倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
客車(座席車・荷物車)の自重について
座席車を荷物車に改造した際に自重が増える理由について




倶楽部メモ(22) 平成11年 9月24日〜 9月27日



投稿者 客貨区
投稿日 09月26日(日)00時34分11秒
タイトル 素朴な質問ですが・・・
スハ32さま、ご指摘ありがとうございます。

確かにスハ42の軽量化と言えばオハ36ですよね。忘れてました。
そういえば、昭和52年頃スハ40がなぜか高松にいました。
なんかもったいない使い方のような・・・。

そうそう、四国の便所窓修繕車は、郵便車の明かり窓のような形になって、ヘッダーが無くなったのをよく見かけました。

どなたか、教えて下さい。

なぜマニ36や60のようにオハから荷物車に改造すると2ランクも自重がアップするのでしょうか?
床にものすごい補強をするのか、それとも両開き戸をつける時、車体補強がものすごいのか。疑問です。

こんなことも知らんのか!と怒らないで下さい。



投稿者 水ミト
投稿日 09月26日(日)01時47分07秒
タイトル Re:素朴な質問ですが・・・
こんにちは。
自重って、積載重量も含めるのではないでしょうか?<曖昧モード
従って、定員重量から荷重に変更になったため、増えるのでは?



投稿者 大和路環状線
投稿日 09月26日(日)17時51分46秒
タイトル 旧客の茶塗装(近代化?)にお礼(その4)
皆さんこんにちは。
客貨区さん、水ミトさん、近代化工事施工開始当時の貴重な資料を紹介して頂き、深く感謝しております。m(..)m

●ほくほくさん
>とても興味深い追跡ルポですね!
そう仰って頂くと光栄です。(^^)

●客貨区さん
>昭和50年度以降も使用する2等車約5000両中2000両程度
末期まで残ったのは、この2000両に含まれる車両がほとんどだったのでしょう。

>四国では同じ茶色でもオハフ33より61の方が扇風機がよく整備されてました。
こちらも通説とのズレがあって、興味深く思います。
オハフ61は最後は東北だけに固まっていましたが、そのちょっと前までは各地で見られたのでしょうね。

>四国の便所窓修繕車は、郵便車の明かり窓のような形になって、ヘッダーが無くなったのをよく見かけました。
これって、もしかして窓の上部だけを撤去していませんか?(写真でしか見たことないのですが、面白いですね。)

>スハ40
少し思ったのですが、スハ40は「スハ42→(軽量化)オハ36→(電暖取り付け・重量増)スハ40」という経緯を辿っています。
一方で、他系列の「オハ」は電暖取り付けで重量的にス級化することはなかったんでしょうか?
基本的に「製造番号+2000」の形にしか反映されていないようですが・・・。
面白いのはスハ40にも2000番台が付与されている点です。

●水ミトさん
>従って基本的に31系・32系・61系・ロ格下車等は塗装変更対象外という事なのでしょう。
「急行に使えるやつは一応対象車」と言えそうですね。

>図面を見ているとタンツボというのが目立ちます。
>昔の人は車内でもタンを吐いていたのですね。
今からでは想像できません。
あと「栓抜き」が昭和40年前後の車には当然のように付いていました。
いずれも時代を物語っていそうです。
それから43系三等車ですが、スハ43 151及びスハフ42 80以前の車には座布団下に「引出し式くず物入れ」があったそうで・・・。

>自重の自重って、積載重量も含めるのではないでしょうか?<曖昧モード
>従って、定員重量から荷重に変更になったため、増えるのでは?
おそらくそうなのでしょうね。
先頭に立つ機関車にとっては、後ろに「人間様」が乗っているのか「荷物」が乗っているのかの違いは大きいでしょう。

基本的に全うな荷物車は「マニ」で、他はあまり聞きません。
車体が貨車ベースとなっているパレット積載荷物車スニ40・スニ41がありますが、
独特の車体構造や、車長17m(40形)・18m(41形)ということが関係していそうです。
一方、郵便車はやはり「オユ」「スユ」に収まっていますね。



投稿者 車掌
投稿日 09月26日(日)20時34分00秒
タイトル RE:素朴な質問ですが・・・
客車の重量についてですが、自重と重量(積車重量)の2通りの標記?があり
自重の方は、空車(乗客や荷物、水や備品等を含まない状態)での重量の事で
重量(積車重量)は定員分の乗客を乗せた場合等の重量をいいます。

実際に客車に標記してあるのは自重の方ですが、形式名の標記(オ・ス・マ等)には積車重量の方が使われています。
これは換算両数と同じように、運行時の編成全体の重量を把握しやすくする為なのですが、
客貨区さんの質問の内容は、自重ではなく積車重量の事だろうと思われます。
当時の車両の自重を調べると、
座席車 オハ35→29.65〜33.20トン オハ60→27.87〜30.35トン
荷物車 マニ36→29.20〜31.70トン マニ60→28.40〜30.10トン
と、自重自体は座席車も荷物車もほとんど同じです。
ところが、積車重量になるとこれに乗客や荷物の重量が加算されます。
座席車 乗客20人で1トン換算なので、定員を80人とすると+4トン
荷物車 マニ36・マニ60とも荷重(荷物の制限重量)は14トン
となり、重量(積車重量)は10トンの差が出来ます。
ご承知の通り、客車の形式名の重量標記は5トンごとに区切られているので、
10トンの差であると、ちょうど2ランクの違いとなるわけです。



投稿者 大和路環状線
投稿日 09月26日(日)22時41分48秒
タイトル お詫び(自重とタイトル)
先程ほどの私の投稿で、「自重」に関して基本的な部分での思い違いがありました。
この場をお借りしてお詫び申し上げます。(車掌さん、補足ありがとうございます。)
また「茶塗装」云々の投稿タイトルですが、私の当初の疑問はお蔭様でかなりの程度解決し、
掲示板の議論が発展的な方向で深まっているようですので、この点も次回から改めさせて頂きます。
ご迷惑をおかけし、申し訳ありません。
皆様の毎回のご丁寧なレスに深く感謝しております。今後もどうぞよろしくお願いします。



投稿者 客貨区
投稿日 09月27日(月)00時55分16秒
タイトル みなさま感謝です。
勉強不足の私に多くのご回答をいただき感謝、感謝です。

早速、客車関係の資料を片っ端から開きました。
みなさまのおっしゃるとおり、形式表記は積車重量を使用していたことが分かりました。
勉強不足でご迷惑をおかけしたことをお詫びするとともに、勉強になったことを深謝いたします。

これに懲りずまた、投稿させて下さい。

ありがとうございました。


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