倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
隅田川貨物駅・大宮操車場跡地のスハフ42について





倶楽部メモ(54) 平成12年 7月15日〜 8月 2日



投稿者 やまだ  
投稿日 7月29日(土)11時00分02秒
タイトル 隅田川貨物駅の旧客について教えて下さい。
本文  資料を整理していたところ隅田川貨物駅にスハフ42−2329が放置されている記事を
見かけました。
 鉄道友の会の方々が10年ほど前に作成された保存車両リストの抜粋なのですが、
資料作成から10年以上経過している現在、現存しているのは難しいと思われます。
もし、この車両の現存の有無、車両形態、現役時代の所属区所などをご存じの方が
いらしたらお教え下さい。
 又、1988年頃に、大宮操車場跡地に他の救援車などと一緒に留置されていた
スハフ42についてご存じの方がいらしたらこちらもよろしくお願いします。
 自分は大宮工場の保存車、2174ではないかと思うのですが・・・



投稿者 伊藤正宏  
投稿日 7月31日(月)09時29分37秒
タイトル 大宮操車場跡地の旧客について 
本文

 やまださま、こんにちは。

 スハフ42 2329ですが、JR化直前まで水ミトの所属だったようです(不確かですが)。
だたすると、当時のネガかポジを探せばあるかもしれませんが、ちょっと自信ないです
(当時は撮りっぱなしでプリントしておりませんので、)。

 また、1988年当時の大宮操車場跡地ですが、色々な変わった客車が留置されておりましたが
(一部は弊サイトでアップしてます)、普通の客車は留置されてなかったような気がします。
留置されていたのは旧東京北鉄道管理局内の車両がメインで、20系客車、マニいろいろ、
ワキいろいろ、スヤ、マヤ、オエ61がほとんどでした。
当時は留置されている車両の番号をメモするよりも太陽光線の具合の方が気がかりで、
きちんと覚えておりませんのでした。
 水ミト所属だとすると湯本など別の場所で留置されてのではないでしょうか?
だとすると、スハフ42形は何両か留置されており、形式写真も可能な限り撮影しました。

 不確かな情報で申し訳ありません。

投稿者のホームページ



投稿者 やまだ
投稿日 7月31日(月)23時38分04秒
タイトル 伊藤さん情報有り難うございます。
本文  いつも、伊藤さんのサイトを楽しく拝見させていただいております。
そして、早速情報をお寄せいただいて有り難うございます。
 1988年当時、大宮操車場では貨車の解体作業がだいたい終わり、
いよいよマニ、オエ、スエといった客車にも解体が迫りつつありました。
 当時中学1年だった私達の鉄仲間は、何度も大宮操構内での撮影を試みましたが、
鉄屑やガラスの破片が危ないからといつも追い返されていました。
 夏休みも近くなった期末明け大宮駅に撮影にいった帰りに東北線から
件のスハフ42を見かけてしばらくの間、仲間内で話題になりました。
 どこの車だ?尾久にはとっくにないし?いつ持ってきた?最近まで無かったよな?
などと友達どうしで推理していたのですが、
年が明けてしばらくすると他の車両と共に消えていました。
 果たしてどうなったのでしょうね? 保存されている水戸の2174だといいのですが・・・



投稿者 やまだ
投稿日 8月 1日(火)01時55分17秒
タイトル スハフ42の件について補足
本文  大宮操のスハフ42について思い出すことがありました。
 当時日本中を駆け回ったオリエント急行の台車と言えばTR47を履いていたと思うのですが、
このTR47を整備した工場が大宮工場であったことを思い出しました。
(車両整備と台車入れは日立・笠岡工場でしたが)
当時の特番、フジテレビの放送で東日本の時の副社長山之内氏が出演されていた番組の中で
大宮工場での台車整備作業の模様が取り上げられていました。
 その頃、件のスハフ42は操車場でクレ−ンにつり上げられて片方の台車が
抜かれた状態で居るのを目撃しています。
 そして、後日見たときには台座が噛まされていました。
 この事から仲間内ではオリ急に台車を供出したのでは?と、噂していました。
 又、スハフ42−2329ですが、どうやら「つくば博お召し」の試運転、その後の
北局のイベントに使われた7両の中で唯一、高崎に転属出来なかった1両のようです。
ともに撮影・メモなどされている方は情報をお寄せ下さい。お願いします。



