倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
常備駅・配置区等
客車の車庫・客貨車区・常備駅の略号




倶楽部メモ(18) 平成11年8月2日〜8月25日



投稿者 客車好き人間
投稿日 08月20日(金)18時04分19秒
タイトル 客車の回送
20年ほど前は、上野から高崎行き、一ノ関行き(東北線経由)、仙台行き(常磐線経由)が出ていました。
あるとき、赤羽駅に着いた普通列車がいつもより長く、後に回送の客車を3両くらい連結していたため、
ホームに列車が着いても踏切が開かず、発車まで待たされたことを覚えています。
客車は別の客操へ移動するときも、定期列車の後につなげば済むので機動性に富んでいました。
(今では定期列車がほとんどなくなり、この利点も少なくなりましたが)。
車両の端に「xx駅に到着の上はxx客貨車区に回送 xx客貨車(支)区」という紙を付けて走っていたものでした。



投稿者 客車好き人間
投稿日 08月20日(金)18時20分58秒
タイトル 駅区境界線について
電車がなかった時代は、客車の車庫は、研修庫の周辺だけが客貨車区で、あとは駅の構内でした。
操車は客貨車区も含めて駅が担当sていました。
DCやECが現れ運転所が作られると、初期のものは駅、後のものは運転所の構内になりました。
例えば、向日町(向日町操車場)、松本、旧長野分所(長野駅)が前者、青森、仙台、長野(本所)が後者です。
前者はホームを含む駅全体が客繰のようなもので、ホームから見ていても楽しいものです。
先日松本に行ったところ、客車はとっくに無いのに客繰は健在でした。



投稿者 客車好き人間
投稿日 08月20日(金)19時09分27秒
タイトル 常備駅と配置区
国鉄時代は、ECやDCが配置区の略号を車体に書くのに対して、PCは常備駅の略号を書いていました(例、北オクは尾久駅)。
客繰が駅の構内であることを考えるとPCは駅で休むのだから常備駅という考え方も納得がいきます。
しかし向日町操車場に常備しているのにムコソではなくムコ(向日町駅)など、電車の出現で矛盾も生じていました。
FCの緩急車はPCと同じ扱いでしたが、
東京貨物ターミナル駅常備の車が大井貨車区の略号ではなく駅の略号(南タミ)を付けていたのが印象的でした。



投稿者 客車好き人間
投稿日 08月23日(月)13時21分00秒
タイトル 佐倉駅常備の12系(繰配用)
佐倉駅から成田を向いて右側に客貨車の検修庫と留置線があり、
昭和50年ころは廃車予定の従来客車が10両くらいと、12系客車が6両いました。
従来客車はそのうちいなくなり、12系ががんばっていました。
貨車が留置線から消えたので(昭和55年頃?)助役に聞くと、成田に向かい左側の陸橋の手前で行っているとのことでした。
屋外なので仕訳線かと思っていたら、屋外にも貨車の検修場があったのでした。
そのうち12系は8両に増え(うち発電機付きが2両)合計10年近く繰配用としてがんばっていましたが、
その後は竜華操車場に行ってしまい客車は千葉管からなくなってしまいました。
佐倉の貨物ヤードが廃止になり、貨物駅も廃止になり、ついには竜華(繰)も廃止されました。



倶楽部メモ(19) 平成11年 8月26日〜 9月10日



投稿者 客車好き人間
投稿日 08月26日(木)18時25分47秒
タイトル 貨物列車に連結された客車
若い人は知らない人もいると思いますので、貨物列車での客車の回送の話をします。
貨物ヤードがあったころは、従来客車は貨物列車の任意の位置(といっても先頭か最後尾の車掌車の直前のことが多かった)に連結し
転属や工場入場していました。
DCと12系等は最後尾の車掌車の前に連結していました
(DCは連結器が小さいから判るが12系は理由が判らない。緩衝器の関係か?)。
貨物ヤードが全国的に廃止になった直後、暖房用らしい電線を車体の外の窓の下に付けた従来客車の緩急車を品川で見かけました。
貨物列車で回送できなくなったので急遽設定した客車回送列車の最後尾に連結する車掌車でした。
それまでは客繰から横須賀線の南側に引き上げ、横須賀線ホームの海側の貨物群線に入れ替えて貨物列車に組成されていました。
その間、東海道の下りと横須賀の上下線が使えなくなりますが、けっこうダイヤの空きがあるようでした。
貨物ヤードの廃止、郵便車と荷物車の廃止、JR貨物の分離の3つがPCの急速なEC化を招いたと言えます。



投稿者 EF8036
投稿日 08月27日(金)01時48分49秒
タイトル カモレに連結された気動車
はじめまして。EF8036と申します。
私も子供の頃(20年ぐらい前)に、自転車で竹の塚から常磐線の荒川鉄橋へ列車を見に通っていた頃、
EF80牽引の貨物列車の最後部の車掌車の前にキハ58が連結されていたのを見たことがあります。
黒い貨車の間に挟まれたキハ58は、たいへん目立っていた記憶があります。
その頃は荷物列車も健在で、大判の時刻表にも時刻が掲載されていましたが、
平行き425レのすぐ後に来る隅田川発仙台行き荷4043レの最後部に、ワサフ8000がよく連結されていました。
583系特急みちのく・キハ58系急行奥久慈ときわ・EF15カモレ等を見て、最後にこの荷物列車を見て帰るのが日課となっていました。
懐かしい思い出です。



投稿者 客車好き人間
投稿日 08月31日(火)18時34分18秒
タイトル 沼津の客繰
沼津には12系が常備されず14系と従来客車のお座敷客車だけだったと記憶しています。
電話帳で調べると、客貨車区は貨物検修のほかに客繰事務室というのがあったので、駅の機能も受け持つのかと思い聞いてみたところ、
普通の客貨車区と同じ検修と清掃のみでした。
貨物ヤードが御殿場線の山側にあるのに対して客車検修は海側の客繰にあるので、この名前が付いたのでしょう。
近くの富士、富士宮へは12系の団臨が多いのに沼津には私の知る限りは留置されなかったと思います。
先日沼津にいったところ客車はなく電留線になってしまいましたが、電留線からホームに電車が入線するとき入換信号機ではなく、
操車担当運転係の指示で動いていたのが、客繰の面影を唯一残していました。


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