ご無沙汰してます。
50年代当時は、東京近郊の旧型国電もまだ健在でした。
青梅、五日市、横浜、南部線など全ての路線で茶色塗装でした。
それを考えると客車だけでもなかった気がします。
同じ旧型国電でも70,80系は、湘南色、スカ色、上越色とちゃんと塗り分けされてましたね。
地方では、非電化区間などでは、油汚れなどの問題もあるので、メンテナンス面で実は茶色の方が都合が良かったそうです。
茶色の上から青を塗ると見た目も余り良くなかったと言う事情も聞いた事があります。
最後まで茶色が残ったのも、元の塗装に上塗りするのが面倒・・・という面もあったのではないでしょうか?
東京に入ってくる客車で、東北系は、茶色が混じることが多かったですが、
高崎の車は、ニス塗りのオハ35を含めて、50年当時すでに全て青塗装でしたね。
(これも大宮持ちです・・。)
そう言えば、荷物車は、一部を除いて茶色でしたね。
私の記憶では、マニの青色も極少数存在してたはずです。
10系の郵便車は青でした。郵便、荷物でも青と茶が混在してますね。
茶色塗装が残ったのも面白いですが、末期まで旧型客車が東京発の急行に残ったのも?ですね。
12系は、既に大阪万博(昭和45)の時に登場した割には最初の10年ほどは、波動輸送専用の様に使われ、
定期列車に殆ど使われませんでした。
それゆえに12系が実際に急行列車で活躍したのは、思ったより短かった気がします。
八甲田や津軽も数年で14系化されています。
旧型客車末期まで夜行急行に12系でなく、旧型客車が使われたのは、どんな理由からでしょうかねぇ?
12系の配管は、旧型客車(10系寝台など)との混結を考えて作られていたので、
暖房も含めて問題無かったのでハード面の理由では無いと思いますが・・・。
その12系もオリジナルは、残り少なくなってきてしまいました。
スハ32
PS.32系では、唯一オハフ35(TR11に振り替え)が近代化されて青色にされていますが、短命だったようです。
元々戦前の優等列車用で、設備も窓以外は、オハ35とほぼ同じでしたが、小窓ゆえに車内が暗くなりるため、
戦後は、スハ43の登場でオハネ17への改造、台枠、台車などの部品調達、普通列車と寒冷地向けにされました。
それゆえに、近代化せずに残ったのかもしれません。 |