倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
牛久・佐貫のオハフ46(保存車)
現役時代の姿・水戸区のドアステッカー





倶楽部メモ(60) 平成12年 9月 4日〜 9月11日



投稿者 やまだ
投稿日 9月11日(月)02時11分20秒
タイトル 牛久のオハフ46−2003について・・・
本文

みなさん、今晩は。

常磐線の牛久駅構内に国鉄末期にオ−プンした「コ−ヒ−ショップときわ」と言う旧客を利用した
喫茶店があったのですが、ここ数年の間に車内からその姿を見かけることが無くなってしまい
その後が心配です。

かつての「人・活」店はその多くは今となっては姿を消している事から廃業→解体の末路をここに
おいても歩んだのかな・・・と思っていたのですが、趣味誌やネットなどの情報では今なお現存し
ているような情報が流れていますがどうなのでしょうか?

ちなみに車両は水ミトのオハフ46−2003、同様に水戸鉄局の人活店だった佐貫店のオハフ
46−2016? は現在も盛業中ですが、牛久店のその後をご存じの方がいらっしゃいましたら
教えて頂きたいのですが・・・

また、佐貫の2016は現在ではドアが改造されている為に現役時代の姿が判りません。 
こちらのかつての形態をご存じの方がいらっしゃいましたら、こちらもよろしくお願いします。




投稿者 水ミト
投稿日 9月11日(月)03時13分27秒
タイトル 牛久
本文 こんばんは。
牛久のは、ビュープラザ用地となったため、解体しました。
佐貫の現役時の写真は、私自身、海側しか持ってないので山側が判らず
困っています。確か改造されているのは、山側でしたよね?



投稿者 やまだ  
投稿日 9月11日(月)17時56分02秒
タイトル 牛久は解体ですか・・・ 
本文

こんにちは。
水ミト様、牛久の方はやはりバラされていましたか・・・
高校時代に日立電鉄を乗りにいく際に良く見かけていたのですが、大学入学後に久々に訪れてみる
とその姿は無くなっていた為、イヤな予感がしていてのですが・・・解体ですか・・・残念です。

ただ、唯一の救いはオハフ46−2003は海側が「鉄ピクNo.449」、山側が転用後の姿で
すが「鉄ジャ−ナルNo.231」に紹介されているのでその姿をうかがい知る事が出来ますね。

一方、佐貫の方は水ミト様の御指摘のように山側であるホ−ムに面した側のドアが格子入りの角窓
に、ドアノブはシリンダ−式の施錠装置付きという全く別物のドアに改装されている為に現役時代
の姿をうかがい知ることが出来ませんね。

せめて、店の横にでも古いドアが放置されていれば良いのですが・・・
どなたかご存じ有りませんか?

いずれにせよ関鉄・竜ヶ崎線の旧型車を撮りに行く機会に「ときわ・佐貫店」を訪れようと思って
います。




倶楽部メモ(61) 平成12年 9月13日〜 9月23日



投稿者 安全靴をはいたタヌキ  
投稿日 9月19日(火)13時32分47
タイトル 少々古いが、牛久の客車の解体時期について
本文

 山田様およびその他の皆様、こんにちは。たぬきです。
さて、牛久の客車の解体時期ですが、たしか平成07年02月には確認できなかったので、
それ以前ではないでしょうか?
(勘違いだったら申し訳ない)

続いて、佐貫の客車ですが、

>また、佐貫の2016は現在ではドアが改造されている為に現役時代の姿が判りません。

私も難儀しておりますが、

 >「鉄ピクNo.449」

に掲載されている写真を見る限りでは、どうも、一ケ所が標準Hゴムのようにも見えるのですが。
まあ、いずれにしても、わからない事には違いないのですが。
御参考?までに




投稿者 やまだ
投稿日 9月19日(火)16時43分13秒
タイトル オハフ46−2003「ときわ」牛久店の形態・・・
本文

 みなさん、こんにちは。
安全靴をはいたタヌキ様、平成7年の2月には消えていましたか・・・
別の話ですが、確か「目白倶楽部」は平成8年の6月頃に・・・
この頃は清算事業団の解散間近で各地で土地を売りまくっていた時期で、
同じく焼津もこの頃に消えましたよね?

