏
投稿日 3月 2日(金)12時03分20秒
タイトル 郵政省所有の郵便車
本文

 メロンさん、皆さん、こんにちは。

 当時の郵便車には郵政省所有の郵便車とそれ以外の郵便車がありましたので、
「郵便ポスト」の有無の基準はその辺りにあったのではないでしょうか。
一連の明かり窓がある普通のタイプの郵便車のほとんどは郵政省所有でしたが、
郵便荷物合造車や一部の護送用郵便車は国鉄所有でした(所有云々の記述は
弊サイトにありますのでご覧になって下さい←不完全ですが)。
 以上は推測です。

投稿者のホームページ



投稿者 水ミト  
投稿日 3月 2日(金)13時25分37秒
タイトル 行灯
本文

>どれも大小(長短)の二つの口が開いているように写真からは見えるのです

たしか上が行灯で「郵便差出口」とか書いてあって、下が差込口ではありませんでしたっけ?
あと「郵便ポスト」の有無の基準ですが、列車内で郵便局扱い、つまり消印が押せる車両に
付けることが可能だったと思うのですが、ちがいましたっけ?

オユ10も初期車にはついていました。
その他の窓を塞いでつくった差込口は、戦前製客車で戦後に差込口設置の命令がされたため
の処置です。




投稿者 C63  
投稿日 3月 2日(金)20時18分20秒
タイトル キオスクでの切手販売 
本文 キオスクはかなり古い時代に
いろいろなものの販売権を取得していたのでは
ないでしょうか。
規制緩和前の酒類の販売は、かなり厳しい
免許制でしたが、キオスクではかなり広範囲で
販売していました。
切手類も同様ではないでしょうか。私自身
どこかのキオスクで切手を買った記憶があります。
というよりも、現在ではキオスクでの
切手販売はないのですか?



投稿者 メロン  
投稿日 3月 3日(土)06時46分40秒
タイトル Re: 郵便差入口
本文

どうも皆さんご回答ありがとうございます。

>伊藤さん

どうも、こんにちは。
伊藤さんのページは毎週チェックさせて頂いております (_ _)

> 当時の郵便車には郵政省所有の郵便車とそれ以外の郵便車がありましたので、
> 「郵便ポスト」の有無の基準はその辺りにあったのではないでしょうか。
「サイドビューJNR-PC」に、マユ35の側面写真が載っており、
そこに「総勢15両で、郵便車としては珍しく、国鉄の所有車となって
いた。」との記述がありました。しかし、窓が埋められた形で、件の郵便
差入口が見えます。ただし、マユ35はそれ以前にマユ34を名乗っていた
そうで、伊藤さんのページによりますと、マユ34自体は逓信省所有だった
とのこと。さらに大キトさんのページの現役時代のマユ34の写真によると、
ポストはあるようです。すると、この場合は、・・・?

なお同書にスユ37の側面写真があり、郵政省所有のようですが、
これにはなぜか差入口が見えません。(その前身であるオユ36には、
あったようですが。)
とすると、どういうことでしょうか・・?

オユ36の一部がスユ37に改造編入されたのが、昭和29〜30年で、
スユ42の最新タイプが製造されたのも、同じ昭和29〜30年。
前者にはポストが無く(?)、後者にはある。
なぜでしょうか?

>水ミトさん

> たしか上が行灯で「郵便差出口」とか書いてあって、下が差込口では
> ありませんでしたっけ?
言われてみれば、長い方の四角形は、やや白みがかっているように
見えるのがありました。行灯で、光っているためでしょうか。
どなたか、この差込口のアップ写真を写された方、おられないで
しょうか。

> あと「郵便ポスト」の有無の基準ですが、列車内で郵便局扱い、つまり
> 消印が押せる車両に付けることが可能だったと思うのですが、
http://www2u.biglobe.ne.jp/~h_abe/
というページに、末期の頃の鉄道郵便局について整理して書かれて
いました。これだと、オハユニ61もスユ16も「便」が違うのみで、
特に区別無いようにも見えます。(どちらもポストがありませんが)
全盛期の頃はどうだったのか、全く分かりません。

> オユ10も初期車にはついていました。
これは、もしかすると側面の通風グリルのことでしょうか? (_ _)
ポストのついたやつも、あったのでしょうか。

> その他の窓を塞いでつくった差込口は、戦前製客車で戦後に差込口
> 設置の命令がされたための処置です。
命令で、導入した。しかし徐々に実状に合わなくなってきた
ので、ある時期以降、廃止した。ということでしょうか・・

