倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
特ロと並ロについて
1950年代の東海道線普通列車の二等車について




倶楽部メモ(26) 平成11年11月 4日〜11月10日



投稿者 急行比叡
投稿日 11月08日(月)03時29分59秒
タイトル スハ43とその他の客車の組方について
本文 久久に投稿させていただきます。
Nゲージの模型で、43系客車とスハ32のシングルルーフの車や、オハ35の戦前型などを組み合わせて遊びたいのですが、
1950年代に東海道線の各停などでこのような編成例は存在したのでしょうか。
また、東京大阪間など、長距離の各停には、スロ53などの2等車は組み込まれていたのでしょうか。



投稿者 水ミト
投稿日 11月08日(月)09時29分35秒
タイトル 普通列車用の2等車
本文 4人掛けのボックス、転クロ。

並ロと特ロって言ってませんでしたっけ?
例えばオロ40とオロ35の組み合わせみたいな。

普通列車のロは並ロの方が多かったんじゃないかなぁと<曖昧モード



投稿者 大和路環状線
投稿日 11月08日(月)14時26分36秒
タイトル 特ロ・並ロと東海道本線
本文 急行比叡さん、水ミトさん、こんにちは。

>並ロと特ロって言ってませんでしたっけ?

そのようですね。
「特ロ」はリクライニングシート使用で、特別料金を必要とするものです。
(昭和25年登場のスロ60(特急用)・スロ51(急行用)が最初。)
急行列車では特ロと並ロの併結例も多かったようです。
「形式」的に見ますと、

・並ロ……オロ40、オロフ33(戦後しばらくの「へいわ」「つばめ」)
     オロ35、オロフ32、オロ31、スロハ38、スロハ32、等々
・特ロ……スロ60
     43系(スロ51〜54、スロフ51〜53、マロ55)
     10系(ナロ10、オロ11)


ただ、「並ロ」については(私にとって)謎だらけで、かなり強い関心があります。
後々、3等(2等?)車に格下げとなった連中もいるようですが、
いつ頃まで普通列車で活躍していたのでしょうね。
そういった車種に思いを巡らせてみると、末期まで残った旧型客車は
意外とバリエーションに乏しかったと言えるかも知れません。

>普通列車のロは並ロの方が多かったんじゃないかなぁと

手持ちの編成表(少ないですが)を見ている限り、1950(昭和25)年代の特ロは
基本的に優等列車専門ではないかと思います。急行比叡さんご指摘のスロ53などは、
急行用とは言いながら「つばめ」「はと」でも使用された車両ですから・・・。

ただ、東京〜大阪間の普通客車列車は昭和43年10月改正まで存在していまして、
その頃になると、スハ32・オハ35等の雑多な客車と荷物車(2両)の中に、
スロ51が1両連結されていたようです。
(→『人気列車全国大追跡(RJ別冊・16)』)



投稿者 水ミト
投稿日 11月08日(月)16時33分57秒
タイトル 並ロ
本文 こんにちは。
並ロですが、昭和40年3月及び昭和40年10月の改正時に大量に格下げ(ロ→ハ)されています。
昭和40年3月 対象 オロ36 オロ41 スロハ32
昭和40年10月対象 オロ35 オロ40 オロ42 スロ43 オロフ32 オロフ33 スロハ32


昭和40年10月以降、残っている並ロは、オロ35が6両、オロ40が21両、スロ43が15両、
オロフ32が2両、オロフ33が2両、スロフ34が2両、スロフ43が4両、スロハ32が7両となっていると、
資料に書いてありました。

次に配置表によると、昭和42年3月31日現在で、スロハ32が4両に減少しています。
この4両のうち3両が紀伊田辺、1両が竜華に在籍しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ところでオロ35って並ロだったんですね。
座席がクロスシートでなかったので特ロと勘違いしていました。失礼いたしました。
で、写真を見ると、転換クロスかもしれませんが、実際はどうだったのでしょうか??

