倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
客車の帯色の変遷について

急行「ニセコ」の帯の色・等級表示について




倶楽部メモ(44) 平成12年 4月29日〜 5月 7日



投稿者 スロ54
投稿日 05月07日(日)12時36分19秒
タイトル 国鉄客車グリーン車について
本文 C62の大ファンで現在Nケージで急行ニセコの編成を製作中なのですが
ここで問題なのですが昭和43年にスロ54−500番台が3両函館に配属され
ニセコに使用されているはずなのですが
当時はまだ1等・2等制であり登場時の車体の帯びが白なのかグリーン帯びなのかがわかりません。
又、当時主力のスロ52は翌昭和44年5月10日のグリーン車制によりスロ62に置換わるまでの間
グリーン帯とグリーンマークに変わったのか知っている方がいらっしゃればお教え願います。



倶楽部メモ(45) 平成12年 5月 7日〜 5月13日



投稿者 急行高千穂
投稿日 05月07日(日)15時27分29秒
タイトル Re:国鉄客車の色帯
本文 スロ54さん。私のわかる範囲でお答えします。
まず、「ロ」の客車に白帯を巻いていたことはありません。
3等級制のころ1等は白帯、2等は青帯、3等は赤帯でした。
赤帯は昭和15年に廃止されています。
また、青帯は昭和41年(36年に訂正)から薄緑に変更され、グリーン車に引き継がれました。
白帯は戦後、進駐軍専用車と区別するためクリーム色に変更されましたが、
昭和35年、「つばめ」「はと」の電車化による1等車の廃止により消滅しました。
(ただし、実際は昭和31年から「青大将」塗装により、一般営業列車からは帯は消えていた。)
この1等廃止により、従来の2等は1等にそして後にグリーン車、A寝台車になり、
3等は2等に、そして、普通車へと変わっていきました。
つまり、スロ54などはもとの2等車ですので、当然青帯からグリーン帯へと変わったわけです。
また、スロ52ですが、グリーン帯は当然として、グリーンマークは改正当日は
間に合わない車両が結構あり、テレビでもその旨流れてたのを子供心に覚えてます。
ただし、これもすぐに変更されてますので、グリーンマーク付の姿でもおかしくないはずです。
なお、蛇足ながら青帯は途中で色が少し変更されてます。
それから、ご存じだとは思いますが、ロ、ハの記号はイ・ロ・ハから来ていて1等がイ、2等がロ、
3等がハだったことを思い出せば、ある程度理解できるでしょう。
以上、老婆心ながら何かのお役に立てば。
投稿者のホームページ



投稿者 スロ54
投稿日 05月07日(日)18時10分05秒
タイトル 急行高千穂様へ
本文 急行高千穂様、大変貴重な情報をいただき有難うございました。
実は今回私が悩んだきっかけは、参考にした鉄道ファン1995.8月号P54ページの写真と、
ビデオ「蒸気機関車時代」北海道編(上)での[C62重連急行まりも]でのスロ52の帯が
どうしても白に見えるのです。
しかし、高千穂様の言われる事が正しければ年代的に写真や画像の変色によるもの
かもしれません。
現在他に悩んでいるのがスロ54 500番台の末期(帯無時)に外窓がサッシ化された車両が
出現したのか、屋根の色は銀色かねずみ色かでありまして、
今後も貴重な情報が有りましたらよろしくお願いいたします。



投稿者 水ミト
投稿日 05月07日(日)19時44分57秒
タイトル 帯色
本文

こんにちは。

>青帯は昭和41年から薄緑に変更され

昭和35年では?




投稿者 急行高千穂
投稿日 05月07日(日)21時22分19秒
タイトル ご指摘ありがとうございます。
本文 水ミトさん。ご指摘ありがとうございます。
昭和36年の誤りです。1961年を昭和41年と計算まちがいしたようです。
スロ54さんにもご迷惑をおかけしました。
なお、昭和35年とのご指摘ですが、手元の資料では36年となります。
ただし、これが正しいかどうかは他に資料がなく私にはわかりません。
しかし、昭和35年7月でしたかに2等級制になった後に生き残った旧マイテ39改めマロテ39が
青帯を巻いている写真が雑誌に載っていますので、少なくとも2等級制実施と同時では
なかったと思います。
なお、北海道型のことはよくわかりませんが、スロ54のアルミサッシは見たことがありません。
また、屋根の色は鋼板張りかカンバス張りかでも変わります。
スロ54は床下冷房車が初期に3両でしたか改造されましたが、低屋根化された車両は
鋼板張りではないのでしょうか。
とすれば銀色でもおかしくありません。
西日本のスロ54ではたぶん銀色だったような記憶がありますがはっきりしません。
いつも真っ黒だったような感じで・・・。
投稿者のホームページ



投稿者 水ミト
投稿日 05月08日(月)01時41分04秒
タイトル 1等表記の青帯&屋根色について
本文

こんにちは。

>手元の資料では36年となります。ただし、これが正し
>いかどうかは他に資料がなく私にはわかりません。

調べてみたところ、私の間違いでした。失礼しました。
昭和35年には、出入り口脇「1」表記の青帯車両が存在していました。
翌36年に、帯色が緑帯へ変更という変遷ですよね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
あと屋根色なんですけど、オユ10とかスロ62とかは末期は屋根色が明るい灰色のが
存在していましたね。
20系なんかも末期は灰色だったと思うので、ある時期から色が変更になったのでしょうか?

ところで鋼板屋根=銀色というのは、定説なんですかね?

というのも、
例えば、35系や42系の鋼板屋根車はどうだったのか?とか
青大将の44系やはつかり44系は、本当に銀色なのか?とか
とても興味があります。




投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 05月08日(月)18時44分57秒
タイトル 等級帯・車体色について
本文

等級帯の話題が出ていますが、この機会に昨年から何回か話題になった車体外部色
及び等級帯の変遷・等級制の変遷をまとめてみました。

明治30年11月
  等級制変更(上等・中等・下等 → 1等・2等・3等)にあわせて等級帯採用
  (1等車 → 白 ・ 2等車 → 青 ・ 3等車 → 赤)
    私鉄では前年(明治29年11月21日)関西鉄道にて実施
昭和15年2月11日〜
  3等車の赤帯廃止
戦後
  1等車の帯色変更 白 → クリーム (進駐軍専用車が白帯使用の為)
昭和30年7月1日
  1等寝台車廃止 (旧1等寝台→2等寝台A・B 旧2等寝台→2等寝台C)
昭和31年11月19日
  特急「つばめ」用客車(スハ44等)の塗色として淡緑5号登場
   (この塗色変更により1等車の帯が自然消滅)
昭和33年10月
  特急「あさかぜ」(20系)・特急「はつかり」(スハ44等)の塗色として青15号登場
昭和34年6月〜
  塗色変更 ぶどう色1号 → ぶどう色2号
昭和35年7月1日
  3等級制 → 2等級制 (旧1等車→格下げ・旧2等車→新1等車・旧3等車→新2等車)
昭和36年7月
  1等車の帯色変更 青 → 淡緑
昭和39年10月〜
  優等列車用客車を中心に塗色変更 ぶどう色2号 → 青15号
昭和44年5月10日
  モノクラス化(1等車→グリーン車・2等車→普通車・1等寝台→A寝台・2等寝台→B寝台)
国鉄末期
  等級帯廃止

といった状況だと思うのですが、文献によって多少違いがあるようなので、
おかしい点があればご指摘下さい。



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