>C63さん

> というよりも、現在ではキオスクでの切手販売はないのですか?
さあ。最近キオスクでは、「なとり」の素昆布を買った
記憶しかありません・・




投稿者 伊藤正宏  
投稿日 3月 3日(土)11時53分14秒
タイトル Re: 郵便差入口
本文

 皆さん、こんにちは。

> メロンさん、
 先ほどの書き込みは会社の昼休みに書き込みでしたので、帰宅後郵便車に関する本を
読み返しましたが、「郵便ポスト」の有無の基準はよく分かりませんでした。
手持ちの雑誌の中で郵便車に関する記述があるのは以下の通りでした。
 とれいん 1982.11(No.95) 郵便車特集
 とれいん 1997. 9(No.273)
 鉄道ピクトリアル 1987. 2(No.475) 郵便車特集
 鉄道ピクトリアル 1999. 6(No.670) 10系客車特集
 100年の国鉄車両(2)
 鋼製客車形式図集
など

> なお同書にスユ37の側面写真があり、郵政省所有のようですが、
> これにはなぜか差入口が見えません。(その前身であるオユ36には、
> あったようですが。)

 前身のオユ36形は登場時には1扉(荷物扉)だったものを後に2扉化していますが、
2扉化後の写真には既に「郵便ポスト」が存在していません。
いずれにしてもオユ36、スユ37、オユ40、スユ40形は荷物扉が増えたり、移動したりした中で
「郵便ポスト」の設置場所がなくなってしまったのではないでしょうか。

 オユ10形には「郵便ポスト」は無いような気がします。
100年の国鉄車両(2)に登場直後の写真がありますが、それらしいモノはありませんでした。

投稿者のホームページ



投稿者 水ミト
投稿日 3月 3日(土)17時57分33秒
タイトル お詫び等
本文

>オユ10形には「郵便ポスト」は無いような気がします。

調べたらありませんでした。
どうもスユ42のルーバー+郵便口をオユ10と勘違いしていたようです。
ご迷惑お掛けいたしました。




投稿者 メロン  
投稿日 3月 4日(日)09時50分19秒
タイトル Re: 郵便差入口 
本文

>伊藤さん
> とれいん 1982.11(No.95) 郵便車特集
> とれいん 1997. 9(No.273)
> 鉄道ピクトリアル 1987. 2(No.475) 郵便車特集
> 鉄道ピクトリアル 1999. 6(No.670) 10系客車特集
>100年の国鉄車両(2)
> 鋼製客車形式図集
どうも色々教えて頂き、ありがとうございます。
持ってないのも結構あるので、入手せねば・・

> いずれにしてもオユ36、スユ37、オユ40、スユ40形は荷物扉が
> 増えたり、移動したりした中で「郵便ポスト」の設置場所がなくなって
> しまったのではないでしょうか。
なるほど、ありそうな話です・・。
ということは、オリジナルのオユ40は、ポスト有り(窓埋めタイプ?)でしょうか。

混乱してきたので、いろいろな情報の寄せ集めですが、整理してみました。
●=ポスト有り(シルの下)、○=ポスト有り(窓のところ)、×=なし

オユ36以前(おおむね)・・・・・・・・    ○
オユ36製造・・・・・・・・・・昭和24年    ○   日本車輌
オユ60製造・・・・・・・・・・昭和25年    ○   新潟鉄工
オユ40製造・・・・・・・・・・昭和26年    ?   近畿車輛
オユ61 1,2製造・・・・・・・・昭和27年    ●   新潟鉄工
スユ41製造・・・・・・・・・・昭和27年    ●   日本車輌
スユ42製造・・・・・・・・・・昭和28〜30年  ●   日本車輌
オユ36が二扉化・・・・・・・・昭和30年    ×   大船工
オユ60がオユ61 3,4に編入・・・昭和30年    ?   新潟鉄工
オユ36がスユ37に改番・・・・・昭和30年    ×   ?
オユ40がスユ40に改番・・・・・昭和31年    ×   日本車輌
オユ10製造開始・・・・・・・・昭和32年    ×   汽車製造ほか
オユ61 1,2前側荷物扉改造・・・昭和40年    ?   小倉工