それと並ロの座席の雰囲気が味わえる客車、現存&車籍も残って活躍しています。

それは...供奉車 340 461の二等車部分です。
でも、これは乗れないですね(笑)

ということで、実際乗れる(座れる)可能性があるのは、大宮工場保管の供奉車344となります。
でも、これなかなか出てきません。確か平成6年か7年の大宮工場公開の後は
去年の平成10年で、今年も期待して見に行ったのですが、出てませんでした。
平成10年の時は体験乗車と言うことで、気軽にみれませんでした。
ということで何年越しになるかはわかりませんが、
気長に待てば二等座席に座ることができると思います。

※電車の二等座席でかまわないなら、どっかに廃車体があったと思うのですが。
※交通博物館にも、座席だけはありませんでしたっけ?



投稿者 AK1219
投稿日 11月08日(月)23時38分31秒
タイトル ABC2等寝台・特ロ・並ロ(御礼)
本文 こんにちは。
ABC2等寝台や特別2等の感じがだいたいわかってきました。ありがとうございます。
今風にいえば、
A2等がシングルDX・ツインDX
B2等が普通のA寝台
C2等はB2等の古いもの
特ロは(今でいえば)普通のグリーン車
並ロは新快速並の転換クロスシート
といったイメージでしょうか。
歴史風にいえば、さしずめ昔の貧富の差があった時代の名残の種別
→大衆化を反映した種別の簡素化
→バブルを経てその辺の若者でも乗れるようになったデラックス車両の出現
ということでしょうか。
大和路環状線さんのおっしゃるとおり、末期まで残った旧型客車は客車全盛期と比較すれば
バリエーションに乏しかったということでしょうね。



倶楽部メモ(27) 平成11年11月10日〜11月22日



投稿者 大和路環状線
投稿日 11月10日(水)17時45分32秒
タイトル 並ロ・特ロ・特ハなど
本文 こんにちは。大和路環状線です。

●水ミトさん
>並ロですが、昭和40年3月及び昭和40年10月の改正時に大量に格下げ(ロ→ハ)
>されています。
大概の並ロは格下げられたわけですね。
残ったヤツらも、ロ車としての使命はヨン・サン・トオ辺りでおしまいでしょうか・・・。

で、仰る通りオロ35は転換クロスの並ロ車のようです。
それからオロ35に関する詳細資料は手元にないのですが、これに近い仕様と思われる
スロ34が「狭窓15個・転換クロス・定員60」ですから、大体そんな感じでしょう。
同じく狭窓の特ロ・スロ51は「窓数13個・リクライニング・定員52(シートピッチ1100mm)」
ですから、そこそこ差があります。
ましてやスロ60(定員44・1250mm)、スロ53(定員48・1160mm)をや、という感じです。
それでも43系の「特ハ」よりは、並ロの方がマシですが・・・。

あと、「特ロ」で忘れていたのですが、急行用にスロ50もいましたね。
これは鋼体化改造車で、その改造時期がスロ51(新製)の登場とほぼ同じです(昭和25年)。
いずれにせよ、特ロ初の新製形式はスロ51となります。

>実際乗れる(座れる)可能性があるのは、大宮工場保管の供奉車344となります。
供奉車ですか・・・。(^^;
思わずため息が出てしまいました。(笑)

●AK1219さん
>並ロは新快速並の転換クロスシート
すると、スハ44等のいわゆる「特ハ」は新快速以下となりますね。
おまけに、あれは座席向きの転換は「自転」が不可能ですから。(爆)

●☆☆☆提督さん
>オハネ12 29
どっかで聞いたことありますね〜。(^^;
その他10系客車は、この辺で結構残っていたんですね。

>「ながさき」は私が小学生のときに廃止になったのですが(年がばれる・・・)
私も全く同じですので、ご安心下さい。(笑)

最後に一つ補足ですが・・・
前回紹介した東京〜大阪の普通列車は、143レ(夜行)・144レ(昼行)を名乗っています。
143レは現在の大垣夜行の前身です。



投稿者 AK1219
投稿日 11月11日(木)00時56分22秒
タイトル 並ロ・寝台付き普通列車
本文 こんにちは。
先日来私がこの話題のてがかりとしている時刻表復刻版で39年から42年の間に
普通列車の2等車が激減した理由が水ミトさんの情報でわかりました。
前回の復刻版の発行時に、私の親が2等車が比較的遅くまで残っていた線区の沿線の
出身なので、そもそも普通列車の2等車とはどのようなものであったか尋ねたところ
「乗ったことないので知らん」の一言で片付けられたことも思い出しました。(笑)
このたび戦前版も再発行されたましたのでいろいろと調べていますが、
戦前は2等車が連結されているのがあたりまえという感じだったんですねえ。
今では信じがたい話ですが。

