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             天カメ@燃焼効率さんこんばんは221レです。 
            オハ61などの中間車は尾灯がついていないので 
            機関車次位に連結しているのをあまり見たことがありませんが、 
            S57に日中線に乗ったとき確かにDE10+オハフ61+オハ61という編成でした。 
            オハ61の妻面の左側のフックにカンテラのような尾灯がついていました。 
            当然熱塩から喜多方に向かう上りは機関車の次位にオハ61が付いたのです。 
            C11が現役だった頃もこの編成、又は混合列車だったはずで 
            残念ながら実物を見たことはありませんが、写真が多く残っていると思います。 
            国鉄時代は、幌に鎖2つ、踏み板を跳ね上げた状態で 
            平気で機関車の次位、最後尾にしていたので(これが当たり前だった) 
            オハフ33などが当たると簡易展望車?を楽しめたのでした。 
            現在はJR東日本の旧客は変な柵を転落防止に付けていますが… 
            ずいぶんと過保護な世の中になったものです。 
            誰かがわざと乗り出して転落したら、JRは、多額の賠償金を払わされるのでしょう? 
            但し心配している車内への煙ですが、客室には仕切り扉があったので 
            特に問題はなかったのでしょう。 
            現場の職員ではないからわかりませんが、 
            機関車の付け替えのとき、手ブレーキのひとつは必要ですしょう。 
            それに50系や12系の場合自動扉の扱いや無人駅が増えたから 
            車掌の改札の都合で中間に緩急者が入ることがあったようですが… 
            また、最近は尾灯でなく丸い反射版ですましているので 
            オハの貫通扉の鍵を閉めて対応しているのでしょう。 
            また、オハからオハフへの改造ですが、115系・485系あたりが 
            モハからクモハなど中間車から先頭車に改造されたように 
            都落ちしていくうちに単編成化で必要になったのでしょう? 
            はじめは本線に投入するから座席定員を稼ぐ必要もあるし。 
            和田岬支線のオハ64などは傑作ですよね、 
            山側3扉と10人分くらいのロングシートしかない、 
            それよりDD13が牽引するから暖房がない(笑) 
            関西には草津線あたりにも1等格下げ通勤化改造の客車が多く 
            そちらに一度乗ってみたかったです。 
            外観は青帯を入れればスロ51みたいなやつがありましたから 
            この手のやつは東では早い時期に消滅しています。 
            紀勢線や和歌山線また山陰線ではナハ10系がけっこう遅くまでに残っていました。 
            関西も捨てたものではありません。 
            今年の春からパレオ・エクスプレスがスハフ12が1両にオハ12×3両で走りますが 
            どのように編成を組むか楽しみです。 
            後閑駅に留置しているときは色が褪せ、屋根から錆が落ち惨めな姿でしたので… 
            長くなりました、それでは。 
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