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             糸井さん、スハ32さん、小竹裕樹さん、こんにちは。  
            糸井さん、私のコメントに対してご丁寧にありがとうございます。 
            オハフ33 33が引退したのは城崎電化の前年、昭和60年3月改正ですね。 
            この時、全国的に散在していた旧客が徹底淘汰され、福フチでも旧塗色(ぶどう色) 
            の客車は(オハニ36 7・11を除く)全車がリストラの対象になりました。その1両に 
            33 33があったわけです。 
            オハフ33 48・289(米ヨナ)は昭和10年代の老朽車(ブルーの改装車)ながら、 
            旧客最後の年(昭和61年)まで走り続けた幸せ者です。289は現役当時に乗ったこと 
            もありますが、復活後、昭和62年3月に「国鉄ご愛顧感謝号」(京都〜姫路)で再び 
            乗る機会がありました。糸井さんも宮原でご覧になったとのことですが、現役当時と 
            大違いのピカピカ車内が印象的でしたね。 
            私ももう一度見てみたいです。 
            >オハフ33 33が東京・大阪間を往復したのはたしかです。 
            現場の方が仰ったとのことですから、勿論事実でしょうね。 
            私の勝手な思い込みでご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。 
            小竹裕樹さん 
            >(どこの駅だったかは不明) 
            涙が出そうな写真ですね。 
            当時、旧客を大量に留置していた駅と言えば、綾部・和田山・東舞鶴・西舞鶴だった 
            と思いますが、和田山は青15号(この中にナハフ11 1がいた)ばっかりだったので、 
            それ以外のどれかでしょうか・・・。 
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