倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
旧型客車の青塗装について
旧型客車が青15号に塗装され始めたのはいつからか




倶楽部メモ(16)
 平成11年 7月 2日〜 7月20日




投稿者 江原 忠清
投稿日 07月05日(月)09時21分44秒
タイトル 旧客の青塗装いつから?
20系ではない、旧型客車が青15号の塗装にされ始めたのはいつかはわかりませんか…わかりませんよねぇ…
初代特急はつかり(客車編成・1958〜1960)のスハ44系は青に白帯2本が入ってましたがそれとは別に…



投稿者 大和路環状線
投稿日 07月05日(月)13時36分25秒
タイトル Re:旧客の青塗装いつから?
江原 忠清さん、こんにちは。

ブルー塗装の件ですが、昭和39年から施工された大掛かりな近代化改造工事に併せて実施されました。
青色というのは、言うまでもなく20系が引き金になっているようです。
まずは新系列の10系客車から、蛍光灯化(ナハ11・ナハフ11は新製時から蛍光灯)、
2段折戸の開戸化といった改造とともにブルー塗装に改められました。
そして同年、スハ43系などの一般型客車についても蛍光化、内装の張り替え(あるいは塗りつぶし)
などと同時に外装の塗り替えが開始されたというわけです。
3等客車が茶色一色だった当時ですから、非常に新鮮な印象を与えたのでしょうね。

ちなみに10系客車は全車にわたって塗り替えが行われたようですが、一般型客車の方は全車両に及ぶことなく、
旧型客車事実上絶滅の1986年まで茶色塗装、内装板張りのままの客車が残っていました。
こういった客車は1985年の改正で大量淘汰されており、最後まで茶色のままで生き残ったのは、
福知山客貨車区のオハニ36 7・11と米子客貨車区のオハフ33 389の3両でした。
また、オハ61系は系列まるごと近代化工事が施されることなく、1985年まで東北を最後の舞台に活躍を続けました。

ご指摘の通り、「はつかり」編成は例外ということになります。
細かい点で補足していただける方、どうぞよろしくお願いします。



投稿者 水ミト
投稿日 07月05日(月)13時39分03秒
タイトル 旧客の青塗装
鋼製客車の近代化改造で、昭和39年10月以降出場車が青15号になったそうです。
しかしナハフ11・ナハ11や10系寝台は、近代化改造をしなくても塗り替えられているかもしれません。
非冷房茶色10系寝台→非冷房青色10系寝台→冷房青色10系寝台というパターンが存在しているので。

また、後年は近代化改造されずとも青塗りになった例があります。
投稿者のホームページ



投稿者 江原 忠清
投稿日 07月07日(水)23時34分54秒
タイトル 旧客の青塗装にお礼
大和路快速さん、水ミトさん、早速のリプライありがとうございました。
模型を作る方々は、ある一定の時代を再現しようとすると、塗色の考証は避けて通れないようでして、
その方面からめぐりめぐってきた質問を持て余して皆様にお伺いした次第でした。
ネットやってて本当に良かったです。
では、



投稿者 大和路環状線
投稿日 07月11日(日)21時22分05秒
タイトル 質問です。
1.下の投稿とも関連しますが、
  スハ32系、オハ61系のいわゆるローカル専用の客車に青塗装は皆無だったのか。
  (いずれも旧客晩年まで使われていたわけですが…)

2.宮原運転所のオハフ33 48・289及びオハ46 13って、東の保存客車に比べるとあまり活躍を聞きませんが、
  どのような時にお出ましするのですか?
  (京都〜姫路の『国鉄ご愛顧感謝号』でEF58 150やマイテ49とともに華々しく復活デビューしたのですが…。)
  個人的にはオハフの1両は嵯峨野観光鉄道で使ってほしいと思っています。
  あるいは、JR西日本内の列車イベントに向いた路線(紀勢線あたり)で活躍するも良し。



投稿者 水ミト
投稿日 07月11日(日)22時03分10秒
タイトル オハ61系の青色について
オハ61系の青色は存在していました。
保育社刊国鉄の車両3 東北本線1 128頁に白黒写真ですが、珍しい青色と表記されています。
水ミトのオハ61系に青色が存在していました。
当時、全検は大宮工担当でした。
知り合いの方から写真を戴いたのですが、確かに青色のオハ61系が写っています。
当時は水郡線運用が中心だったようです。

スハ32系に関してはわかりませんでした。
投稿者のホームページ



投稿者 大和路環状線
投稿日 07月19日(月)02時01分46秒
タイトル 61系の青塗装にお礼
水ミトさん、青色のオハ61の件ありがとうございました。(お礼が遅くなってどうもすみません。)
旧客好きの者として15年。しかし61系に青が存在したとは一度も気付きませんでした。(思い込みは怖いです。^^;;)
オハ35にしろオハ61にしろ、やたら製造された割にはひっそりと消えてしまった奴らですね。
私が初めて実物の61系を見たのは引退後の1985年夏。
福島駅の荷物ホームのような暗い所に留置されていたオハフ61 3053でした。

今、秋には「だいせん」が廃止となるという噂で(ごく)一部盛り上がっていますが、
つい先日開業100周年を迎えた福知山線というこの「時」の一致に多少複雑な心境ではあります。

思えば福知山線が電化され、汽車路線の風貌が一掃されたのはわずか13年前。
今や「アーバンネットワーク」と称されて、本当に利用しやすい路線に生まれ変わったわけですが、
福知山線の長い歴史を陰で作り上げてきたのはやっぱり汽車(客車)であると思います。
伝統の厚みが違いますね。

今日も帰宅を急ぐ通勤ラッシュの喧騒の中で、マイペースに発車時間を待つ青い車体がいます・・・

ということで、近いうちに何としてでも「だいせん」に乗る機会を作りたいと思う今日この頃の、大和路環状線でした。


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