↑違っているところがあるかもわかりません。
ご指摘頂けると幸いです。

ついでに、私の前・前々発言の訂正です。
1.出していただいた、とれいん 1982.11(No.95)に、オユ36 1 の写真があり、
その差入口付近を見ると、うっすら窓を埋めたらしい形跡が見えました。
なので、「オユ36に窓を埋めた形跡はない」は違うようです。

2.大キトさんの頁のマユ34の画像は、丸屋根のマユ34で、
マユ35となったものとは別のようです。
ゆえに、この部分は特に意味がありませんでした。
以上、失礼しました。

>水ミトさん
> ご迷惑お掛けいたしました。
いえとんでもない、色々ご教示頂きありがとうございました。

これからも是非教えて下さい。(_ _)




投稿者 伊藤正宏  
投稿日 3月 4日(日)14時01分30秒
タイトル 郵便差入口
本文

 メロンさん、こんにちは。

 参考文献の追加です。
 とれいん 1996. 4(No.256) 小荷物列車の車輛たち(総覧編)

 ところで「郵便ポスト」の有無ですが、
オユ40形(1)--------有
スユ40形(2002)-----無
オユ61形(3,4) -----無  が、昭和30年頃の写真から分かりました。

 改造前のオユ36形(1扉時代)の郵便ポストは埋められたに設けられているのではなく、
車体幕板に設けれられているようです。
オユ36形(1扉時代)とオユ60形(1扉時代)は全く同一車体で、いずれも形式図上では
窓は当初から無いようです。
 オユ61 1,2(前側荷物扉改造後)とオユ61 3,4(旧オユ60)は、いずれも形式図上では
郵便ポストは無いようです。
実車の写真は見たことがありませんが、鉄道ピクトリアルの次(次々)月号が
鋼体化客車特集ですので、もしかしたら写真が見られるかも知れません。

 以上です。これ以上のネタはありませんので、諸先輩方のフォローがあればと期待しております。

 只今、華やかさが無く地味な活躍を続けてきた14系寝台車を弊サイトでアップできるように
整理中です。今日の夕方にでも更新できればと思っています。
郵便車も14系寝台車のように資料がたくさんあれば整理しやすいのになぁ〜と思っています。
それでも、14系寝台車はバリエーションが多くて困ります。
あの雑多な24系はどうやって整理しようか、、、

投稿者のホームページ



投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 3月 4日(日)14時18分05秒
タイトル Re: 郵便差入口
本文

メロンさん、こんにちは。
郵便差入口についてですが、私も詳しくはない(というよりも実物を見たことがない・・)
のですが、とりあえず手持ちの図面・写真等を調べてみましたので書き出してみます。

(1)窓埋め込みタイプ
  マユ32・マユ33・マユ34・マユ35・オユ36・スユ72

(2)ヘッダーとシルの間にあるタイプ
  オユ36・オユ60・オユニ70

(3)シルの下にあるタイプ
  オユ40・スユ41・スユ42・オユ61
  スユニ30・オユニ71・スユニ72・マユニ78
  オハユニ61・スハユニ62・オハユニ71

といったところで、それ以外の形式では確認することが出来ませんでした。
参考になるかどうかわかりませんが。(よけい混乱する?・・・)

それよりも、本当に使用した方がどのくらいいるのでしょうね?
たくさんの場所にポストがあるのは、たしかに大変便利ですが、相手が列車なだけに
場合によっては、宛先とは逆方法に運ばれてしまう時間があるわけですよね・・・




投稿者 水ミト  
投稿日 3月 4日(日)21時18分25秒
タイトル
本文

>相手が列車なだけに場合によっては、宛先とは逆方法に運ばれてしまう時間があるわけですよね

昭和25年10月の時刻表を見たところ、郵便車連結列車の印がありました。
交通事情が悪い地域では、列車の定時性が郵便に役立っていたのかもしれません。




投稿者 伊藤正宏  
投稿日 3月 4日(日)21時24分00秒
タイトル 14系寝台車
本文

 メロンさん、皆さん、こんにちは。

 郵便車については分からないことが多く、また手元にもあまり資料になる雑誌が少ないので、
鉄道ピクトリアルの次(次々)月号が発売されて60系の郵便車のことが少し分かったら弊サイト
でも内容を補充していきたいと思います。元々 私が郵便車について興味を持ったのは模型化する
ネタとしてが始まりだったのですが、徐々に形式写真へシフトするに従って資料の少なさを痛感
しました。