倶楽部メモ(55) 平成12年 8月 3日〜 8月 9日



投稿者 瑞貴
投稿日 8月 3日(木)00時30分57秒
タイトル スハフ42のこと
本文  こんばんは。
 やまださんがお尋ねの、大宮操跡地にあったスハフ42の件、
多分北オクのスハフ422074だと思います。
 S58.3に廃車後、なぜか解体されずに東大宮操に留置されているのを、
S60.11.14の埼玉県民の日に行われた公開日に確認しています
(ちなみに、ドアは4枚とも一般的なHゴム支持の1枚窓(小型)で、
全体的にみてもこれといった特徴は有りません)。
その後、大宮操跡地で解体されたかまでは確認していませんが、同様に廃車後、
東大宮操に留置されていた北オクのマニ372017・2020が、
その後大宮操跡地で解体されたことを考えると、ほぼ間違いないのでは?と思います。
 それにしても、当時すでに北オク表記の旧型客車は見ることは出来なかったので
(事業用のマニ36を除いて)、非常に以外に思ったものです。
特に高校に通っていた頃、帰りの列車は北オクの旧型客車だったため
(平日は平(現いわき)行き425レ、土曜は仙台行き223レでした)
ひょっとするとこのスハフ422074にも乗ったことが有るのでは?などと思ったものです。
 ところで、スハフ422329のことですが、’94年発行の”全国保存鉄道U”によると、
隅田川貨物駅に保存(放置?)されていることになっていますが、状態が”B”となっているので、
現存しているにしても(その可能性は低いと思いますが)、状態はあまり期待出来ないでしょう。
現役時代の写真も探してみましたが、ちょっと見当たりませんでした。
 あと、オリエント急行の件ですが、自分が現在勤めている会社の社長が、当時日立笠戸工場の
工場長だったそうで、オリエント急行のことを社内報に書いていました。
社長も鉄道ファンなので、あのTR47の出所もしっているのではと思うのですが、
やっぱりちょっと聞きにくいので、いまだに確認していません。
 では、また。



投稿者 やまだ
投稿日 8月 4日(金)00時42分17秒
タイトル 瑞貴さん有り難うございます。
本文  瑞貴さんから頂いた情報で謎が一つ解けました。有り難うございました。
当時、構内での撮影が許されなかったので東北線を浦和まで何回も往復して
車番やドアなどの形態を確認したのですが、2074?、2174?のどちらか判らず、
その後の大宮工場の一般公開において2174(82.11まで尾久客その後、水戸客に転属)
を見ててっきり当時の留置車は、スハフ42−2174だと思いこんでいました・・・
 確かにドア形態が異なっているため違和感を感じていたのですが、
瑞貴さんのおかげで納得がいきました。
 スハフ42−2174はプレスドアを3枚使い、標準Hゴム窓のドアを一枚しか使っていない事など
私自身が目撃したスハフ42とは大きく異なり、逆に瑞貴さんがおっしゃられた2074の形態に
ピッタリ一致します。 
 大変、お手数をお掛けして申し訳ないのですが、貫通ドア、トイレ窓の形態なども判りましたら
引き続いて情報をお願い致します。



投稿者 瑞貴
投稿日 8月 7日(月)23時53分59秒
タイトル スハフ422074の件
本文

 こんばんは。
 やまださん。
 お尋ねのスハフ422074の件、だいたい下記のような形態をしていました。

 ドア   4枚ともHゴム支持の1枚窓(小型)。
 化粧室窓 上部が内側に開くタイプ。
      ガラスは下部は白塗り・上部はスリガラス。
 トイレ窓 化粧室窓と同じだが、上部のガラスは白塗りかスリガラスか
      写真の写りが悪いため不明。
 貫通路のドア  鋼製の大窓(角窓)
 車掌室側面の当て板  大型
 車掌室部分の各札入れ  順位・急行札入れはドアより内側。修繕票入れ
             は車端部分。
 サボ受け  両側面から支えるタイプ。
 窓枠  木製
 最終全検  S56.8 大宮工

 こんなもので宜しいでしょうか。




投稿者 やまだ
投稿日 8月 9日(水)03時25分27秒
タイトル スハフ422074の件、有り難うございました。
本文  こんばんは。
 瑞貴さん。
 前回に引き続いき、スハフ422074の詳細な情報をお寄せいただきまして大変感激して
 おります。 早速、この情報を今後の資料や模型などに活かしていきたいと思っております。
 
 また、前回お話にありました常磐線の425、423列車は、私にとって憧れの列車でした。
 上野近隣の動物園や博物館へ行くときに京浜東北の103(まだ非冷房車ばかりでした・・・)
 から何回か見たことが有り、高崎線の旧客も当時は見かけましたが、赤い機関車EF80と
 旧客の組み合わせにすっかり虜になっていた事を覚えています。 いつも見かけるばかりで、
 私が現役の国鉄旧客に乗ったのは後にも先にも仙山線の各停で北仙台−山寺しか無くて、
 せめて、5年早く産まれてたら・・・と悔やまれてなりません。 
 夏の暑い車内と、木造の車内、そして開放されたデッキから見る熊ヶ根鉄橋の谷底の深さを
 覗いた怖さなど、この時の体験は今でも鮮明に記憶しています。
 そう言えば世間は夏休みですが、扉が開いたままで走る「でんしゃ」を今の子供達は知らない
 時代になってしまったんですね・・・



倶楽部メモ(59) 平成12年 8月28日〜 9月 4日



投稿者 水ミト
投稿日 9月 3日(日)20時37分48秒
タイトル つくば博お召しの訓練運転一般型客車 
本文

こんにちは。

>又、スハフ42−2329ですが、どうやら「つくば博お召し」の試運転、その後の北局のイベ
>ントに使われた7両の中で唯一、高崎に転属出来なかった1両のようです。

手持ちのメモが出てきました。
S60.6.8に水戸区で記録しました。

↑仙台
スハフ42 2173
スハフ42 2265
オ ハ47 2261
オ ハ47 2266
オ ハ47 2246
オ ハ47 2239
スハフ42 2071

です。この当時、水戸区にはオハフ45(2202と2204)とオハ47(2241)がいました。
オハ47 2241は車内がニス塗りでした。

なおスハフ42 2329は、S60.4.4の常磐9621レ(回送)によって水戸を離れています。
同列車には、スハフ42 2174も入っていました。



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