倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
宮原の旧客・オハフ33 33
オハフ33 33の現役時代・保存状況





倶楽部メモ(71) 平成12年12月19日〜12月26日



投稿者 糸井
投稿日 12月23日(土)01時21分02秒
タイトル 宮原の旧客たち
本文  僕は、学校のクラブ{もちろん鉄研です}の車庫見学で、特別に宮原総合車両所にいく機会に
恵まれましたので、そこにいた旧型客車についてお知らせします。
もつともそれは、2000年1月のことなので、いまでも、という保証は申し訳ございませんが、
できません。
 まず、オハフ33 33はずいぶんと荒れていましたが、EF58や、EF15とともに機関庫にいました。
同車は「銀河鉄道の夜」のロケにつかわれたそうです。
係の方のお話では、「JRとしては、解体してしまいたい。」んだそうです。
車内は暗く、かなり傷んでいました。いすに座らせてもらいました。じめっときました。
しかし、車内からは、元気に活躍していた在りし日が十分感じとられました。
ちなみに同車はJR化直前に東京・大阪間を往復したそうです。
恐らく「さようなら国鉄号」みたいな感じで走ったのでしょう。
 そのオハフ33より奥にスエ30もいました。こちらはきちんと保存されているようで、
自重28.7っといったものや、57−6 高砂工 といった表記もきちんと残っていました。
 そして客車区には、オハフ33 289がいました。こちらは現役だけあってとてもきれいでした。
車内に入りました。青いモケットときれいな内装でまるで12系のような車内でした。
 僕がみた旧客は以上です。
その他トワイライトEXPやムーンライト九州用の14系も見学しましたが、割愛させていただきます。
 それでは、失礼。



投稿者 大和路環状線  
投稿日 12月24日(日)14時48分08秒
タイトル 1年あっという間 
本文

車掌さん、皆さんご無沙汰しています。
私自身の<鉄な2000年>、この「客車倶楽部」からスタートしたと言っても
過言ではないのですが(笑)、気がついたらもうこの年も幕を閉じようとしています。
1年はあっという間ですね。

この前、「白鳥」完乗の目的で、上野〜水戸〜仙台〜盛岡を鈍行で乗り青森を目指しました。
50系・12系以来初めて乗った701系。それなりに色々工夫されている印象を受けましたが、
やはりロングで弁当は食べられませんね。(笑)
常磐線(北部)に455系が残っているのを見て、ホッとした気分になりました。

糸井さん、はじめまして。気になっていた車両の報告ありがとうございます。

>オハフ33 33

(一応)まだ生きていたんですね。
昭和60年3月の山陰線835レに乗車中、福知山で交換した820レ(米子発京都行)に
入っていたのを思い出します。今、当時の33 33の写真を見ながら書いていますが、
かなりきていましたね。(私が見たオハフ33では2番目に古いものです。)

「さよなら国鉄号」の件は初耳です。マイテと共に保存用に整備されたオハフ33 48か
オハフ33 289と思っていたのですが・・・。(間違っていたらすみません。)




倶楽部メモ(72) 平成12年12月26日〜13年 1月 2日



投稿者 糸井
投稿日 12月27日(水)16時25分19秒
タイトル こんにちは。
本文  皆様、どうもはじめまして。前回が初投稿の糸井と申します。
兵庫県西宮市在住の中学3年生でございます。
前回の投稿を早速読んで頂いた方がいらっしゃると知ってうれし限りです。
 さて、僕のオハフ33 33についての投稿を読んでくださった、大和路環状線様へ。
こちらこそ、どうもはじめまして。あの車は、あなたにとって思い出の車だったのですね。
しかし、もう車籍はなく、本線での走行は望めそうもありません。
そのことは同車の状態の悪さを一度見ただけでお分かりになるとおもいます。
もはや同車は生ける屍となっています。
塗装や表記は、随分はげ、車内は扇風機がおちていたり、
腰掛けがいくつかぬけおちていたりしていました。
しかし、ニス塗りの車内や網のたな、群青色というのでしょうか、あの独特の色のモケットをした
いすなどにおいてはほぼ原型を留めています。289号車よりも旧客、といった車内でした。
 ところでこの33号車、ご存知のとおり現役時代は福知山客貨車区にいました。
そして福知山線で活躍をしていました。
大和路環状線様はその様子を実際にご覧になったのでしょう。大変うらやましく思います。
今でもはっきりと残る福知山線の旧線跡に立つと、よき時代のDD51に牽かれた
オハフ33 33とその仲間たちが今にもやってきそうなきがします。
ところが旧客たちにも、最期がやってきます。確か電化かなにかの時だったとおもいます。
時としては、JR化直前くらいだったと思います。
退役した後、しばらくは福知山客貨車区に留置されていたそうですが、
平成2年にとうとう鷹取工場へ連れて行かれてしまったそうです。
そのなかで唯一オハフ33 33のみは助かったそうです。
 ちなみに、「さようなら国鉄号」については、詳しい名称などは恐れ入りますが僕もしりません。
しかし、オハフ33 33が東京・大阪間を往復したのはたしかです。
 それでは、皆様、失礼いたします。



投稿者 スハ32  
投稿日 12月27日(水)18時43分51秒
タイトル オハフ33 33 
本文   オハフ33 33ってニス塗り車内だったんですか?
昔山陰長距離鈍行で乗った気がしますが・・・。
ここまで無事に線路にのっかてるんで、何とか保存できないものですかねぇ。
35系の若番は、現役では大井川のオハ35 22ですね。
壊すのは簡単ですが、後で取り返すことは出来ません。
 しかしこうなる前に旧客を欲しがってた真岡鉄道とかに売却すれば良かったのに・・・
とちょっと残念です。近代化改造車よりもオリジナルの方がイベントでも人気取れるんですけどねぇ。
(例・東のスハフ32や北のオハフ33、大井川の35系)