 ところで、この週末に頭を悩ませていた「14系寝台車」の整理が一時終了して、弊サイトの更新が
終わりましたので宣伝させていただきます。今まで公開してきた形式はある程度「型にはまった」
形式だったので説明がある程度しやすかったのですが、14系〜24系客車はJR化後のバリエーション
があまりにも多く、鉄道ピクトリアルの特集号以降も動きがあったので整理するのに苦労しました。
 皆さん、よろしかったらご覧になって下さい。 ←宣伝モードですみません

投稿者のホームページ



投稿者 メロン  
投稿日 3月 5日(月)06時57分19秒
タイトル ありがとうございました
本文

皆さんご回答ありがとうございます。
全くの暗闇状態だったところに一筋の光明が見いだせたようで、
嬉しいやら恥ずかしいやらで、やや紅潮気味です・・

>伊藤さん
> オユ40形(1)--------有
> スユ40形(2002)-----無
> オユ61形(3,4) -----無  が、昭和30年頃の写真から分かりました。
どうも重ね重ねありがとうございます。
とれいん 1982.11(No.95)のオユ40 1 の写真、どうも窓が怪しく
写っていてはっきりしないと思っていたのですが、実は、シルの下、
形式表記の斜め上の出っ張りがそうでしたか。。お墨付きを頂けると
非常にスッキリしました。(色々ご指摘いただく度に「言われてみれば、
なるほど・・」を連発するのは辛いものがありますが。)

オユ61 3,4 、無かったんでしたか。私まだ3,4は写真も見たことが
ないので、是非、その来るべき鉄道ピクトリアルに、期待したい
と思います。

>  改造前のオユ36形(1扉時代)の郵便ポストは埋められたに設けられて
> いるのではなく、車体幕板に設けれられているようです。オユ36形
> (1扉時代)とオユ60形(1扉時代)は全く同一車体で、いずれも
> 形式図上では窓は当初から無いようです。

ご指摘ありがとうございます。埋めずに、最初からあったわけですね。
これがオユ40からシルの下に移動した。腰の曲がったおばあさん
対策だろうか?と目下想像中です。

> 元々 私が郵便車について興味を持ったのは模型化するネタとしてが
> 始まりだったのですが、徐々に形式写真へシフトするに従って資料の
> 少なさを痛感しました。
やっぱり、こういう話題に載って下さる方は、大なり小なり
模型に通じておられる・・。

> 皆さん、よろしかったらご覧になって下さい。 
是非おじゃまさせて頂きます・・

>車掌@仙コリさん
分類表、どうもありがとうございます。
お陰様で、かなり分かりやすくなりました。

> (1)窓埋め込みタイプ
> マユ32・マユ33・マユ34・マユ35・オユ36・スユ72

古い形式は、やはりこのタイプが多いようですね。
前出のとれいん 1982.11(No.95)を見たところ、スユ30 16
と、マユ31 1 が載っていてやはりこのタイプのようです。
さらに、駄目押し決勝打として、大キトさんの頁の、奥野氏撮影の、
ナユニ16265。・・・ありました(一番左端の窓)。
木造車まであったとは・・!

> (2)ヘッダーとシルの間にあるタイプ
> オユ36・オユ60・オユニ70
オユニ70も、でしたか・・。

> (3)シルの下にあるタイプ
> オユ40・スユ41・スユ42・オユ61
> スユニ30・オユニ71・スユニ72・マユニ78
> オハユニ61・スハユニ62・オハユニ71
合造車もあったんですねぇ。それ以上に、戦前製の客車にも
このタイプのものが設けられていたというのが意外でした。
「シル下郵便差入口=新しい形式のみ」とは限らないようですね。
スユニ30など、穴を開けて改造したということでしょうか。
ちなみに、夢中になって調べていったら、

スユニ30 22 ・・・・シル下
(豊永氏撮影、昭和40年、大キトさんの頁にて拝見)
スユニ30 20 ・・・・窓埋め込みタイプ
(里見氏撮影、昭和38年、北総レールクラブさんにて拝見)

