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             こんばんは、大和路環状線です。 
            最近、急激に寒くなりましたね。 
            ●平松真一さん 
            >オロ35は定員が64名ですから、狭窓は16となります。 
            補足を有り難うございます。(^^) 
            狭窓の「並ロ」、大いに魅せられるものがあります。 
            ●アーノルドカプラーさん 
            >帰省ラッシュでもないのに「銀河」が、寝台券が売り切れてしまったのかが、 
            >わかる方お教えください。 
            ご指摘の状況を大変興味深く思い、昨晩通りがてら大阪駅10番線に 
            停車中の上り「銀河」を観察してきました。 
            アーノルドカプラーさんがお乗りになった金曜日の夜ですが、昨日も非常に盛況でしたよ。 
            寝台はA・Bとも全て売切れです。 
            この列車はよく見かけるのですが、普段はあまり活気を感じないだけに、私も非常に驚きでした。 
            車内は平常に比べグループ旅行者の比率が高く、 
            やはり「週末」ということで一定の支持層があることが確認できました。 
            帰省シーズンではありませんが、さすがに「大阪〜東京夜行健在」の感一杯で、 
            心強い気持ちになったものです。 
            私も早く乗ってみたいです。 
            ●麦太郎さん 
            >臨時急行「みやこ」 
            少し調べてみましたが、わかりませんでした。(^^;; 
            宮脇俊三氏は『線路のない時刻表』で、上野発宮古行・臨時客レ急行「うみねこ」(夜行) 
            という空想列車を設定されていますが。(笑) 
            情報提供じゃなくてすみません・・・。 
            ●AK1219さん 
            >豊肥線の客レ 
            「筑豊本線」ですね。(^^; 
            これで、50系客車発祥の地であるとともに、終焉の地ともなるわけですか。 
            (海峡線を除いて) 
            >寝台付き客レのデータの追加ですが、大正14年4月の(現)JTB時刻表 
            >の創刊号では、17往復に2等寝台 
            いつも有り難うございます。ついに大正時代まで遡りましたね。 
            2等寝台車は大正中期に勢力を広めたそうですから、その姿を如実に反映してますね。 
            3等寝台車は昭和6年のスハネ30が最初なので、 
            大正期の寝台車は高嶺の花の極みだったのでしょう。 
            それでは、失礼いたします。 
            (# 今頃、東京行「銀河」は豊橋付近でしょうか・・・。(^^)) 
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