皆さんこんにちは。
客貨区さん、水ミトさん、近代化工事施工開始当時の貴重な資料を紹介して頂き、深く感謝しております。m(..)m
●ほくほくさん
>とても興味深い追跡ルポですね!
そう仰って頂くと光栄です。(^^)
●客貨区さん
>昭和50年度以降も使用する2等車約5000両中2000両程度
末期まで残ったのは、この2000両に含まれる車両がほとんどだったのでしょう。
>四国では同じ茶色でもオハフ33より61の方が扇風機がよく整備されてました。
こちらも通説とのズレがあって、興味深く思います。
オハフ61は最後は東北だけに固まっていましたが、そのちょっと前までは各地で見られたのでしょうね。
>四国の便所窓修繕車は、郵便車の明かり窓のような形になって、ヘッダーが無くなったのをよく見かけました。
これって、もしかして窓の上部だけを撤去していませんか?(写真でしか見たことないのですが、面白いですね。)
>スハ40
少し思ったのですが、スハ40は「スハ42→(軽量化)オハ36→(電暖取り付け・重量増)スハ40」という経緯を辿っています。
一方で、他系列の「オハ」は電暖取り付けで重量的にス級化することはなかったんでしょうか?
基本的に「製造番号+2000」の形にしか反映されていないようですが・・・。
面白いのはスハ40にも2000番台が付与されている点です。
●水ミトさん
>従って基本的に31系・32系・61系・ロ格下車等は塗装変更対象外という事なのでしょう。
「急行に使えるやつは一応対象車」と言えそうですね。
>図面を見ているとタンツボというのが目立ちます。
>昔の人は車内でもタンを吐いていたのですね。
今からでは想像できません。
あと「栓抜き」が昭和40年前後の車には当然のように付いていました。
いずれも時代を物語っていそうです。
それから43系三等車ですが、スハ43 151及びスハフ42 80以前の車には座布団下に「引出し式くず物入れ」があったそうで・・・。
>自重の自重って、積載重量も含めるのではないでしょうか?<曖昧モード
>従って、定員重量から荷重に変更になったため、増えるのでは?
おそらくそうなのでしょうね。
先頭に立つ機関車にとっては、後ろに「人間様」が乗っているのか「荷物」が乗っているのかの違いは大きいでしょう。
基本的に全うな荷物車は「マニ」で、他はあまり聞きません。
車体が貨車ベースとなっているパレット積載荷物車スニ40・スニ41がありますが、
独特の車体構造や、車長17m(40形)・18m(41形)ということが関係していそうです。
一方、郵便車はやはり「オユ」「スユ」に収まっていますね。 |