で、同型式でも2通りあるらしい・・ことがわかりました。
ここまで来ると、一寸、分類そのものが危うくなりそうで、
恐いのですが。

オハユニ61も、あったんですねぇ。参りました。
ただ、後期車は・・・(うーむ)。

> 相手が列車なだけに場合によっては、宛先とは逆方法に運ばれて
> しまう時間があるわけですよね・・・
本当に、逆方面の列車に載せられた場合、いつの時点で降ろされる
のでしょう。もし大量に郵便物があって、区分けするのに手間取ったら、
終着まで行ってしまうのか・・。1960年の急行「西海」は東京---->
佐世保で、スユ42をつないでいたそうですが、北海道へ宛てた手紙が、
佐世保まで行ってしまったら・・。

>水ミトさん
> 昭和25年10月の時刻表を見たところ、郵便車連結列車の印がありました。
全国津々浦々、を走り回っていたのでしょうか。
それほどの活躍がありながら、なかなかその全貌を
現在知り得ないのが口惜しいところです。




倶楽部メモ(79) 平成13年 3月 6日〜 3月21日



投稿者 伊藤正宏  
投稿日 3月 6日(火)10時14分12秒
タイトル スユニ30形について
本文

> スユニ30 22 ・・・・シル下
> (豊永氏撮影、昭和40年、大キトさんの頁にて拝見)
> スユニ30 20 ・・・・窓埋め込みタイプ
> (里見氏撮影、昭和38年、北総レールクラブさんにて拝見)

> で、同型式でも2通りあるらしい・・ことがわかりました。
> ここまで来ると、一寸、分類そのものが危うくなりそうで、
> 恐いのですが。

 スユニ30形は1〜20がオリジナルで、21、22はスユ30形からの改造車となっています。
元々経歴が違う両者ですのでポストの位置が違うのではないでしょうか。
 また、里見さんが昭和38年に撮影されたスユニ30 20の25年後の姿を私も撮影しております
(救援車スエ30形に改造されていますが)。
有名な車両ならよくあることですが、マイナーな車両ですので何か感慨深いものがあります。
救援車に改造された後の姿は弊サイトにありますが、ポストの形跡は無いみたいです。

投稿者のホームページ



投稿者 メロン
投稿日 3月 7日(水)08時02分56秒
タイトル Re: スユニ30形について 
本文

>伊藤さん
>  スユニ30形は1〜20がオリジナルで、21、22はスユ30形からの改造車と
> なっています。元々経歴が違う両者ですのでポストの位置が違うのでは
> ないでしょうか。
 
>  また、里見さんが昭和38年に撮影されたスユニ30 20の25年後の姿を
> 私も撮影しております(救援車スエ30形に改造されていますが)。
> 救援車に改造された後の姿は弊サイトにありますが、ポストの形跡は
> 無いみたいです。

ご回答ありがとうございます。

いやはや、恐れ入りました (_ _)
早速、そのスユニ30 25改、スエ30 60 の画像を拝見しました。
ちょうど里見氏の画像とは向きが反対ですが、仮にどちらの側のポスト
も線対称にして同位置にあったとすると、その箇所が再び透明の窓ガラス
が入っていますね。

ここから推すに、「窓埋め込みタイプ」の郵便差入口は、通常の窓ガラス
と同じように窓枠にはめ込んであるだけで、取り外しは比較的容易なの
だろうか・・・などと想像されます。果たしてどうだったのでしょう。

ついでに、車掌@仙コリさん調べで、マユニ78・スユニ72などにはポストが
あるのに、なぜ、同じ合造車のスユニ60・スユニ61には無かった?のか、
も気になっていました。

伊藤さんの同ページに、スユニ60・スユニ61についての記述があったので
拝見しましたが、まず、スユニ61の方は、改造され始めたのが昭和40年以降で、
オユ10の製造開始よりもずっと後なので、なるほど最初から設けられなかった
のかな、とも思えます。

ところが、スユニ60は昭和29〜30年で、ちょうど、スユ42が製造されていた
時期と重なります。同じ昭和30年でも、スユ37などは無かったので、昭和30年
という年がかなり際どい線に思えてならないのですが、それなら、昭和29年ごろに
作られた最初期のスユニ60はどうなんだ!・・という疑問が当然に沸き
起こってきます。

しかし、今のところ、そのようなスユニ60は見受けられず。
オハユニ61も、後期車にはどうも無いものがある?(それとも、あったけれども
時代が下って外されてしまっただけか?)ようで、製造時期などとの関係が
やはり気になるところです。



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