ところで寝台付き普通列車について

昭和25年10月ダイヤでは皆無です。
急行(定期は19往復)で1等寝台が7往復に、2等寝台が2往復に連結されている程度です。
その後の車両増はいったいどうやってまかなっていたのでしょう。(特にC2等)

昭和15年10月ダイヤでは(これは時刻表の巻末に特殊設備のある旅客列車一覧表というのが
あって大変わかりやすい)2・3等寝台付きが15往復、2等寝台付きが9往復のようです。
ちなみに、急行では1・2・3等寝台付きが1往復、1・2等寝台付きが1往復、
2等寝台付きが不定期だけですが4往復、2・3等寝台付きが不定期1往復も含め17往復、
特急では富士が1・2・3等寝台付き、櫻が2・3等寝台付きとなっています。



投稿者 平松真一
投稿日 11月12日(金)20時44分54秒
タイトル オロ35他
本文 こんにちは、平松です。
オロ35に関する詳細資料は手元にないのですが、
これに近い仕様と思われるスロ34が「狭窓15個・転換クロス・定員60」ですから>
オロ35は定員が64名ですから、狭窓は16となります。
スニ40に似た荷物車にも使える貨車>
ワキ8000、ワサフ8000のことですね。
これらは、荷貨共用車としてスニ40、41と同じ客車区や運転区に配属され
共通運用されていましたので、貨車としての運用はよほどのことがない限りないはずです。
余談ですが、急行「八甲田」では12系+ワサフ8000という時代もありました。



投稿者 大和路環状線
投稿日 11月20日(土)01時55分13秒
タイトル 並ロ・「銀河」・大正時代
本文

こんばんは、大和路環状線です。
最近、急激に寒くなりましたね。

●平松真一さん
>オロ35は定員が64名ですから、狭窓は16となります。

補足を有り難うございます。(^^)
狭窓の「並ロ」、大いに魅せられるものがあります。

●アーノルドカプラーさん
>帰省ラッシュでもないのに「銀河」が、寝台券が売り切れてしまったのかが、
>わかる方お教えください。

ご指摘の状況を大変興味深く思い、昨晩通りがてら大阪駅10番線に
停車中の上り「銀河」を観察してきました。
アーノルドカプラーさんがお乗りになった金曜日の夜ですが、昨日も非常に盛況でしたよ。
寝台はA・Bとも全て売切れです。

この列車はよく見かけるのですが、普段はあまり活気を感じないだけに、私も非常に驚きでした。
車内は平常に比べグループ旅行者の比率が高く、
やはり「週末」ということで一定の支持層があることが確認できました。
帰省シーズンではありませんが、さすがに「大阪〜東京夜行健在」の感一杯で、
心強い気持ちになったものです。
私も早く乗ってみたいです。

●麦太郎さん
>臨時急行「みやこ」

少し調べてみましたが、わかりませんでした。(^^;;
宮脇俊三氏は『線路のない時刻表』で、上野発宮古行・臨時客レ急行「うみねこ」(夜行)
という空想列車を設定されていますが。(笑)
情報提供じゃなくてすみません・・・。

●AK1219さん
>豊肥線の客レ

「筑豊本線」ですね。(^^;
これで、50系客車発祥の地であるとともに、終焉の地ともなるわけですか。
(海峡線を除いて)

>寝台付き客レのデータの追加ですが、大正14年4月の(現)JTB時刻表
>の創刊号では、17往復に2等寝台

いつも有り難うございます。ついに大正時代まで遡りましたね。
2等寝台車は大正中期に勢力を広めたそうですから、その姿を如実に反映してますね。
3等寝台車は昭和6年のスハネ30が最初なので、
大正期の寝台車は高嶺の花の極みだったのでしょう。

それでは、失礼いたします。
(# 今頃、東京行「銀河」は豊橋付近でしょうか・・・。(^^))



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