投稿者 小竹裕樹
投稿日 12月27日(水)21時58分49秒
タイトル オハフ33 33
本文 かなり久しぶりのカキコします。
オハフ33 33の話題で楽しませていただいています。
私は実際には乗ったことはないのですが、昭和61年7月に駅に留置しているのを撮影しました。
地元の紀勢本線の旧客が先に廃止され山陰に残った旧客に乗りに出かけたときでした、
当時、撮影することより列車に乗ることが好きだった私ですが、
紀勢本線で活躍したオハフ33 333とよく似た番号のオハフ33 33を見かけて、
これは!とたまたま撮影しました。(どこの駅だったかは不明)
そのときから状態は良くなくありませんでしたが、まさか今も残っているとは、
なんか嬉しくなりました。
そのときの写真がこちらです。
     ↓
http://homepage1.nifty.com/kiha75-300/untitled2_008.htm



投稿者 大和路環状線  
投稿日 12月27日(水)22時11分35秒
タイトル 再びオハフ33 33 
本文

糸井さん、スハ32さん、小竹裕樹さん、こんにちは。 
糸井さん、私のコメントに対してご丁寧にありがとうございます。

オハフ33 33が引退したのは城崎電化の前年、昭和60年3月改正ですね。
この時、全国的に散在していた旧客が徹底淘汰され、福フチでも旧塗色(ぶどう色)
の客車は(オハニ36 7・11を除く)全車がリストラの対象になりました。その1両に
33 33があったわけです。

オハフ33 48・289(米ヨナ)は昭和10年代の老朽車(ブルーの改装車)ながら、
旧客最後の年(昭和61年)まで走り続けた幸せ者です。289は現役当時に乗ったこと
もありますが、復活後、昭和62年3月に「国鉄ご愛顧感謝号」(京都〜姫路)で再び
乗る機会がありました。糸井さんも宮原でご覧になったとのことですが、現役当時と
大違いのピカピカ車内が印象的でしたね。
私ももう一度見てみたいです。

>オハフ33 33が東京・大阪間を往復したのはたしかです。

現場の方が仰ったとのことですから、勿論事実でしょうね。
私の勝手な思い込みでご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。

小竹裕樹さん
>(どこの駅だったかは不明)

涙が出そうな写真ですね。
当時、旧客を大量に留置していた駅と言えば、綾部・和田山・東舞鶴・西舞鶴だった
と思いますが、和田山は青15号(この中にナハフ11 1がいた)ばっかりだったので、
それ以外のどれかでしょうか・・・。




投稿者 糸井
投稿日 12月29日(金)01時25分32秒
タイトル 皆様どうもありがとうございました
本文  前回オハフ33 33についての投稿をさせていただいたところ、
何名かの方が同車にまつわる思い出や同車の知識などを投稿なさっていました。
僕はお陰様で随分とエンジョイすることができました。
 まず、スハ32様へ。いまさらで大変申し訳ございませんが、僕も「あの車の車内は
ニス塗りだったのか」と問われると「はい」とも「いいえ」とも答えられません。
ただなんとなく独特のテカりが感じられたのと、同車の車内が鉄道雑誌での
「ニス塗りの車内」という解説つきの車内写真そのままの車内のように感じられたからです。
他の皆様お教えいただけますでしょうか。
それとあなたは現役のころの同車にご乗車なすったのですね。
もう僕ぐらいの世代では客車に乗ったことがあるという人でさえ、小数派です。
僕も現役の旧客には大井川鉄道で小1のころ家族旅行で乗ったことがあるだけです。
また、真岡鉄道などへの売却は少し傷みすぎなのでむりでしょう。
僕も同車がパレオエクスプレスの一員として走って欲しいとは思いますが。
 次に小竹様、オハフ33 33のお写真、拝見いたしました。とてもきれいでしたよ。
退役後とはいえ、昭和61年頃はあの車もまだきれいでしたね。今の同車とは随分違います。
ここに載せられるものならば今の同車の姿もお目にかけたいのですが、
今の僕には、そんな技術はありませんので申し訳ございません。
 そして、大和路環状線様、同車や289号について色々教えてくださって
本当にありがとうございます。
引退した年などについては僕も実を言うと知らなかったので、本当にいい勉強になりました。
また「国鉄ご愛顧感謝号」もその名前すら知りませんでした。
 また今度高校鉄研部員という身分を利用して(僕の学校は中高一貫なので)宮原の旧客を
見に行こうと思います。
しかし、前回も165系に会いにいこうと(165系の大ファンの僕の要望でした)日根野電車区の
見学を計画しましたが、お釈迦になり、結局は1人で和歌山へ行く羽目になりました。
だから今度いつになるか心配です。
それよりも、それまでオハフ33 33が無事かどうか165系にも負けないくらい気になります。
 最後に皆様にお尋ねしたいことが。
高1の先輩から宮原にいまでも20系客車が4両いると聞きました。
しかし、一月の車庫見学のときには見あたらなかったのですが。
広い敷地の中、いてもおかしくはないとおもいますが、1997年11月29日の
新大阪・岡山間のさようなら運転の後全て解体されたはずです。
車籍は当然ないと思いますがお心当たりのある方は是非お教えください。


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