オハフ46−2003の形態ですが、塗色は青15号、側窓は全て(車掌窓も含む)アルミサッシ、
洗面所・トイレはHゴム大・小のおきまりの改造で、トイレ横の扉が二段式Hゴム(低窓タイプ)、
ブレ−キ室横が標準Hゴムです。 
反対側では逆に洗面所横が標準Hゴム、車掌室横が二段式Hゴム(低窓タイプ)を
使用しておりました。 
ちなみに、車掌窓は客室と同寸のモノです。

 ただ、大宮工でお守りをしている場合はHゴム二段窓(高窓)を使用しているケ−スが多いの
ですが、この2003は珍しく? 低いタイプを使用していますのでどうゆう経歴なのでしょうね? 
 一方の2016については標H・ドアを最低1枚は使用していた以外は全く判らず、困っています。




投稿者 水ミト
投稿日 9月20日(水)00時33分01秒
タイトル 佐貫の2016
本文

現役時の写真が出てきました。
洗面所脇、標準Hゴム、ブレーキ室脇、標準Hゴムです。

ところで「目白倶楽部は平成8年の6月頃」でしたか?
私の記憶だと、平成6年頃だと思っていたのですが。

Hゴム二段窓(低窓)って高崎のオハ47の1両に1枚ついてました。




投稿者 急行安芸  
投稿日 9月21日(木)12時19分51秒
タイトル マニ36などの存否についてなど 
本文

 今日は、急行安芸です。

 客車通の皆様にお聞きしたいのですが、JR化後も車籍が残った尾久のマニ36と、
品川(当時)のナハフ11型2両は現存するのでしょうか?
どなたかご存知でしたらお教え下さい。

また吾妻線の羽根尾駅にスエ78-5が留置されているらしいのですが、実際は如何でしょうか?
よろしくお願いいたします。




投稿者 瑞貴
投稿日 9月22日(金)01時15分57秒
タイトル オハフ462016のこと
本文  こんばんは。
 佐貫のオハフ462016の件、現役時代の両側面の写真がありました。
 ドアはすべてHゴム支持の1枚窓(小型)、客室窓枠は車掌室部分を含め
すべてアルミサッシ、トイレ・洗面所窓はHゴム支持の白塗りです。
 ドア以外は、牛久のオハフ462003とほぼ同じ形態です。
 ところで、2016には当時水戸区の客車の特徴?であった、ドア窓に丸い
ステッカー(確か危険防止等の内容)が貼ってありませんでした。’82年
以前から水戸区にいる車両には、ほとんど貼ってあったのですが・・・。



投稿者 やまだ  
投稿日 9月22日(金)03時55分00秒
タイトル マニ36,ナハフ11の消息と水戸のドアステッカ−
本文

 みなさん、こんばんは。
急行 安芸 様のお尋ねのマニ36,ナハフ11ですが、残念ながら東大宮(操)での留置後、
95年か、96年に大宮運転区に移動し、1ヶ月程度の留置後大宮工場で解体されてしまい
ました・・・また、羽根尾の旧客についてはまだ行ったことが無いのでレトロ号運転の際に
訪れようと思っています。

 瑞貴 様、スハフ42−2074の節は大変お世話になりました。
今回も貴重な情報をお寄せいただきまして、おかげでまた関東の旧客の資料が1つ増える
ことが出来ました。 重ねてお礼申し上げます。
 さて、水戸局のドアに貼ってあったステッカ−ですが確か文面は「走行中は危険ですので
ドアは絶対に閉めて下さい」 真ん中緑十字で 国鉄水戸鉄道管理局 と記されたステッカ−
ですよね? 大宮工場に保存されているスハフ42−2174にもこのステッカ−が貼られ
ています。 今年の工場祭には久々に展示されるといいですね。(私はこの中でぼ−として
居るのが好きです・・・)




投稿者 水ミト
投稿日 9月22日(金)16時18分28秒
タイトル 2016のドアステッカ−
本文

私の写真だと、少なくともブレーキ室脇のドアには貼ってあります(84年頃の撮影?)。

なおステッカーの文面は「危険 走行中はドアを必ずおしめください」です。




倶楽部メモ(62) 平成12年 9月23日〜10月 6日



投稿者 Taro
投稿日 9月30日(土)00時04分52秒
タイトル Re:水戸のドアステッカ−
本文

初めましてtaroです。 宜しくお願いします。

私の所有している水戸区のステッカー(未使用)には
「 危険 走行中は、ドア を必ずおしめください + 水戸鉄道管理局 」
と書いてあります。 
”危険”と”ドア”が赤文字、”+”は緑文字、その他が黒文字で書いてあります。

ステッカーの直径は15cm程度。 ご希望があれば、HPに掲載いたします。

投稿者のホームページ



投稿者 水ミト
投稿日 10月 1日(日)04時03分46秒
タイトル 水戸のドアステッカ−
本文 ↑って、昔の水戸の即売会で売っていました。
今思えば、いっぱい買っておく出来だったかなぁと...
投稿者のホームページ


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